掌編・『手』

夢美瑠瑠

第1話


  …大脳生理学者の、もぎ 検非違使郎けびいしろう氏は、依頼原稿を書きあぐねて、かなり適当な空理空論を捏造して、「SF的な試論」と添え書きしてごまかそうかな?とか悩んでいた。


「…つまり、二本の上肢、『手』というものが、直立歩行により自由になった、そこから人間の脳の進化が始まりを告げたのだ。

 

 それは常識とされていて、ホモ・ファーベル「道具人」という発想もそれに近似している。 自由というのはつまり∞のこと。 可能性が無限。 インフィニティはXという変数であり、人間の脳が自由になった両手という触媒により、無限の変化をなしうるブラックボックスとなった。」


 …

 …


 そこまでは首肯しうる?既定の事実?

 が、依頼のテーマは「手」で、手と脳の進化という複雑なプロセスを面白く描写せねばならない…説明能力が高い学者、というイメージに相応した、愉快でポップな「進化の道程」をデスクリプトせねば…

 そこのところで悩みだしたのだ。


 あらん限りの知識を動員して、いろいろに本やサイトも渉猟して、いちいちメモして、無数の言い回しのリストを積み上げて…


 で、爾後に、それを適当に編集するという従来の論文執筆のノウハウに頼ることにした。


 「5本の手指おのおのの神経とつながっている大脳の部位の面積が、ほかの体の部分よりもはるかに大きいのは周知のとおりで、大脳の進化と手というものの密接な連関を示している、それが強力な証拠とされている。


 人間らしい、とされる行動。 農耕作業や狩猟から、自動車運転、大工仕事、勉強、研究、学問的ないろいろな作業、あらゆる仕事は、自由になる両手あってこそ可能。


 川端康成の「眠れる美女」は、眠っている美女が愛撫に官能的に反応する様子を、手の描写で巧みに表現している。 手ひとつにもこれほどの奥深い官能性や表現力が秘められているのか? と驚嘆するような新感覚派的な美学、そのロマネスク。


 手ほどヒューマンな存在はないのである。 野球の投手は、五本の手指を最大限に巧みに操ることで、どれほどに変幻自在な変化球を繰り出すことか! そしてそれゆえに、野球の試合には、どれほどに複雑微妙で感動的なヒューマンなドラマが生じることだろうか! 決して「小手先」などと侮ってはならない。


 人間の「匠の技」、そういうものは例外なく手の技巧のなせる業である。

 書画、技芸、モノづくり、熟練工のそうしたアーティスティックな”至芸”が成立するのも、きわめて精緻な「手」というものの神技?に他ならない。

 人間は、つまり「神」である…

 叡智によりヒトは神となった。

 そしてその叡智の源は「手」かもしれない。」



捥氏は、「脳科学者にしてはサイエンスが皆無やな…? まあ、とりあえずこれだけ渡してみて、編集の人に相談するか」

とつぶやき、「『手』~単なるPAWでなくなったもの~」と名付けた小文を脱稿した。


<fin>



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