超短編まとめ

ぺらー。

徒夢

 あの瞬間、この腕の中に体温があったことを忘れた日はない。

 甘い声で僕の名を呼んだこと。息づかい。匂い。緊張で高鳴る鼓動。あれはどちらの音だったのか。或いは二人分が重なったようにも思う。

 胸元でネックレスが揺れていた。僕が渡したのだ。誕生日を知ったのが一週間前だったから、凝ったものを準備する時間はなかったけれど。

「それでも嬉しい」

 その言葉に嘘はなかったはず。

 付けて。そう言われて、なんだか喉が渇いた。震える手がその項に何回も触れる。僕はこんなにも不器用な人間だっただろうか。考えれば考えるほど、余計に心拍数を上げるばかり。

「似合ってる?」

 ふわりと向けられた笑顔。これが徒夢でないと信じて疑いもせず、永遠に続けと祈ることさえしなかった。僕に敗因があるとすれば、きっとそれだろう。



 ぱしん、と音がした。

 抱きしめようと伸ばした手を強く払われる。それほどに敵視されているらしい。ぎろり、と睨む顔が愛しの彼女にそっくりで、愛おしくて。だから、とても悔しくて。

「ぱぱ! ……んめっ!」

 えすおーえす。息子が僕の妻を返してくれません。






『徒夢』

 儚い夢。虚しい夢。頼りない夢。


(250629)

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