第21話 嵐の揚陸準備
揚陸戦艦『グングニル』の艦橋は、冷徹な静寂に包まれていた。
窓の外には、バルラート洋特有の、マンガニス粉塵が混じった灰色の霧が重く垂れ込めている。
視界は一キロ先すら怪しい。
雨がパラパラと降り始めた。
このノイズの海では、かつて人類が誇ったレーダーも、精密な火器管制装置もただの重いガラクタに過ぎなかった。
「……狂気の沙汰だな」
低く、彫刻のように冷たい声を発したのは、副司令官のジャン・リュック・ベルナール少将だった。
彼は端正な顔立ちを一層険しくし、目の前の海図を見つめている。
「空を失ったこの時代に、沿岸要塞へ海から挑む。ゲリマーのドクトリンに従えば、これは『作戦』ではなく『処刑』だ、シリチャイ中将」
傍らに立つラッタナ・シリチャイ中将は、その言葉を否定しなかった。
彼女は元王族の気品を漂わせながら、微動だにせず霧の先を見据えている。
「その通りです、ベルナール少将。帝国がケルゲレンに築き上げた防御陣地は、現代軍事学における一つの到達点。……航空支援のない我々にとって、あそこは『浮いている陸地』ではなく、海面に突き出た『絶望』そのものだ」
要塞攻略という概念以外にも、この作戦には問題がある。
帝国シュテルツァーは強い。
エアロのドクトリンだと、1:3である。
帝国のシュテルツァー1機につき、エアロ機3機が必要なのだ。
そして、それは大東亜経済広域圏も同じであるはずだ。
(もし、要塞に運良く上陸しできたとしても、瞬時に全滅させられるのでは無いか)
ベルナール少将の頭によぎるのは、「ごく、真っ当な考え」である。
しかし、彼も祖国が、同盟国が、これ以上の余剰戦力など持ち合わせていない事を痛いほど理解していた。
シリチャイは、参謀が作成した要塞の概念図に視線を向けた。
誘導兵器が死んでいるこの世界で、この要塞は「精度」を捨て、「質量」と「密度」に特化している。
「敵の主力は、沿岸散布砲『ヴァジュラの火槌』。長距離砲撃などという高尚な真似は彼らもしない。目標が目視できる距離――三キロ以内に近づいた瞬間、数千発の鋼鉄弾を海面にぶちまける。レーダーが使えない我々に、それを避ける術はありません」
「ああ。我が国のシュテルツァー揚陸艦とて、あの至近距離からの散弾を浴びれば、一分と持たずに蜂の巣だろう」
ベルナールは、自嘲気味に肩をすくめた。
「誘導を失った弾丸は、ただの重力に従う鉄の塊だ。だが、その鉄の塊を、回避不能な密度で叩きつけられるのが要塞というものだ。島に固定された砲座は、揺れる艦船に比べて圧倒的に安定している。この『見えない霧』の中では、止まっている者こそが最強なのだから」
「さらに、島の周囲には高濃度マンガニス粉塵地点が点在しています。我々が要塞の全貌を拝めるのは、敵の砲口に鼻先が触れる距離まで近づいた時だけでしょう」
シリチャイの声は、どこまでも淡々としていた。それがかえって、作戦の絶望度を際立たせていた。
「艦隊決戦など起き得ない。起きるのは、霧の中での一方的な虐殺だ。……ベルナール少将。それでも、我々は行かねばなりません。あの島にある無限に湧き出るマンガニス鉱床と、帝国の喉元という戦略的地位を、これ以上奪い取らせておくわけにはいかない」
「分かっている。だからこそ、その『絶望』に穴を開けるために、あの化け物(リヴァイアサン隊)を用意したのだろう?」
ベルナールの視線が、艦下方の格納庫へと向けられた。
そこには、漆黒の装甲を纏った破壊神率いる魔狼の群れ。
レーダーも、目視も通用しない霧の地獄を、ただ一人の「眼」と「直感」だけで駆け抜けようとする、狂気の精鋭部隊が眠っている。
「大東亜の亡霊システムと、我が国のヴェイン技術。……そして、たった一個中隊の『希望』か。彼らが霧の迷路を抜け、要塞の喉元を食い破るのが先か。我々の艦隊が鉄屑に変わるのが先か。……不快な博打だ」
「博打ではありません。……『信頼』ですよ、少将。あのアスラを駆る少年中佐へのね。そして、我々には、これ以上betできるコイン(戦力)などもはや無いのも分かっているでしょう」
シリチャイ中将は、わずかに微笑を浮かべた。
その表情は、これから地獄へ送り込む部下たちへの僅かながらの期待と、この絶望的な作戦に縋るしか無い祖国の将来を危ぶむ心配が浮かんでいたのでした。
ギィィィィ……と、グングニルの巨体が波を切り裂く。
視界一キロ。
レーダー有効範囲約1200m
死の雨が降るケルゲレン島まで、あと、わずか。
揚陸戦艦『グングニル』のシュテルツァー射出甲板。
漆黒の『Y-S01w アスラ』が、カタパルトの固定アームにその身を預け、豪雨となった雨に打たれていた。
他の機はまだ格納庫の中。
荒れ狂うこの海を渡り、強固なケルゲレン要塞を内側から食い破れるのは、世界でただ一機、この機体だけだった。
「カイ中佐。……外は、すごい嵐よ」
通信管制室。ミナ・フェリシア曹長は革のヘッドセットを押し当て、アスラとの通信状況を確認していた。
「ああ。……いい日和だ。要塞の連中も、海から化け物が来るとは思わないだろう」
カイ・イサギ中佐が操縦桿を握り込む。
マンガニス反応炉が低い唸りを上げ、コクピットに蒸気と熱が満ちていく。
「……リヴァイアサン隊、隊長機。単騎発進を許可します。中佐……ご武運を」
「グングニル、カタパルト準備よし」
「進行方向クリア、射出準備完了」
「よし、いつでも行ける。飛ばしてくれ」
ドォォォォォォォンッ!!
蒸気カタパルトが、二十トンの鉄塊を虚空へと弾き飛ばした。
着水のコンマ一秒前。
アスラの足底部・三連駆動ローラーが、毎分三万回転という超音速域まで加速。
ベクターノズルから数千度の高圧プラズマガスが海面へ叩きつけられた。
ボォォォォォンッ!!
凄まじい水蒸気爆発。アスラは海に没することなく、荒れ狂う波の斜面を力強く「蹴った」。
「……制御安定。海面走行に移行する」
水蒸気爆発による激しい反発力と、ローラーの超高速回転が生み出す表面張力の強制利用。
激しい波に少しでも歪みを落とせば海中に没する綱渡りの海上走行。
しかし、カイは瞬時に波の動きに合わせ複数のベクターノズルの出力を調整して海上を疾走する。
時速一八〇キロ。
背後に巨大な水柱を立ち上げ、アスラが霧の中から躍り出た。
前方には要塞を背にした帝国軍バルラート海第四艦隊。
「くそ!アスラからリヴァイアサンコントロール!艦隊がいる!島に近過ぎてレーダーには映らなかったようだ。排除する」
「リヴァイアサンコントロール了解。艦隊後部からの強襲をお願いします」
「アスラ了解。まだ要塞には気が付かれていない。艦隊は揚陸準備を進めてくれ」
「リヴァイアサンコントロール了解」
「バカな!艦隊がいるのだぞ!作戦中止では無いのか?この艦隊が無くなれば、もはや次の反抗作戦など数年、いや10年は出来ないのだぞ!」
ベルナール少将が冷静さを失い叫ぶ。
「信じてください。カイ、いえ中佐は『特別』と聞いているはずです。せめて、艦隊との戦闘をご覧になってから退却を決めさせてください」
ベルナールは、ミナの言葉に絶望した。
ベルナール少将は上官と言えど、リヴァイアサン隊に対する命令権は無いのだ。
この瞬間、彼は作戦の失敗を確信した。
鉛色に唸る嵐の海に浮かぶ重厚な装甲を持つ三隻の旧式戦艦。
その周りを六隻の駆逐艦が円陣を組んで待ち構えている。
まさに肉薄する距離。
艦隊は嵐と暴風雨でカイに気がついていない。
「中佐、敵艦隊の射程です。気をつけて」
「了解だ。軍曹」
ミナの警告通り、探照灯が点きはじめ、「不審な黒い影」を探しはじめる。
「抜けるぞ。……ローラー、逆位相制御!」
カイは直線的に突っ込むのではなく、ローラーの回転差を利用した「海上高速ドリフト」を敢行した。
海面を滑りながら九十度横を向き、探照灯の明かりを避けながら、駆逐艦の包囲網を嘲笑うように横断する。
死角に回り込んだ刹那、アスラは肩部から四発の有線ミサイルを射出した。
だが、今回のターゲットは船体ではない。 「……そこだ」
カイは指先でワイヤーを操り、駆逐艦の「舵」と「推進プロペラ」のみをピンポイントで破壊した。
爆発ではなく、駆動部を物理的にロックされた駆逐艦が制御を失い、互いにぶつかり合い、火花を激しく飛ばし、接触しながら陣形を崩していく。
敵艦隊の円陣が割れた。
その隙間を縫って、アスラは本命の旧式戦艦へと肉薄する。
「装甲が厚いなら、内側から叩くだけだ」
アスラは巨大な戦艦の側面を、陸上用ローラーに切り替え、強引に垂直に駆け上がった。
重力に逆らい、甲板へと躍り出る。
ガシュゥゥゥンッ!!
カイは戦艦の主砲砲塔基部の隙間へと肉薄した。
そこは、数千キロの巨砲を回すためのベアリングと、船体深部の弾薬庫から巨大な砲弾と装薬をリフトで吸い上げる弾薬補充口が密集する、戦艦にとっての急所だった。
パイルバンカーが砲塔基部を容易く貫く。
ドゴォォォォォォォォォォォオン!!
主砲の弾薬庫が爆砕され、即座に艦全体の弾薬庫が誘爆する。
戦艦の甲板が内側から膨れ上がり、戦艦が激しい爆発を繰り返しながら轟沈する瞬間にはアスラは200mの跳躍を敢行していた。
ここでアスラは、滑空しながら、通り過ぎざまに別の戦艦の艦橋と、駆逐艦数隻の艦橋にライフルを連続で叩き込んだ。
ドン!ドン!ドン!ドン!
二秒間に一発の脅威的な発射速度で打ち出された、試製対要塞超硬質144mシュテルツァーライフル弾が厚い防弾ガラスを突き破り、次々と指揮系統を物理的に粉砕していく。
「……最後の一隻」
着水と同時に、逃げ場を失い急速潜航を始めた潜水艦のセイルを機体で踏みつける。
衝撃により制御不能のまま泡を吹いて沈む潜水艦を背に、アスラは最後の戦艦の主砲筒へ飛び乗った。
混乱した艦橋の指示により、旧式の巨砲がアスラを振り落とそうと旋回するが、カイは重心を完璧に制御し、砲塔の真上からパイルバンカーを打ち込んだ。
ドゴオォォォォォォォォン!!!
砲身の中で炸裂した弾頭が、主砲塔内部の装薬すべてを連鎖爆発させる。
戦艦は巨大な鉄の篝火となり、ケルゲレンの海を赤く染めた。
発進からわずか数分。
全滅した艦隊を背景に、アスラは要塞の防波堤を圧倒的な高さの跳躍により内側へと侵入した。
帝国が誇る要塞は、嵐でレーダーもノイズが多く、探照灯が映し出すのは、次々と爆発炎上する味方の艦隊だけであった。
要塞の探照灯が探すのは、早過ぎて確認もできない悪魔の黒い影。
黒い影は要塞内に素早く侵入する。
カイは、すぐさまひときわ大きい要塞砲基部にパイルバンカーで一突きし、弾薬供給口を誘爆させ、要塞砲塔そのものを内側からひしゃげさせる。
ドォォォォォォォォンッ!!
「揚陸予定地点、要塞、沈黙! ……間も無く接舷、総員揚陸態勢に入ってください。!!」
ミナの号令が響く。
「……化け物め。一人で戦争を終わらせる気か」 モニターを見ていたシュミット大尉の呟きは、もはや恐怖を超え、信仰に近い畏怖へと変わっていた。
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