『第六章』それぞれの…
『一色涼』
――判断する者だけが、血を流さない――
作戦室は、静かだった。
壁一面に展開された戦域モニターには、赤い点が三つ。 まだ警報レベルには達していない。
観測値としては、判断保留。 “様子見”で済ませられる段階だ。
「……来たな」
一色涼は、小さく呟いた。
通信士官が視線を向ける。
「異形反応、確度は六割以下です。過去にも誤報は――」
「誤報だった場合の被害は?」
一色の問いに、言葉が詰まる。
「……ありません。もちろん確認は必要ですが」
「では、本物だった場合は?」
沈黙。
それが答えだった。
一色はモニターに近づく。
表示されているのは、霞ヶ丘学園から最も近い観測帯。
人口密集地までは、時間にして十五分。
(間に合わない)
一度誤報と出してからでは。 確認してからでは。
その判断が、何度、死を生んだか。 彼女は知っている。
「学生部隊は――」
誰かが言いかけて、止めた。 言わなくても分かる。 “まだ早い”という言葉が続くことを。
一色は、端末に触れる。
ロックされた項目。
学徒部隊・限定出撃プロトコル。
解除には、二重承認が必要だ。 だが――
彼女は、指を止めなかった。
神威誠の顔が、脳裏をよぎる。
あの日と同じだ。 判断が一拍遅れれば、取り返しがつかない。
(私は――)
教師だ。 指揮官だ。 大人だ。
そして、 血を流さない側の人間だ。
「……出撃準備を」
静かな声だった。 だが、作戦室の空気が一変する。
「確認します。対象は――」
「魂夢班、第一待機区画にて待機。 戦纏班は第二待機区画にて待機。主に後方支援、初動限定。 接触は最小限」
すでに、命令は走り始めている。
誰かが、ためらいがちに言った。
「……彼らは、まだ」
「わかっている」
一色は、遮るように答えた。
「だから、私が決める」
それが、役目だ。 逃げない。 押し付けない。
選ばせない。
「これは訓練ではない」 その言葉を、胸の内で反芻する。
(神威……)
同じことは、させない。 そう誓ったはずなのに。
現実は、いつも、 誓いより早く迫ってくる。
警報が鳴る直前。 一色涼は、ほんの一瞬だけ目を閉じた。
――判断する者だけが、血を流さない。
だからこそ、 その判断は、最も重い。
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『戦纏班』
――初警報(今度は誤報じゃない)――
それは、唐突だった。
霞ヶ丘学園の校舎に、 これまで一度も鳴ったことのない音が走る。
短く、鋭い電子音。 一回。 二回。 そして――連続
。
「……何?」
誰かが、声を出した。
廊下の照明が赤に切り替わり、 壁面ディスプレイに警告表示が流れる。
《警戒レベル・イエロー》 《全生徒、指定待機位置へ》
「イエローって……」
川村大輔が呟く。
「誤報のときと、同じ表示だ」
田島悠斗が即座に答えた。 過去に何度か、演習で見たことがある。
「じゃあ、今回も――」
「違う」
短く遮ったのは、三宅翔太だった。
声が、少しだけ硬い。
「さっきのは、音が違った」
「え?」
「訓練の警報は、もっと間延びしてる」
一瞬の沈黙。
「……考えすぎだろ」
誰かが笑おうとして、失敗する。
その時だった。
床下から、低い振動。 遠雷のような、しかし規則的な揺れ。
格納区画の方向だ。
「――起動音?」
中村理香が、息を呑む。
次の瞬間、校内放送が入った。 いつもの事務的な女性音声ではない。
一色涼の声だった。
《全戦纏班生徒へ》
《装備を装着し、第二待機区画へ移動》
《繰り返す。これは訓練ではない》
「……は?」
誰かの喉から、乾いた声が漏れた。
“訓練ではない”
その一言が、 教室の空気を凍らせる。
「ちょ、待て……」
井上京香が立ち上がり、足をもつれさせる。
「戦闘しないって……」
「支援だけ、って言ってたよね……?」
誰も答えられない。
三宅翔太が、深く息を吸った。 そして、はっきり言う。
「落ち着け。やることは変わらない」
その声は、意外なほど通っていた。
「俺たちは戦わない。 魂夢班が前に出る。 俺たちは、後ろを支える」
一人一人の顔を見る。
「……次、誰も落とすなよ」
言葉を選んだ、精一杯の表現。
“ミスをするな”でもない。 “失敗するな”でもない。
――命を落とすな。
そう言っているのと、同じだった。
戦纏の装着が始まる。
補助フレームが身体に噛み合い、 関節が固定される。 昨日より、手順が早い。
「……慣れって、怖いな」
川村が、乾いた笑いを漏らす。
「違う」
田島が即答する。
「慣れたんじゃない。……もう、戻れないところまで来ただけだ」
格納区画のシャッターが半分開く。
その向こうで、 魂夢の起動音が重なり合っていた。
蒸気。 低い駆動音。 金属が“目を覚ます”音。
「あれ……」
吉田麻衣が、小さく言う。
「なんで、あんなに近いの……?」
モニターに映し出された座標。 学園から、直線距離で数キロ。
誤報なら、あり得ない距離。
誰かが、はっきりと呟いた。
「……本物だ」
その瞬間、 警戒レベルが切り替わる。
《警戒レベル・レッド》 《異形反応、確定》
言葉を失う。 足が、重くなる。
それでも、動かねばならない。
戦纏は、まだ血を知らない。 だが―― この一歩の先に、 それがあることを、全員が理解していた。
遠くで、魂夢が出撃する。
その背中を、 戦纏班は見送るしかなかった。
まだ、前には立てない。 だが、ここから逃げることもできない。
警報音が鳴り続ける中、 霞ヶ丘学園は、 初めて“戦場の側”に立った。
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『魂夢班』
――機体が、先に気づいた――
格納庫は、いつもより静かだった。
照明は落とされ、天井の誘導灯だけが、一定の間隔で床を照らしている。
鋼鉄と油の匂い。冷えた空気。
魂夢が並ぶその空間は、眠っているというより
――息を潜めているように見えた。
高瀬拓真は、自分の機体の前で立ち止まる。
高瀬機。
まだ愛称はない。呼ばれる必要がないからだ。
「……なんか、重くない?」
ぽつりと、藤堂が言った。
冗談めいた口調だったが、目は笑っていない。
「空気が?」
櫻井が聞き返す。
「いや、違う。
――近づくとさ、こう……押される感じ」
拓真も、同じ感覚を抱いていた。
一歩、また一歩と機体に近づくにつれて、胸の奥がわずかに締めつけられる。
計器は正常。
警告音もない。
点検ログにも異常は記録されていない。
それでも――何かが、いつもと違う。
「前の誤報のときは、こんな感じなかったよな」
拓真の言葉に、藤堂が小さく頷く。
「あのときはさ、うるさかった。
警報も、人も。
今回は……静かすぎる」
魂夢は沈黙したままだ。
だがその沈黙が、逆に不自然だった。
櫻井は、自分の機体の外装に手を当てる。
冷たいはずの装甲が、わずかに――体温を持っているような錯覚。
「……聞いてる?」
もちろん、返事はない。
けれど、その瞬間。
拓真の視界の端で、モニターが一瞬だけ明滅した。
「今、見た?」
藤堂も気づいたらしい。
二人の視線が、同時に高瀬機へ向く。
表示はすぐに安定する。
エラーコードは出ない。
「誤作動?」
櫻井の声は、慎重だった。
「……だったらいい」
拓真は、そう答えるしかなかった。
魂夢は、人の操作を待つ兵器だ。
少なくとも、教本にはそう書いてある。
だが今は――
操作される前に、何かを察しているように思えてならない。
格納庫の奥で、微かな金属音がした。
どこかの機体が、内部機構を自律調整した音。
それを合図にしたかのように、
周囲の魂夢が、ほとんど同時に低い駆動音を立てる。
「……同期、してないよな?」
「してない。勝手に、だ」
誰も笑わなかった。
拓真は、無意識のうちに拳を握る。
胸の鼓動が、さっきよりはっきり聞こえる。
(来る)
理由はわからない。
根拠もない。
それでも――
これは、誤報の空気じゃない。
魂夢は、まだ動かない。
だが確実に、目を覚ましている。
そしてそのことに、
人間のほうが、遅れて気づき始めていた。
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