第3話 湯けむりの攻防戦
雪を溶かしただけの澄んだ湯面から立ち上る湯気が、俺たちの火照った顔を包み込んでいる。
肌と肌が触れ合う距離。密着する体温のせいか、思考がとろりと甘いものに溶け始めていた。
「お嬢ちゃん、失礼。お背中流しますわ」
ヴェロニカが手拭いを手に俺の背後へ回る。
先ほどまでの妖艶さはそのままに、その指先の動きは驚くほど繊細だ。
俺の華奢な背骨をなぞり、肩甲骨のくぼみを丁寧に揉みほぐしていく。
「ん、そこ……いいですね」
「ふふ、お疲れのようですわね。この華奢な肩で、どれだけの重圧を支えてこられたのかしら」
彼女の指は、魔法薬を調合する時のような慎重さで俺の肌を慈しむ。薬品で少し荒れた指先がかえって心地よい刺激となる。
「お前もな、ヴェロニカ。……その指、ささくれ立っていますよ」
「あら、バレちゃった。新しい毒薬の研究で少しね」
彼女は照れ隠しのように俺の首筋をくすぐった。
「では、次は私が聖女様のおみ足を……」
リーゼロッテが意気込んで俺の左脚を持ち上げた。
武人らしい、ごつごつとした指。剣ダコで固くなった掌。だがその手が俺の柔らかな肌に触れる瞬間だけは、羽毛を扱うように優しい。
「……くすぐったいですよ、リーゼロッテ」
「申し訳ありません!ですが、聖女様の脚は雪道で冷え切っておいでですので、入念に揉みほぐさねば……!」
言い訳をしながら彼女は熱心に――少々熱心すぎるほどに、俺の太腿や膝裏を揉みしだいてくる。真剣な眼差しで見つめられると妙な背徳感があるからやめてほしい。
「……ん。手、きれい」
正面から俺に抱きついたままのセツナがぽつりと呟いた。
彼女は俺の右手を自分の両手で包み込み、うっとりと見つめている。
冷たく、けれど的確に人の命を奪う暗殺者の手。その小さな掌が今は俺の指を一本ずつ洗い、爪の先まで愛おしげに撫で回している。
「ご主人様の手。……何も壊してない。何も殺してない。きれいな手」
セツナの純粋な言葉が胸にチクリと刺さる。
俺は自分の手を見た。
白魚のような、傷一つない少女の手。
銃ダコもなければ硝煙の染み付いた汚れもない。誰かを殴り飛ばした痛みも引き金を引いた感触も残っていない。
(……ああ。そうだ)
今の俺は「聖女」だ。
だが俺の
多くの命を奪い、多くのものを壊してきた呪われた手であることを。
「……綺麗、ですか?」
俺は自嘲気味に問うた。
「この手は、貴女たちが思うほど清らかではありませんよ。……かつては多くの罪を重ねてきた手です」
「ええ。存じておりますわ」
ヴェロニカが、俺の濡れた髪をかき上げながら即答した。
「お嬢ちゃんの手は、確かに多くの『
「えっ」
「そうですとも!」
リーゼロッテも力強く頷き、俺の左手を強く握りしめた。
「この細い指がトリガーを引く瞬間、どれだけの命が救われたか!私たちが絶望の淵にいた時、その手を差し伸べてくださったのは誰あろう聖女様ではありませんか!」
「……ん。この手、好き。あったかい」
セツナが俺の掌に頬をすり寄せ、猫のように喉を鳴らす。
三者三様の手が俺の手を包み込んでいる。
薬品で荒れた手。剣ダコのある手。冷たい暗殺者の手。
どれも「乙女」の手ではない。生きるために戦い、傷つき、汚れながらも何かを掴もうとしてきた「戦士の手」だ。
そんな彼女たちの手が、俺の汚れた魂が入ったこの手を美しいと言ってくれる。
(……やれやれ。敵わないな)
俺は目の奥が熱くなるのを感じ、誤魔化すようにセツナの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「……そう言ってもらえるなら、この『手』も悪くないですね」
俺は彼女たちの手を握り返した。
柔らかくて、硬くて、温かい。
かつて引き金しか引けなかった俺の手は今、こうして誰かの体温を確かめることができる。それだけで、転生した意味はあったのかもしれない。
湯気の中に柔らかな沈黙が流れる。
肌と肌の触れ合いが言葉以上の何かを伝えていた。
「さて……。随分のぼせてきましたね」
「ですわね。お酒も回ってきましたし」
ヴェロニカが頬を赤らめ妖艶な視線を送ってくる。リーゼロッテも熱っぽい息を吐き、セツナは俺の胸に顔を埋めたまま動かない。
どうやら「癒やし」の時間は終わり、次の段階へ移行する気配が濃厚だ。
だがその前に、この極上の時間を締めくくる仕上げが必要だ。
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