聖女のスカートの中には、祈りよりも重い鉄がある VI ~その「手」が掴むのは、湯けむりと乙女の肌~

すまげんちゃんねる

第1話 白銀の慰安旅行

 キュッキュッという雪を踏みしめる音が静寂な銀世界に響く。

 北方の山岳地帯、白銀の峰。

 かつてドラゴンの卵を巡って死闘を繰り広げたこの場所に、俺たちは再び足を踏み入れていた。

 だが今回の装備はいつもの戦闘装束とは少し違う。

 背負っているのは武器弾薬ではなく、着替えやタオルが詰まった大きなリュックサック。

 俺――聖女セレスティアも、今日は軍用コートではなく、ふわふわとしたファーのついた雪国仕様の防寒具を着せられている。


「……寒いですね。足の感覚がありません」


 俺はゴーグル越しに空を見上げ白い吐息をこぼした。

 相変わらずの硝子細工ボディ。この程度の寒さでも魔力炉の出力が落ち、体の芯から震えが来る。

 本来ならストーブの前で丸くなっていたいところだが、今日ばかりはそうもいかない。


「もう少しですわ聖女様!地図によればあの岩陰を抜けた先に『幻の秘湯』があるはずです!」


 先頭を歩くリーゼロッテが雪まみれの地図を振り回して叫んだ。

 彼女も今日は全身鎧フルプレートを脱ぎ、厚手の外套に身を包んでいる。武器も護身用の剣一本のみ。

 今回の任務は「敵情視察」でも「要人警護」でもない。

 帝国との連戦で消耗しきった心身を癒やすための、数日間の『特別休暇』――早い話が、慰安旅行だった。


「温泉……。いい響きです。硫黄の香りに包まれて、手足を伸ばして泥のように眠る。……悪くありませんね」


 俺の口元が緩む。

 前世のヴォルフガングだった頃も、任務の合間に入った野湯の記憶は格別だった。冷え切った腰に熱い湯が染み渡るあの感覚は、酒にも女にも勝る極楽だ。


「……ん。温泉卵、楽しみ」


 俺の腕を掴みながら暗殺メイドのセツナが顔を上げた。

 彼女は雪に足を取られるたびに、俺にしがみつくのを口実に体を寄せてくる。吐息がかかる距離だ。


「温泉卵だけじゃないわよセツナちゃん。……湯上がりの冷えたお酒、そして火照った体を冷ます夜風。うふふ、想像しただけで酔ってしまいそうだわ」


 最後尾を歩く魔女ヴェロニカは、リュックのサイドポケットに酒瓶を突っ込み、上機嫌でスキップに近い足取りだ。


 リーゼロッテ、セツナ、ヴェロニカ。

 そして懐の中で温まっている幼竜バレット。

 いつもなら硝煙と血の匂いがつきまとう一行だが、今日はまるで初めての夜会に向かう令嬢たちのような浮かれた空気が漂っている。


 平和だ。

 誰かを殺す必要も守るために命を削る必要もない。

 俺はニッキ飴を口の中で転がし、白い息と共に満足感を吐き出した。

 こんな旅も、たまには悪くない。


 そう思っていた。

 目的地に到着するまでは。


          *


「……これは、どういうことですか」


 岩場を抜け、開けた谷間に出た瞬間俺の思考はフリーズした。

 そこにあるはずの光景がない。

 古い地図には、湯気を上げる天然の露天風呂と、旅人のための粗末な脱衣小屋が記されていたはずだった。

 だが、俺たちの目の前に広がっていたのは――


 一面の、白。

 ただひたすらに続く分厚い雪の平原だった。


「……ありませんわね」

「……温泉、ない」

「埋まってるわね、完全に」


 三人が同時に絶望的な事実を口にした。

 周囲の地形を見るに、数日前に大規模な雪崩が発生したらしい。谷底にあったはずの秘湯は、数メートル、下手をすれば十数メートルの雪の下に埋没してしまっていたのだ。


「そ、そんな……!私の、聖女様との入浴計画が……!」


 リーゼロッテが膝から崩れ落ち雪に拳を叩きつける。

 セツナも犬が耳を垂れるようにがっくりと項垂れ、ヴェロニカは酒瓶を抱きしめて呆然としている。

 無理もない。温泉という最高のご褒美を目の前にぶら下げられ、この極寒の中を歩き通したのだ。その梯子を外された精神的ダメージは計り知れない。


「……帰りましょうか」


 俺は静かに告げた。

 残念だが自然の猛威には勝てない。スコップ一本でこの量の雪を掘り返すのは不可能だ。湯にありつく前に凍え死ぬ。

 大人しく引き返し、宿の狭い風呂で我慢するのが賢明な判断だ。

 それが、合理的だ。


 そう、いつもの俺ならばそう判断しただろう。


 だが。

 踵を返そうとした俺の目に、仲間たちの顔が映った。

 涙目の騎士団長。ションボリと項垂れるメイド。ため息をつく魔女。


 彼女たちは、いつも俺のために命を張ってくれている。

 俺が彼女たちを守っているだけではない。彼女たちもまた、硬い甲冑を凹ませ、返り血を浴び、その美しいドレスを何度も切り裂かれて――それでも俺の背中を支え続けてくれている「共犯者」たちなのだ。


 そんな彼女たちとの、せっかくの休日を、こんな間抜けな結末で終わらせていいのか?

 たかが雪ごときに、俺たちの楽しみを奪わせていいのか?


(……否)


 俺の中で、理不尽に対する怒りの火種が燻った。

 前世からの悪癖だ。

 「仕方ない」と言われると、無性に「なんとでもしてやる」と抗いたくなる。


「……待ちなさい」


 俺は踵を返し、雪原の中央へと歩き出した。


「聖女様?何を?」


 俺は無言のまま厚手の防寒コートを脱ぎ捨てた。

 さらにスカートの裾を大胆にまくり上げ、ガーターベルトで太腿に固定された「相棒」を露出させる。

 可変式パイルバンカー『罪咎ザイ・キュウ』。

 冷たい雪風にさらされ、鈍色の鋼鉄がギラリと光を反射した。


「……諦めるのは早いですよ、子羊たち」


 俺は凍りついた雪の上にパイルの先端を突き立て、固定用アンカーを展開した。


「温泉がないなら作ればいい。

 雪なら売るほどあります。そして熱源エネルギーなら、ここにある」


 俺の意図を察したのか、懐の幼竜バレットが「ギャウッ!」と鳴いて飛び出しパイルバンカーの機関部に巻き付いた。

 喉奥に、赤い熱が灯る。


「……えっ?まさか、聖女様……」

「この雪を全部……溶かすおつもりで!?」


 リーゼロッテとヴェロニカが悲鳴のような声を上げる。

 正気ではない。だが、正気で戦場は渡り歩けない。


「湯加減は『熱め』で頼みますよ、バレット。……一瞬で沸かしてやりますから」


 俺は不敵に笑い、パイルの出力レバーを限界まで引き絞った。

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