比翼の鳥

黒井咲夜

死がふたりを分つまで

古都、京都府は京都市。

京都御所と鴨川に程近い場所に、一軒の日本家屋がある。京都が一大観光地として栄える前からあるその建物は、寒さが緩みつつある早春でも朝晩は冷え込む。

そんな冷え込む中、手奈土てなづち美卯みうは下着姿のまま行李こうりと睨めっこしていた。


(お役所に行く時って、小紋でもええんやろか)


美卯の目の前にある行李こうりには、ふたつの衣類が収まっている。

ひとつは、紺色の三つボタンブレザー。

もうひとつは、黄色地に一面の桜模様が友禅ゆうぜんで描かれた小紋。


(正装やったら制服やけど、学校の友達が見たらよう言わんやろし……)


美卯の視線の先――座卓の上には、一枚の紙。

シンプルな書式のA4サイズの紙に、しっかりと「婚姻届」と記されている。


18歳の誕生日である今日、美卯はする。


「こいさん?こいさーん?篝火かがりび様が来やはりましたよーっ」


襖の向こうから美卯を呼ぶ声がする。


「は、はい!今行きます!」


美卯はしばし考えて、襦袢じゅばんに袖を通した。


  **


着替えを終え屋敷の玄関に向かうと、緋色の着物が美卯を待っていた。


けんさん!」


篝火かがりびけん。美卯の婚約者――というよりは、事実上の夫と言うべき人物。


「お早う、美卯。市役所に出す書類はしっかり持ってきたかい?」


「もちろんです。婚姻届も、パスポートも、ちゃあんと持ってきとりますよ」


「ならば良い。足奈土あしなづち殿が此方こちらまで車を回してくださるから、一寸ちょっと座っているといい」


美卯の生家である手奈土てなづち家は、ただの旧家ではない。

この世界には『霊力れいりょく』と呼ばれる神秘の力と、その力を糧とする不可視の怪物『モノノケ』が存在する。

手奈土家は代々霊力を操りモノノケを倒す役目を負う者であり、『五行家ごぎょうけ』と呼ばれる名家のうちのひとつである。

五行家は古くから交換結婚を行うことによって家同士の繋がりを深め、霊的能力を保ってきた。

美卯もその伝統に基づき、15歳の時に行の分家にあたる篝火かがりび家の剣と儀礼ぎれい上の婚姻を行なった。

そして高校卒業を控えた今、ふたりは名実ともに夫婦になろうとしていた。


「……美卯」


「はい?」


「引き返すなら、今しかないぞ」


剣の声色は決して冗談めかしたものではなく、一語一句が冷え切った三和土たたきに染み込んでいく。

世界中の全ての音が消えたかのような静寂。

それを破ったのは、美卯の方だった。


「それは……うちとの結婚が、お嫌になりやったんですか?」


「いや、そう云う訳では――」


剣が弁明をしようとしたが、その言葉はクラクションの音に遮られる。


「早よういきましょ。足奈土あしなづちさんを待たしとくんもあかんでしょう」


「……ああ、行こうか」


前を向いて毅然とした表情の美卯の後ろを、ばつの悪そうな顔で剣が着いていく。

険悪な雰囲気のふたりを乗せて、黒いクラウンが京都の町へ滑り出していった。


  **


京都市役所の庁舎は、古めかしい石造りの洋風建築である。

曇天の中にそびえ立つ庁舎はまるでゲームのダンジョンのようで、その敷地内を着物姿の美卯と剣が歩くとより一層非日常感が増すようだ。


「あの……すいません。婚姻届出すのって、ここでよろしございますか?」


「はい。婚姻届と、本人確認のできるものはお持ちですか?」


「パスポートやったらありますけど、他になんか必要でっしゃろか?あ。婚姻同意書やったら、そんファイルん中に入ってましょう?」


窓口係の職員はパスポートを差し出した美卯見て、一瞬眉をひそめる。

無理もない。どう見ても未成年――ともすれば中学生に見える美卯に対して、夫となる剣は白髪混じりの髪と病気で痩せこけた頬のせいで、実年齢より10歳は老けて見える。

干支一回りほど離れた(実際にはふたりは5歳差なのだが)着物姿の男女。何かしらの事情を勘繰らざるを得ない組み合わせだろう。


「剣はんは本籍地が茨城ですから、コセキショーホン?もいるんでっしゃろ?」


「……美卯。必要になるのは戸籍抄本でなくて、戸籍謄本だ」


「ショーホンとトーホンやと、何がちゃうんです?」


「書いてある内容が違うんだ」


ふたりの他愛のないやり取りを見て安心したのか、職員の表情が少し緩む。


手奈土てなづち家の財産にかか諸般しょはんの行政手続きを足奈土あしなづち殿から教授されている美卯が戸籍謄本と戸籍抄本を間違える訳がない……成程なるほど、先程のやり取りは職員の人心じんしん掌握しょうあくするためのものか)


「受理いたします……あっ、おめでとうございます」


職員が「おめでとうございます」というのを一瞬ためらったことに気づいたが、剣はあえて口に出さないことにした。

未成年の妻と、成年の夫。傍目はためから見て祝福される結婚でないことは、剣自身がいちばん分かっていたからだ。


矢張やはり、美卯は私と結婚するべきではなかったのだろうか……)


「剣はん、この後お時間ありますか?」


「ん……ああ、特にないが……」


美卯が剣を見上げて、にっこりと微笑む。


「ほな、うちまで歩きましょか」


  **


市役所から手奈土てなづち邸までは歩いて40分弱。少なくとも30分、美卯と剣はふたりきりの時間を過ごすことになる。


「つつがなく終わってよかったです。明日から忙しゅうなりますね」


「……擬制成年ぎせいせいねん制度、だったか。未成年18歳の美卯でも、私と結婚すれば成年20歳と同じように法律行為が出来る様になる」


「さいですね。今まで足奈土あしなづちはんに任せとった手奈土うちの財産やら何やらも、ようやっと当主として継げます」


「しかし……その、結婚を急ぐことも無かったのではないか?あと2年待てば――」


「そないに待てしまへん。今でさえ、ようさんの分家がおたあさんらの遺産を狙っとんのです。悠長にしとったら、うちが大学出る頃にはなんものうなってしまいます」


歯切れの悪い剣に対して、美卯は毅然とした態度で返す。


「剣はんはほんま、うちのこと気にかけてくれてはるんやね」


この言葉を額面通りに受け取ってはいけない。

美卯は暗に「自分の決めたことにいちいち口を出すな」と、剣に伝えているのだ。


「美卯。私は……君に幸せに成って欲しい。君はまだ18歳だ。友達と他愛のない事で笑って、泣いて、その……恋をしたって、構わない年齢じゃあないか。だから私は言ったんだ。『引き返すなら、今のうちだぞ』、と」


「……ほんま、いけずやね。剣はん『千里眼』なんやから、うちがこの先どう答えるかなんて、言わんでもわかってはるやろ?」


そんなことは叶わないと、ふたりとも分かっている。

美卯は手奈土家の当主。他人に弱味を見せることは許されない。

剣は未来を視る『千里眼』。これから起こること全てを知っているが故に、なにかに一喜一憂することはない。

そしてなによりも、ふたりは霊者。人ならざる力を操り、夜に蔓延はびこるモノノケを狩る霊者は、霊者でない者と同じように生きることはできない。


「……そら、知らん人はよう言わしませんでしょう。学生やのに子がおったら、いらん勘くられるかもわからん。せやけど、そないなことはどうでもええ。うちは剣はんを選んだんです。前も、今も、これからも。ぜーんぶまとめて、うちのこと見てくれはる、あなたがええんです」


「……気味が悪くはないのか?未来さきの事を何もかも分かっている人間が、側に居るのが」


「そんなことあらしまへん。むしろ頼もしいぐらいです」


見計らったかのように鈍色の曇り空の合間から陽が差す。

美卯の栗色の髪が、陽の光を浴びて輝いた。


嗚呼ああ……そうか、私は)


「……きっと、君に出逢う為に産まれてきたんだ。君と生きて、君と、未来を創る為に」


剣は知らず知らずのうちに、美卯にかしづいていた。

周囲の目もはばからないその姿は、古都の街並みと相まって一枚の絵画のようなオーラを放っている。


「今改めて誓おう。健やかなる時も病める時も、この命ある限り、君を助ける」


「なにをいまさら言うてるんです。手奈土の婿なんやから、うちの知らんとこで死ねるなんて思わんでくださいね」


美卯が手を取り、ひざまづいている剣を立たせる。

ふたりの進む先に何が待ち受けているのか。

それは今は、神のみぞ知ること。

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