『封印区画で手を繋いだら、魔力が同調しました』

白玉蓮

短編 『封印区画の札が焦げていた』

大図書館の最奥

――封印区画の扉に貼られた札が、ほんのわずかに焦げていた。


最初に気づいたのは、アリシアだった。

けれど「見間違いかも」と、胸の奥に押し込めてしまう。


王立魔術学院の大図書館は「知識の聖域」と呼ばれる。

石造りの壁は冷たく、天井まで届く書架が影を落とす。

数万冊の魔導書と羊皮紙、遺物の類いが、静謐の中に眠っている。


――眠っているはずだった。


「よいしょ……っ」


アリシアは分厚い魔導書を抱え直し、閲覧机へ急いだ。

書庫管理人としての仕事は慣れてきたはずなのに、本の重さに足取りが鈍る。


机まであと数歩。


そのとき足先が何かに引っかかり、体が前へ跳ねた。


「あっ――」


どさり。魔導書が机に落ち、積まれていた羊皮紙がふわりと舞う。

紙片の雪は、隣の席の青年の頭上へ正確に降り注いだ。


「…………」


空気が固まる。


「ご、ごめんなさいっ!」


アリシアが紙を掻き集める横で、青年――リオネルは淡々と顔を上げた。

透き通る銀髪に、氷のような青い瞳。

学院一の秀才で、孤高の王子と噂される人物だ。


「……君は本を凶器に変える新たな魔術でも研究しているのか」

「違いますっ。ちょっと足を引っかけただけで……」

「その“ちょっと”が一番危うい」


言葉は冷たい。

けれど彼は無言で羊皮紙を拾い、端を揃えて机に置く。

叱っているのに、手は優しい。

その不釣り合いが、アリシアにはひどく刺さった。


(ずるい。そんなふうにされたら――)


「……ごめんなさい。次は気をつけます」

「次を想定している時点でアウトだ」


容赦ない。なのに、席を立たない。

アリシアはしゅんとしながら、胸の内だけが忙しく跳ねるのを持て余した。


同じ書庫管理人になってから、リオネルの隣に座れる日がある。

それだけで、今日も幸運だと思ってしまう。



羽根ペンの走る音。紙の擦れる音。

図書館は世界から切り離されたように静かで、だからこそ意識が余計な方へ逸れてしまう。


アリシアは呪文の記述を追っていた

――はずが、いつの間にかリオネルの横顔を見ている。


長い睫毛。目元の影。

文字を読むときだけ、ほんの少し柔らかくなる表情。


(本当に本が好きなんだな……)


思った瞬間、心臓が熱くなって慌てて視線を戻した。

そして衝立の角に額をぶつけた。


「っ……いた……」


「……君は、落ち着きという言葉をどこに落としてきた」

「うぅ……」

「自分の不注意に、もっと厳しくあるべきだ」

「面目ないです……」


冷たいのに、見捨てない。

危険から遠ざけようとする。

誰も寄せつけないくせに、誰かを守ることは譲らない。


(だから怖い)


リオネルが前に出るたび、胸が冷える。

彼は自分が傷つく未来を、当然のように引き受けてしまう。


「じゃあ、こっちの本を片付けてきますね」


数冊を抱え、立ち上がった瞬間だった。


――低い唸り。


床が震え、書架が軋む。

本の山が崩れ落ち、石床を叩く重い音が連続する。


「な……なに……!?」


悲鳴が走った。

視線の先、封印区画から赤黒い光が漏れていた。

光は渦を巻き、膨張し、触手のように周囲へ伸びる。

机を呑み込み、椅子を砕き、羊皮紙は灰になって舞った。

耳を裂く高音が空間を満たし、空気が歪む。


「魔道具の暴走だ!」


学生たちが出口へ殺到し、逃げ遅れた数人が床に座り込んで動けない。


リオネルが立ち上がり、杖を抜いた。


「下がってろ!」


声が鋭い。迷いがない。

アリシアも杖を抜こうとして――焦りで指が滑った。


「あっ……!」


杖が床を転がり、逃げ惑う足元へ消えそうになる。


「……君は敵を倒す前に、自滅するつもりか」

「ご、ごめん……!」

「俺が止める。君は教師を呼べ!」


命令のように言い切られ、アリシアは頷きかけて、動けなかった。


(置いていけない)


赤黒い触手が再び伸び、リオネルの背後へ迫る。

彼は逃げ遅れた生徒の前に立ち、身を盾にした。


「アリシア! 早く行け!」


叫ばれるほど、足が縫い止められる。

彼が一人で戦う姿が――怖い。


アリシアは転がった杖へ駆け出した。

足がもつれ、派手に転ぶ。膝が痛い。

けれど痛いと言っている場合じゃない。


「まったく君は……!」


リオネルのこめかみに青筋が浮かぶ。


「邪魔だと言ってるだろ! 逃げろ!」

「いやだ! 一緒に――!」


「戦う? 君がか。……ふざけるな」


言葉が刺さる。胸がきしむ。

でも、その背中を見ていると、黙れない。


「私だってやる時はやる!」

「気合いで魔術は回らない!」


触手がリオネルを呑み込もうと伸びた。

アリシアは叫んだ。


「じゃあ、誰がリオネルを守るの!?」


自分でも驚くほど、声が震えた。

それでも続ける。


「私は……リオネルを失いたくない!」


リオネルの瞳が大きく揺れた。


次の瞬間、アリシアの体が動いていた。

恐怖より、彼が傷つく未来のほうが怖い。


「私は――リオネルが好き!」


告白は魔術の詠唱よりずっと不器用で、だけど、嘘がなかった。


青い光がアリシアの杖から漏れ、金の光がリオネルの杖先から迸る。

二つの光が引かれ合い、絡み合い、呼吸のように波形を揃えていく。


「……魔力が同調している……?」


リオネルの声に、初めて動揺が混じる。


リオネルはアリシアの手を握った。

握らなければ、この共鳴がほどけてしまう気がした。


「て、ててて手……!」

「離すな。集中が散る」


低い声は命令のはずなのに、支えに聞こえた。

赤黒い渦が悲鳴のように軋む。金と青の光が包み込み、押し潰す。


「アリシア。魔力を合わせろ」

「どうやって……!?」

「感覚でいい。俺の呼吸に合わせろ」


呼吸。

胸は痛いほど速い。

けれど――繋いだ手から伝わる温度が、心拍を整えてくれた。


(大丈夫。ここにいる)


青と金が重なり切った瞬間、閃光が図書館を白く塗りつぶした。


赤黒い光が断末魔のように弾け、触手がほどけ、暴走が収束する。

轟音が消え、深い静寂が戻った。


二人は手を握ったまま、肩で息をしていた。

アリシアの頬は熱く、リオネルは視線を逸らしている。

なのに、手だけは離れない。


やがて教師たちが駆け込み、魔道具は再封印された。

図書館の一角は無残に崩れたが、大きな犠牲は出なかった。


それでも――アリシアとリオネルは、まだ手を繋いだままだった。


「……あの」

アリシアが恐る恐る言う。

「手、離したほうが……いい、よね」


リオネルの肩がぴくりと揺れた。


「別に……離したければ、君が勝手にすればいい」


手を引こうとした瞬間、ぎゅっと握り返された。


「――待て」

「え?」

「……今は、まだこのままでいい」


掠れるような声。

アリシアの胸が、痛いほど跳ねる。


リオネルは顔を背け、冷たさを装う。


「君は本当に足手まといだ。俺のサポートなど百年早い」

「……手厳しい」

「だが――」


一瞬だけ、声が柔らかくなる。


「……俺を救ったのは、君の魔力だ。ありがとう」

「……え」

「そんな目で見るな。礼を言っただけだ」


耳まで赤い。早口。

分かりやすいほど不器用で、アリシアは笑ってしまいそうになる。


そこへ、呑気な声が割り込んだ。


「おやおや、これはこれは」


入口の影に、生徒会長のカミルが腕を組んで立っていた。口元に薄い笑み。


「“両片想い観測日記”のネタがまた増えたね」

「「はぁ!?」」


抗議が見事に揃い、カミルは満足げに頷く。


「図書館半壊は大問題だけど……

この後は二人に仲良く始末書でも書いてもらおうかな」

「生徒を守ったのに、なぜ始末書なんだ」

「命がけだったんですよ?」


二人の訴えを、カミルは笑顔の圧で切り捨てる。


「アレはアレ、コレはコレ。ね?」


夕陽が、半壊した窓から差し込む。床に伸びる影は二つ。

どこかぐったりしながら

――けれど、もう一度手を離す理由を失ったみたいに並んでいた。



修復のため図書館はしばらく閉鎖された。


仕事がないのは楽なはずなのに、アリシアは寂しかった。

リオネルと顔を合わせる理由がなくなるからだ。


再開初日。

図書館は生徒で賑わっていた。


「リオネル、今日からまたよろしくお願いします!」

「ああ。まずはあれの整理を頼む」


カウンターの向こうで、リオネルは修復から戻った本の山を指す。


「……すごい数」

「貴重な本ばかりだ。戻ってきてよかった」


言いながら彼は一冊を手に取り、ほんの僅かに笑った。


(その笑顔、いつか私にも向けてくれたりするのかな)


胸の奥が、羨ましさでちくりと痛む。


「リオネル君、探している本があるの」

「ああ、どの本だ?」


彼に話しかける女生徒が増えている。

空気が柔らかくなった、と噂されていた。


アリシアは、あの日の手と、あの日の「ありがとう」を思い出して、

勝手に不安になる。


(吊り橋効果の幻だったのかも……)


そんな弱気が顔を出したところで。


「書庫管理人さん、この本取ってもらえませんか?」

「あ、はい!」


脚立を動かし、棚に手を伸ばした瞬間、足元がつるりと滑った。


「うわ……」


落ちる、と思ったのに

――背中から抱き留められた。リオネルだった。


「本当に、君の危機管理はどうなっている」

耳元の声。心臓が暴れる。


「……俺の気持ちも考えてくれ」

「す、すみません……」


アリシアは彼の手を借りて脚立を降りる。

指が触れるだけで、熱が移るみたいに鼓動が早くなる。


女生徒に本を渡したリオネルは、涼しい顔でカウンターへ戻っていく。

アリシアは、さっきの言葉を反芻して立ち尽くした。


(……俺の気持ち?)


ふと見ると、リオネルの耳が赤い。

夕暮れの光のせいではない、たぶん。


恋心を自覚するには、もう少し時間がかかるのかもしれない。

それでも確かに――二人の物語は、ここから始まる。


図書館の夕暮れは、静かに二人を照らし続けていた。


END

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『封印区画で手を繋いだら、魔力が同調しました』 白玉蓮 @koyomi8464

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