第3話 得る

 私がこの家を選んだ。

 注文住宅を建てる時間もお金もとにかく余裕がなかったから、いくつかの建売物件を内見して見つけたマイホームだ。インテリアデザイナーが関わっていたらしく、所々におしゃれな壁紙や装飾があり、気に入っている。何より、日光をすべて飲み込んでくれるような大きなリビングの窓がとても好きだ。換気もしやすいし。昔から住む家にはこだわりがあった。絶対に薄暗い家はダメ。


 私は成長と共に、愛に、幸せに飢えていったように思う。

 私には学生時代も社会人になってからも、親友と呼べる友人はいたし、特に祖母はいつも私を大事にしてくれた。親は、社会に出ることは独り立ちだと言わんばかりに、黙って私を送り出した。昔は十五歳で元服だった、というのが母の口癖だったことを、今でも覚えている。愛の表現方法は人それぞれだから、過去に不満があるわけでは決してない。けれど、なぜだかずっと心に、ぽっかりと足りないものがあった。それが満たされるまでは何が足りなかったのかわからなかったし、満たされた後にそれを失った時の喪失感は想像を絶するもので、私は愛が、幸せが、よくわからなくなった。


 社会に出て、事務職として会社勤めの日々を過ごした。最初こそ、初めての電話対応、書類作成や整理、毎月末の締め業務など、初体験の業務にワクワクと緊張を感じながら取り組んでいたけれど、それも数年経てば、一日を少しでも早くやり過ごすための作業になった。同じような電話を取り、頭を使わなくても口からスラスラと出てくる応答をして、すっかりテンプレートが染みついた両手がキーボードを叩き、書類を作ってくれる。最近の締め業務なんかは、便利な業務システムも導入されて、AIが作業のちょっとしたミスを訂正・指摘してくれる。私なんか、もういらないんじゃないの?なんて思ってしまう。まあ、そんなAIもたまにはミスをしてくれるから、まだまだ人間も捨てたもんじゃないな、とも思うけれど。


 週末は、そんな仕事の憂さを晴らすべく、繁華街へ繰り出した。生まれは田舎の方だったから、就職にあわせて都会に出てきて、本当に良かったと思う。街に出れば、いくらでも楽しい娯楽が溢れていた。ショッピング、あらゆるジャンルの飲食店、大衆居酒屋。その後は、マスターが切り盛りしている、こじんまりとした雑居ビルのバー。深夜になってきたら、クラブに行けばよかった。


 クラブでは、DJブースの両サイドに置かれている、高さ一メートルほどはある大きなスピーカーから流れるEDMに身を任せ、重低音を全身に響かせながら踊った。カウンターでお酒を頼み、そこで出会った名前も知らない相手と、たわいもない話をしながら朝まで過ごした。途中でクラブを抜け出して……なんてこともあったけれど。まあ、それも楽しかった思い出ということで。毎日、夜を1人で過ごさない事が大事だった。誰かが側にいてくれるだけで寂しくなくて幸せだった。


 あの人とは、そんな週末の日々の中で出会った。

 クラブでひとしきり楽しんだ後、行きつけのバーのカウンターで、友達と「クラブで出会った、Tシャツ一枚で踊り狂うおじさん」の話で盛り上がっているところに、後ろから声をかけられた。二人組で、私たちも二人組だったことから、自然と話は盛り上がり、気づけば店を変え、大衆居酒屋で朝まで語り合っていた。SNSのアカウントを交換し、そこからは頻繁にやり取りをするようになった。朝は出勤前の挨拶を送り合い、休憩のたびに、仕事が疲れたとか、お昼は何を食べているのかとか、今日は残業だとか。夜は毎日のように電話をして、寝落ち通話なんかもしていた。繰り返していた毎日が、繰り返したい毎日になっていた。


 そんな関係が続いて数か月後、めでたく私たちはお付き合いをすることになった。そろそろかな、とは思っていたから驚きはなかったけれど、素直に嬉しかった。これまでもお付き合いの経験はそれなりにあったものの、学生時代の恋愛のほうが数としては多かったし、初めて結婚を意識したお付き合いだった。


 最初の共同作業は、家探しだった。

 当然、まだ付き合いたてのカップルだから、賃貸マンションをいろいろと見て回った。仕事の合間で、隙あらば住まい探しのサイトやアプリを流し見し、家賃と築年数、風呂トイレは絶対別、というこだわりを出し合って、最良の部屋を探した。部屋を探しているだけで、お互いに想像する生活を話し合う時間が幸せだった。部屋は割とすぐに見つかり、住み始めてからは、恋愛小説や月九ドラマ、ラブストーリー映画よろしく、なんとも甘々な同棲生活が始まった。朝は二人でキッチンに立ち、朝ご飯を作った。お互いの朝の支度の合間に家のことを済ませていく生活リズムも、この時に出来上がっていった。家を出る時は一緒に出て、今日のスタートにため息をついて笑い合った。本当に幸せな日々だった。喧嘩は一度もなかった。というより、私がどんなに怒っても、あの人は絶対に怒り返してくることがなかった。いつも「ごめんね」「わかった」と話を聞いてくれて、受け止めてくれた。そうして、自然といつもの毎日に戻っていった。


 幸せは長くは続かないと思っていた。けれど、同じ幸せは続かないだけで、新しい幸せが舞い込んでくるものだった。プロポーズは、当然のように幸せの一ページとして通過した。――家の近くの公園でピクニックをしていた時、何気ない会話の終わりに、さらっと指輪を出す――そんなプロポーズを経て、ついに私たちは子宝に恵まれた。


 幸せが、また舞い込んできた。

 私たちは子宝に恵まれ、子育てに向けたたくさんの準備ごとが、日常に押し寄せてきた。家族が増えるんだから、そろそろ戸建ての一軒家なんてどうだろう。妊娠中はこんな食事がいい。生活リズムはこうしたほうがいい。お父さん、お母さんはこんな心構えを。令和の今、おばあちゃんの知恵袋がなくても、お昼のテレビで地方の大学教授が語る育児論がなくても、SNSにはたくさんの情報が溢れていた。YouTubeのまとめ動画やTikTokのショート動画を、仕事の合間を縫って見つけては、あの人に送った。ワクワクの毎日だった。


 あの人からは、なかなか返信が返ってこない。仕事が忙しくなって、バタバタしているのだそうだ。今からが大事な時期だから、とにかく無理せず身体を大事にしてほしいと話すと、「今、頑張っておかないと!」と前向きな答えが返ってきて、そのたびに二人で笑顔になった。


 私は今、たくさんのものを得た。

 そして、これから家族と過ごすあの家には、手に入れた両手に収まりきらない幸せを、一杯に詰め込むんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る