第11話



あれから数ヶ月と経ち、忙しい日々も少しは慣れてきた。


「ネメシア、この仕事は?」

「すでに終わってます」


返事をしてから、

―――あぁ、もう終わっていたんだ、と自分で気づく。


「ネメシア、次これを…」

「そちらも完了してます」


考えるより先に、体が動くようになっていた。

自覚した瞬間、胸の奥が少しだけくすぐったくなった。


「ネメシア様」


次の仕事に向かおうとしたとき、後ろから声がかかった。

振り返ると、お手本になるようないつもの背筋でクロードが立っていた。


「何でしょうか?」


クロードは、仕事を与えるような素振りを見せない。

しかし、私をまっすぐに見つめている。


「…手が早くなりましたね」


クロードはそれだけ言って、振り返り歩き出した。

私は、その背中をしばらく見送っていた。


「…ネメシア?」


その声に、私ははっと我に返った。

声のする方へ向くと、そこにはルミナがいた。


「…失礼いたしました。ルミナ様、いかがなさいましたか?」


そう問いかけると、ルミナは少しだけ迷うように視線を揺らす。


「今、時間ある?」


その問いに、私は一瞬だけ考える。

与えられている仕事はすでに片付いている。


「はい。少しでしたら」


そう答えると、ルミナはほっとしたように表情を緩めた。


「じゃあ…私の部屋、来てほしいな」


私は一歩下がり、軽く頭を下げる。


「承知しました」


そうして私は、ルミナの少し後ろを歩きながら彼女の部屋へと向かった。



ルミナの部屋へ入ると、いつもより少しだけ空気が違っていた。

机の上には紅茶とケーキ、クッキーといった菓子が並んでいたのだ。

そしてベッドの上には、見慣れない一着のドレス。


「ルミナ様……これは?」


思わずそう口にすると、ルミナはにこりと笑った。


「お姉様に、着てほしいの」

「私に、ですか?」


驚きで固まる私をよそに、ルミナは楽しそうに頷く。


「だって、今日は"お茶会"だもの。それに…ちゃんとした服を着たお姉様、見てみたかったの」


冗談とも本気ともつかない言い方。

けれど、その瞳は期待で輝いていた。


「ですが、私は侍女で…」

「大丈夫!ここには私しかいないよ」


確かに、この部屋には私たちしかいない。


「お願い」


そう言うルミナは、私の手を包み込んだ。

…私はルミナに甘いのかもしれない。


「少しだけ、でしたら…」


私がそう答えると、ルミナはぱっと花が咲くように笑った。



――――――


ドレスに着替え終え、髪はルミナが整えてくれた。

そんな私を見て、ルミナは一瞬、言葉を失った。


「…似合ってる」


その声は、いつもより少し小さい。

目の前の鏡に映る私は、いつもと違っていた。

侍女服ではなく、柔らかな色合いと綺麗な刺繍の入ったドレス。

まるで、私ではない誰かになったようだった。


「ねぇ、お姉様。この時間は"姉妹"でいよう?」


そう言って、ルミナは椅子を勧める。


「…わかりました」


二人きりのお茶会。

ぎこちないけれど、どこか温かい時間が、静かに始まった。


「…このケーキ、美味しい?」


ルミナが少しだけ身を乗り出して聞いてくる。

まるで、感想を待つ子どものように。


「はい。甘すぎなくて…紅茶に合います。さすが、ルミナ様」


そう言うと、ルミナは不機嫌そうに頬を膨らます。

褒められたはずなのに、どこか気に入らないようで。

…何か、いけないことでも言ったかしら?


「……ミナ…」


小さく、呼びかけるような声。聞き取れず、思わず聞き返してしまう。


「…え?」

「…私のことはルミナと呼んで。あと……二人きりの時は、敬語いらない…」


語尾が、ほんの少しだけ揺れていた。


「……」


私は一瞬、言葉に詰まった。

しかし、目の前の彼女はただ静かに待っている。

強くも、急かすでもなく。


「……ルミナ」


口に出した瞬間、胸の奥が少しだけくすぐったくなった。


「…うん!」


ルミナは、弾むような声でそう答えた。


「それでいいの!…二人の時だけ、ね」


そう言って、人差し指を口元に置く。まるで、二人だけの秘密のように―――。




――― ――― ―――




お姉様が侍女になってから、気づけば数ヶ月と時が過ぎていた。

最初の頃はなかなかお姉様との時間が無くて、正直とても寂しかった。


けれど私が以前、この物語の事を思い出す。

ネメシアは、何事に対しても覚えるのが早い―――そんな設定だったはずだ。


他の侍女達が、必要以上に仕事を増やしていたせいもあるかもしれない。

けれど、そのおかげ少しずつ、お姉様との時間が増えていった。


それに私が気づくのは少し遅かったけれど、お姉様のことだから仕事を押しつけられてる、なんて思っていないでしょう。


お姉様が気づかないのをいいことに、好き放題やっているようで。

まぁ…その分、私が気づいた人たちには、きちんと仕事振らせていただきましたけど。


その時の、侍女の嫌そうな顔を思い出して、私は小さく笑ってしまった。



……それにしても。


「ルミナ?」


目の前のお姉様は、薄氷のように淡く波がかった長い髪に、目を奪われるほど澄んだ赤い瞳をしている。

そして、思わず見惚れてしまうほどの美貌。


(こんなにも眩しいだなんて…)


いつも長い髪を結び、前髪で表情を隠しているから。

今のこの時間でしか、私は本当のお姉様の顔を知らない。


「お姉様が綺麗すぎて、見惚れてしまったの」


私がそう言うと、お姉様は少し頬を赤らめそっぽ向く。


お姉様のカップの持ち方を見て、私はふと物語の内容を思い出した。


物語のネメシアは、教養に関しては何でも自分で身につけていた。

学園でも、成績は常に上位。

けれど、マナーだけは、どうにもできなかった。

それも当然だ。

父から家庭教師をつけられることなく、誰かに正しく教わる機会がなかったのだから。


この後のデビュタントで、お姉様は恥をかいてしまう。

―――そんな物語。


だからこそ私は、お父様からずっと言われ続けていたことを、今やろうと思った。

この物語を変えるために。


「ねぇ、お姉様」


手に持っていたカップを、そっとテーブルに置く。

小さな音が、部屋に静かに響いた。


「マナーや算術といった勉強はどう思う?」


そう言うと、お姉様は一瞬きょとんとした顔をしてから、すぐに穏やかに笑った。


「公爵令嬢なら必要なことよ」

「……そうよね。やっぱり必要よね!」


私の返答に、お姉様はどこか腑に落ちないという顔をしている。

"公爵令嬢"なら必要。

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かがかちりと噛み合った。


「…ふふふ」


お姉様を下に見ている人たちの顔を思い浮かべると、一泡吹かせてあげられると思えて、笑いがこみ上げてきた。


「どうしたの?」

「お姉様にはまだ秘密」


そう。今はまだ、秘密。

でも、そのうちに驚かせてあげるね。

私はそう思いながら、もう一口紅茶を飲んだ。


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