忘れられない雨がある

木曜日御膳

雨の降った後に

 推し活にとって、悪天候——特に雨はまさに天敵である。

 たとえ、普段は雨の香りが好きでも、雨であってくれと願う日があっても、推し活の時は憎くて仕方がない。


 幾度となく、悪天候に見舞われ、雨に悩まされたか。

 雨粒のような涙を流したか。


 アイドルオタクになって、干支は1回回った。バンド、芸人、アーティストのファンだった時代も合わせたら、既に2回も回った。

 そんな私が学んだことは、悪天候はクソ、雨は特にクソである。


 行き道。

 グッズ販売。

 ランダムグッズの交換探し。

 入場待機。

 野外会場。

 帰り道。


 様々な工程で、天候が牙を向いてくる。

 行き道で、台風に見舞われたこともあった。

 グッズ販売の列に、朝5時から並んでたら大雪に見舞われて、唇が真紫になりながらビールを流し込んだこともある。(温かいものを飲みたかったのに、気づいたらアルコールに頼っていた)

 グッズだって、紙や布など濡れたら困るものも多い。

 一度水たまりに、トレーディングを落としておじゃんにしたこともある。


 そして、グッズを買うということは、ランダム商法に乗っかると同義だ。

 推しを一発で引けたら御の字、推しではなかったら、推しを手に入れるためのレートバトルに参戦する羽目になる。

 手には推しを持ち、どうにか交換できそうな人を探す。

 自分の手持ちのレートが推しよりも低ければ、交換が一致する神を探すか、わらしべ長者を目指すしかない。

 自分の手持ちのレートが高ければ、どうにか求めてる人を探しつつ、手持ちを求める人の声掛けを裁かないといけない。

 レートなんて無ければいい、交換しなければいいと他人は勝手に言うけれど。

 私としては、手持ちの子を手に入れて本気で喜んでくれる人に渡したい。

 そして、屋根付きのところで交換できるなら、運営が神。大抵は「購入者の邪魔だから」と追い出されるか、そもそも物販が外の場合がほとんどだ。


 どうにか必死にランダム戦を制しても、今度は入場待機させられることもある。

 全席指定席なら、ぎりぎりまで屋根付きの場所に居ることもできる。

 しかし、整列番号順なら、番号呼ばれるまで待機場所で待たないといけないのだ。

 雨や雪の中で待ったこともある。

 大雨に振られながら、傘を差すことも許されず、チケットに書かれた入場開始予定時間から40分以上待たされたこともある。


 そんな理不尽を受けたあと、待ってるのが天井の吹き抜けの会場ってこともザラだ。

 正直、発表された瞬間、「屋外だなあ」と頭を抱える会場はいくつもある。


 もちろん、帰りもだ。

 外に出たら、雪が降っていた。電車が止まってた。地下鉄のある駅まで、歩く羽目になったこともある。


 とにかく、雨は嫌いだ。


 嫌いだけれど、そんな私が、唯一忘れられない雨があった。


 私には、

 人生で一番好きな推しは誰? 

 と言われたら、絶対にこの人というアイドルがいる。


 その推しがアイドルグループの一員として、日本でライブをした時だった。


 夏の、熱いはずの8月。


 そのグループは特殊で、売れないアイドルたちを集めてサバイバルを行い、生き残ったメンバーで新しい『期間限定ユニットグループ』として再出発するという趣旨の番組から結成された。


 会場は、新豊洲にあるライブハウス。トタンでできており、見た目は少し小綺麗な倉庫にしか見えないような建物だ。

 その日は、大雨が降ったり止んだりと、非常に扱いづらい天候だった。一緒に来ていた母親の機嫌も悪く、本当にしんどい日だった。


 夏のじめじめとした暑さと、雨に濡れた服のせいで、本当に不快だった。


 しかも、新豊洲という場所は、屋根がある場所があまりにも少ない。

 東京とは思えないほど、何もない場所だ。


 見渡すばかりの芝生。大きな川。少し遠くにあるマンション。

 仕方ないから豊洲に戻っては、どうにか雨風を凌ぐしかなかった。


 そんな場所でのライブは、まさに冒頭に上げた辛いことばかりだ。

 並べば雨、交換始めれば風も吹き荒れ、唯一あるモノレールは小さい車体にすし詰め状態。止まるどころか、駅も狭いから、そもそも入れない。


 そんな状態でも、私には心の支えがあった。


 推しが、初めて自分で曲を作ったのだ。

 曲名は、『비 내린 후에(和訳 雨が降ったあとに)』。

 曲の内容は、別れゆく恋人たちの姿を雨に例えた歌だ。

 それが初めて生のライブで聴ける日だったのだ。

 どんなに雨が降っても、この後には推しの歌が待っている。その嬉しさは、辛さを超えた。


 吹き荒れていた雨は、入場が始まると同時に止んだ。

 周りからは、「もっと早く上がってくれれば」という恨み節が、羽虫のように飛び交っている。


 私が入場して、入る頃には既に雨は上がり、太陽が少し見えていた。

 正直、私も太陽を見て、苛立ったのを覚えている。


 といっても、中に入ったら天候は関係ない。屋根がある会場だ。空調も特には問題ない。問題があるとすれば、オールスタンディングという点のみだ。

 それも、ライブが始まってしまえば関係ない。


 推しが歌ってる。踊ってる。楽しそうに笑ってる。

 それだけで、いい。


 始まって、中盤に差し掛かる頃。

 暗転した世界。うっすらと、ステージに立つメンバーたち。


 前方のスピーカーから、雨音のサウンドエフェクトが聞こえる。そして、すぐにピアノの旋律が私たちを優しく包む。


 あっ、推しの曲だ。

 そして、すぐに歌い出しが始まる。


 優しく緩やかな曲。

 CD音源で、毎日聴くたびに癒されている曲だ。

 やっと、生で聴けた。嬉しい。


 そう思った時だった。


 雨音が、少しずつ強くなっていく。


 音源には入ってない音だ。演出だろうか。

 けれど、私は頭で考えるよりも先に、ぐわっと鳥肌が立った。

 ハッと意識が天井に向きかける。

 視線は強い気持ちで推しを見ていたが、意識だけは一瞬天に向いた。


 上から、聞こえる。

 トタン屋根を力強く叩く雨粒。

 視線の隅にいる観客もハッと上を向いていた。隣りにいた私の母親も、「ねえ、もしかして」と私に問いかけた。


 雨が降っている。

 先程まで止んでいたのに、今、雨が降っている。


 この曲の歌詞には、こういう一節がある。


 あなたの香りが

 たぶん私の心に残っていて

 土に染み込んだ

 雨の雫のように


 推しのパートだ。

 自分の曲だと言うのに、彼の取り分はとても短い。


 そして、目の前で自分のパートを一生懸命に歌う彼は、眩しい光と雨の向こうに溶けていきそうだった。



 やがて、ほかのメンバーの一人がその雨音に気づいた。また一人、一人。ハッと上を見ていく。

 視線の先は、屋根の向こうの雨雲だろう。

 推しもまた、優しく空を見上げた。


 曲の盛り上がりに合わせて、強く響き渡る水音。


 不思議だ。

 屋根の下なのに、私は雨の中に立っている気がした。

 この瞬間が過ぎていくほどに、ステージの上の推しまで遠ざかっていく気がして——。


 さびしい。そう思ってしまった。


 そうだ、このグループは期間限定。長くても一年で終わってしまう。

 終わってしまったら……。

 もう、この曲を彼が彼らが歌うことはない。


 曲は終わる。

 雨足はゆっくりと遠くなり、そして、駆け抜けていってしまった。


 メンバーは、「雨が降った!」と喜ぶ。

 観客も感嘆の声を上げた。


 そして、私は泣いた。

 ぼろぼろと、涙が流れていた。

 ああ、あと、何度この曲を聴けるだろうかと。



 あれから、もう5年経った。

 推しはアイドルを辞めた。

 今は彼の国で、居酒屋の店長をしている。


 私は今もアイドルオタクとして、日々色々なアイドルに会いに行っている。


 今も推し活中に降る雨は憎い。

 けど、雨の音を聴くたびに、雨の香りを嗅ぐたびに、あの日のライブを思い出す。


 そして、そのたびに「ああもう二度と、忘れられないのだろう」と思うのだ。


 

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忘れられない雨がある 木曜日御膳 @narehatedeath888

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