欠けた記憶と始まりの記憶(1)
「なんなのこのマント? 鳥?」
クレイジー・ミューズ号船内。脱出時に与えられた男物の貫頭衣からまた別の服へと着替えたリグレットは眉をひそめる。新たに与えられた服にも物申したいことがあるが、それ以上にまずおかしいのが空の旅の寒さ対策にと与えられたマント。いくつもの細長い布を重ねて鳥の翼を思わせるデザインしてある。色はやや青みがかった黒。
「お頭が姫様に似合うだろうと買っておいたものです。その服も」
答えたのは乗船中の世話係として付けられた船員。海賊団には珍しい年若い少女だ。黒髪黒目で可愛らしい顔立ちをしており、名はアミータというらしい。
マントのかかった腕を持ち上げ、ますます眉根を寄せるリグレット。
「あの女、私をカラスだと思ってるの?」
服はまあ、作りに関して言えば特に文句は無い。さっきまで着ていた貫頭衣と似たような作りだけれど仕立てはもっと上等。スカートの丈が長く足首まで裾が伸びていて、そのくせ軽くて動きやすい。天然の素材でなく錬金術で生成した特殊な布だろう。脚を露出するのが嫌いなのを覚えていてくれたらしく長ズボンも与えられた。スカートの下に履いてある。
だが問題はそれらの色だ。先のマントと合わせて黒づくめ。たしかに逃亡者となって以来、闇に紛れ込める暗い色調の服を好むようになった。とはいえこのマントのデザインと組み合わせればいよいよカラスにしか見えないではないか。
「他には無いの?」
「服ですか? マントですか?」
あからさまに不服そうなリグレットに怯え、おずおずと訊ね返す少女。聞くところによると以前この船に乗っていたドノヴァンという老船員の孫らしい。
ドノヴァンは三年前の教団本部への奇襲攻撃時に命を落とし、その後しばらくしてこの娘が加わったそうな。リグレットは彼のことを覚えているが、正直言って祖父には全く似ていない。
「すんません。あとは男物かあたしの着替えくらいしか無えです」
「それもそうか……男所帯だものね、この船」
嘆息するリグレット。アミータは自分より小柄だし、フリーダの生前の服が保管されていたとしてもやはりサイズが合わない。あの女は背が高く胸も牟田背に大きかった。自分用の服が用意されていただけ幸運というものだろう。たとえ気に食わなくても。
「まあいい、ありがとう。着させてもらうわ。船長に直接お礼を言いに行こうかしら」
「あ、ご一緒します」
「遠慮して」
世話を焼かれることは受け入れよう。この娘は無害そうである。でも、フリーダとの話はあまり人に聞かれたくない。
辛辣すぎたかな? すぐにそう思い直したリグレットは萎縮している少女の方へ振り返り、改めて声をかけた。
「あなたが悪いわけじゃないのよ。ただ、少しばかり内密の話をすると思うの」
「あ、なるほど。でしたら中で待っております。ご用がおありの時には、いつでも呼んでくだせえ」
「そうするわ。よろしくねアミータ」
「へ、へいっ!」
腰の低い彼女に見送られ、リグレットは甲板へ出た。
◇
『ようこそ女王陛下、我らが船へ。似合ってるじゃないか』
「言いたいことがあったけれど、思惑通り乗ってあげる。そう呼ぶのはやめなさい」
甲板へ出た途端にフリーダの軽口。リグレットは剣呑な眼差しを船首に向けて言い返す。おかげで服に対する文句は言いそびれた。向こうはこうなると見越してわざとこちらが嫌う呼称を使ったのだろう。
『はいはい、リグレットだったね。なんともしっくり来ない名だよ』
「慣れなさい」
そう、今はこう名乗っているがリグレットは偽名。かつては別の名前があった。
シラン、あるいはシケイ。
どちらが本当の名かは彼女自身にすらわからない。自分のことなのに、どうしても。
『やっぱりまだ思い出せないかい?』
「肝心なところだけがね」
シランとシケイ。彼女――いや彼女たちは双子の姉妹で大国ヤマトの王女だった。そしてある出来事を境に、そんな彼女たちの記憶に空白が生じた。混濁も。
いかなる理由でか両者の記憶は混ざり合い、同じこの脳内で混在している。それでいてここにいる自分が双子の姉妹のどちらかを決定付ける記憶のみ完全に抜け落ちてしまった。
――もっとも、姉妹それぞれの性格を知る者たちは大抵リグレットを妹シケイと判断するが。
シランは大人しく引っ込み思案な性格で他人どころか家族に対しても強い口調を使うことなど無かった。だから大海賊フリーダを相手に一歩も引かず言い合う彼女を見てシランと思う者は少ない。
しかも彼女がシケイだとした場合、フリーダたちにとっては先の大戦を共に戦い抜いた戦友ということになる。野心に取り憑かれ暴虐の限りを尽くした父王に立ち向かい打倒したシケイ。フリーダは彼女の戦いに初期から手を貸していた長い付き合いの仲間なのだ。
まあ、だからこそ気になるのだろう。けれどもリグレット自身はどうでもいいと思っている。
「私の正体なんてそんなの知ったこっちゃない。重要なのは教団をどうやって潰すかよ」
「ちげえねえや」
同意したのは船員の一人コマギレ。背が低く三白眼で狡賢い雰囲気の小男だがフリーダへの忠誠心は篤く彼女の右腕を自称している。実際にこの場への同席を許されるくらいには信頼が厚い。
「このまま教団が幅を利かせ続けりゃ、あっしらも商売上がったりでさ。最近は小さな商船まで教団に守られてやがる」
「そうでさ。三年前の作戦のおかげで偶像使いの数は徐々に減ってきていますが、それも『金の書』を奪われちまえば元の木阿弥。全部無駄になっちまいやす」
コマギレの言葉に厳しい顔つきで同意した男はヘビィ・スモーカーと呼ばれる強面。背が高く屈強な体つきで実際に腕力ではこの海賊団の中でも一・二を争う。口ひげを蓄えており左目に眼帯。その左目から右の顎の下にかけて斜めに刀傷が走り、右の手首から先は鉤爪付きの義手になっている。まさに絵に描いたような海賊。
彼は『吸ってないところを見たことが無い』と言わしめる煙草の煙を吐き出しながらリグレットの顔を見つめた。向かい合うと祖父と孫娘のように見える。実際には親子程度の年齢差だが、彼は老けていて彼女は若々しすぎる。
「お姫さんが捕まったと聞いた時は肝を冷やしました。お願いですから、いいかげん私らと一緒に行動してくれませんかね? アンタとオレらで組めば三年前のように一泡吹かすことも可能でしょう」
「……」
黙考するリグレット。彼の言い分はもっともでクレイジー・ミューズと手を組むことこそ一番合理的な判断だとわかっている。けれどすぐに結論を出すことは難しい。彼女は七年前の一件以来、人間不信に陥ってしまった。もう他人を信じて裏切られるのは嫌だと、どうしてもそんな意識が働いてしまう。
三年前の共同作戦だって半ば成り行きで組んだようなもの。こちらの意志ではなかった。だからすぐに別れた。
するとヘビィ・スモーカーに続いてコマギレも説得に乗り出す。
「あっしからもお願いします。もう教団に逆らおうって気骨があるのは姫様とあっしらだけだ。バラバラに行動してる場合じゃありません」
『一緒に動いてりゃ今回みたいなことも無くなる。今回のことで骨身に沁みただろ、一人じゃ無理なんだよ。もちろんアンタの力をアタシらも必要としている』
「わかってるわよ……」
フリーダにまで言われリグレットはようやく認めた。やはり彼女たちの協力は不可欠だと。
「教団を壊滅させる。それまでは、また共闘しましょう」
『小生意気な物言いだこと。お願い助けてフリーダ姐さん! くらいの感じで言えないのかい? 可愛く上目遣いでおねだりされりゃこっちの士気も上がるってもんだ』
「うるさいわね、十分喜んでるじゃない」
「ひゃっほう! また姫さんが仲間入りだ! これで勝てるぜ!」
「フン、たった一人だ。だがまあ、たしかに心強い」
「クレイジー・ミューズ! クレイジー・ミューズ! オレらは無敵の海賊団! 姫さんとお頭が揃えばなんだってできらあ!」
「教団なんざぶっ飛ばしてやりましょう」
『こいつらは……』
やれやれと肩を竦める船首の女神像。木像なのだが中に機械仕掛けが仕込まれており腕と腰だけ動かすことができる。
直後、彼女はその手をパンと打ち合わせた。
『ほら、浮かれてんじゃないよ馬鹿ども! こらコマギレ、酒を出すんじゃない! アジトに着くまで絶対に油断すんな! 歓迎の宴は着いてからのお楽しみだよ!』
「アイマム!」
「相変わらず」
昔と同じ騒がしい船だとため息をつくリグレット。でも内心では少しだけ笑っていた。彼らはやはり違うと、そう実感しながら。
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