黄昏に落ちた魔法使い

花藤かえ

第1話 金の黄昏日

金の黄昏日1

 扉を開けると、外は黄金色に染まっていた。

 むせかえるような黄色い大気が空をおおい、柱廊も校舎も中庭の草花も、時を奪われたように色あせている。

 レリアはしまったと息をのんだ。


 ――今日は、金の黄昏日だ。


 すぐに教室に戻ろうとしたが、遅かった。後ろにあったはずの扉はすでにない。

 ため息をつきながら壁に背をはりつけると、レリアは目を閉じて深呼吸を繰り返した。そして、ゆっくりと心臓を落ち着かせると息を止めた。

 月に一度、新月の日に黄昏は燃えるような黄金色の影に染まる。

 それがなぜなのかは分からない。

 人々の噂話によれば、黄金色の影に飲みこまれると、「精霊の世界」に迷いこんで二度と帰って来ることはできないのだと言われている。


 そのことを人々は、「黄昏に落ちる」と呼んだ。


 この王都でも、年に数人、行方不明者が出る。もちろん、いまだ誰一人帰ってきた者はいない。

 たとえば、レリアの母のように。


 ――私は大丈夫。


 レリアは自分に言い聞かせた。

 そして静かに息を吐いた。


 意識を真っ直ぐの線になるように集中させる。

 そこに魔力をそそぎこみ、一本の糸を紡ぐ。

 ゆっくり、慎重に張っていく。


 授業で習った「黄昏の影に対する魔法」を必死に思い出す。


『意識と魔力を糸のようにピンっと張ることがポイントです。強すぎても弱すぎてもいけません。コツをつかめば、どんな色の影の上だって歩くことができるようになりますよ。そう、鼻歌を歌いながらでもね』


 と大学院を卒業したばかりの教師はウィンクをした。上級科に昇級したければ、それくらいはできて当然だ、とつけ加えて。

 レリアは今年、十二回目の昇級試験でやっと上級科に合格することができた。しかし、金色の影の上を歩いたことは一度もない。なぜなら原則として、学院の生徒は「金の黄昏日」の夕刻は外を出歩いてはいけないことになっているからだ。


 ――それなら、上級生だって影の上を歩けるかどうか分からないじゃない。


 レリアはふっと目を開けた。すぐ足の先に金色に輝く影が伸びている。つま先から血の気が引くように足の指がひやりとした。


 ――だいたい、「金の黄昏日」に個人面談をするのがどうかしてるのよ。授業時間はとっくにすぎているのに。


 レリアは思い出して憤慨した。

 意識の中で紡いだ糸は、毛糸のように絡みついていたがそれに気がついてはいなかった。


 そのまま、足を踏み出そうとする。

 同時に個人面談での言葉が脳裏によみがえった。


『君は、偉大なる魔法使いの孫なのだから』


 ――でも、血が繋がってるわけじゃない!


 怒りに押し流されるように黄金色の影を踏んだ。

 あっと気がついたときには手遅れだった。

 大理石の廊下はやわらかなゼリーのようにレリアの右足を飲みこんだ。

 悲鳴を上げる間もなく両手をつくと、手首まで床に埋まった。影に飲み込まれた体は感覚が失われ、心臓がぞっと凍りついた。

 慌てて手を引き抜く。手はある。感覚も戻っている。変わったところもない。


 ひとまず安堵はしたものの、落ち着いている暇はない。すでに両足は膝下まで落ちている。何とか足掻こうと試みるが感覚がないため力が入らない。むしろ、下手に動くとよけいに倒れてしまいそうだ。


 レリアは途方に暮れた。周囲を見回しても誰もいない。まして、鼻歌を歌いながら影の上を歩く上級生など誰一人見当たらない。


 ――嘘つき!


 レリアは泣きながら心の中で叫んだ。

 しかし、心の中でいくら罵倒や呪いの言葉を吐いても、状況が変わるはずもなかった。むしろ怒りの感情さえ金色の影に落ちていき、寒々とした悲しみだけが心の中に残っていく。


 ――母さん。


 レリアは母の後ろ姿を思い出した。

 六年前、父が不慮の事故で亡くなると、母は悲しみのあまり心が抜けたようになってしまった。

 そして翌年、すでに金色に染まりかけた夕暮れ、母はふらりと出ていった。

 それ以来、帰ってこない。


 その夜、レリアは暖炉の前で一晩中炎を見つめていた。

 その炎が消えたころ、空を見上げた。

 深い藍色の夜空に天の川が浮かんでいた。

 死者はあの川を渡って、太陽神のもとに帰ると言われているが、母は上るのではなく、黄昏に落ちていった。自分を置いて。

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