第三章 影が差す

01 確信

麗美れみちゃん、放課後美術室に来ない?」


 昼食中、七海ななみと漫画の話題で盛り上がっていた亜衣あいが、唐突に話を変えた。


「あー、また勧誘?」


「それもあるけどー、最近部員の集まり悪くて何か寂しいんだよね。掛け持ちしてるわたしが言うのもあれだけど。千鶴ちづるちゃんもどう?」


「いいですね。真の芸術ってものを見せてあげますよ」


「やる気満々じゃん!」


 亜衣と七海は手を叩いて笑った。


「麗美さんは……どうします?」


 三人の視線が麗美に集中した。


「うん、行くよ」麗美は頷いて答えた。


「じゃ、決定!」亜衣は小さく手を打った。


 一週間前に絵美子えみこから聞かされた事実は、流石にショックが大き過ぎた。しかしそれでも麗美は、少なくともここにいる友人三人だけでも信じ続けようと、同じ日の帰り道に決心したのだった。


 ──それに、〝あいつ〟とやらがわたしに目を付けたと言ったって、同じクラスにいるって確定したわけでもないし……。


「そういえば麗美ちゃん」七海はミニクロワッサンの残り一口を食べると続けた。「最近図書室に行ってないよね、昼休みも放課後も」


「うん、まあね。気になってた本、全部読んじゃったから」


 麗美は何でもない風を装って答え、玉子焼きに箸を伸ばした。亜衣が七海と千鶴に目配せした事には気付かなかった。

 昼食を取り終えると、麗美たちは席はそのまま談笑を続けた。麗美以外の三人が座る席の本来の主が一人でも戻って来たら場所を変えるつもりだったが、今のところその気配はなかった。


「そうしたらその犬が……あれ?」


 自宅の近所で見掛けたという小型犬とその飼い主について話していた千鶴だったが、ふと何かに気付いたような反応をすると、前のめりになって斜め後ろの麗美をじっと見据えた。


「……どうしたの?」


「いや……うん?」千鶴は眉をひそめ、首を捻った。


「ええっ、千鶴ちゃんどうした」


「麗美ちゃんが何かおかしいとか?」


「いやあんたじゃないんだから」


「何だってぇ~?」


「うーん、上手く説明出来ないんですけどね……」千鶴は居住まいを正した。「何か今急に、妙な違和感を覚えたんですよ」


 ──え……?


「麗美ちゃんに?」


「いえ、麗美さんではなく……麗美さんの席、に……?」


 そう答えておきながら、千鶴は自分でもよくわかっていないようだった。


「えー、何それー?」


「あ、曲がってるとか?」


「いやちゃんと真っ直ぐじゃない?」


「散らかって──いや綺麗か」


 勝手に盛り上がる亜衣と七海をチラリと見やってから、千鶴は麗美に笑いかけた。


「ごめんなさい麗美さん、私の気のせいだったみたいです」


 麗美は確信せざるを得なかった──自分自身が二度も覚えた違和感は気のせいではなかったという事、そして絵美子の言っていた〝あいつ〟は、ほぼ間違いなく、この二年四組に潜んでいるのだという事を。



 第二校舎の二次元コンテンツ同好会部室に向かう七海を見送ると、麗美、亜衣、千鶴も教室を出た。


「美術の授業中に思ったんだけどさ、千鶴ちゃんも麗美ちゃんも、普通に絵が上手いよ。この間、中園なかぞの先生も褒めてたじゃん」


「先生は褒めて伸ばすタイプの人だよ」


「そうですね。基本誰のどんな作品でも、頭ごなしには否定しませんし、個性を尊重してくれますね」


「それ抜きにしてもだよー。あと、少なくともわたしはお世辞で言ってないよ?」


 階段まで差し掛かると、複数の三年生の生徒たちが次々と下りて来るところだった。壁際に避けてその波が去るのを待っていた麗美たちだったが、三年生の青い上履きに混ざって一人だけ赤い上履きの男子生徒がおり、こちらを見ている事に気付いた。

 男子生徒は、まるで爬虫類のようなギョロリとした目で亜衣、千鶴と前から順番に見やり、特に最後の麗美の事は遠慮なくジロジロと見た挙句、小馬鹿にしたように口元を歪ませると一階へと下りて行った。


「何か今の奴、感じ悪かったんだけど……」


「ああ、新倉康彦にいくらやすひこね。特進コースの」


 麗美のほとんど独り言に近かった呟きに、亜衣は怒りを含んだ声で答え、階段を上りながら更に続けた。


「わたしと千鶴ちゃんはあいつと同じ中学だったんだ。しかもわたしに至っては、小学校も同じだったからね。小四くらいまではそこまで嫌な奴じゃなかったように記憶してるんだけどさ、五年辺りから、女子に対してはごく一部の超優秀な子を除いて見下して、失礼な態度を取るようになったんだ。男子相手には普通だったんだけどね。当然ながらほとんどの女子に嫌われてた」


「へえ、それは初耳でした。性格に問題あるのは知ってましたが」


「親の影響かもしれないんだよね。あいつの父親が教育委員会の人間らしいんだけど、性格悪過ぎて他の保護者たちに嫌われてたって、前にわたしのお母さんから聞いた事があるよ。母親の方は中学だかの教師らしいけど、そっちはよく知らない。似たり寄ったりなんじゃない? まあ、どうでもいいけど!」


「偏差値の高い東京の有名私立高校を受験して合格したけど、学費が高いし遠いから辞退したなんて言ってたらしいですね」


「うそうそ、そんなの大嘘だよ!」


 四階まで着く頃には、亜衣は更にヒートアップしていた。


「余裕こいてた癖に落ちたけど、プライドが富士山並に高いから本当の事を言えなかっただけ! 当時皆そう噂してたけど、デマじゃないと思うよ。

 学費が高い? だったら夕凪ここじゃなくて公立高校行けば良かったんじゃない! それに偏差値だってそんな高くないし? 滑り止めだったんだよ! 何だったら公立も落ちてたんじゃない!? ケッ、ざまあみろあの爬虫類顔の不細工!」


 近くを歩く生徒たちが、亜衣の大声に振り向く。


「亜衣さん」


 亜衣を落ち着かせるべきか麗美が迷っていると、千鶴が亜衣の肩を力強く掴んで歩くのを一旦止めさせた。


「あ、ごめん、つい怒りが──」


「爬虫類を悪く言わないでください」


「──へいっ?」


「爬虫類顔の不細工、つまりそれは爬虫類が不細工だという事ですよね? 酷いです。そして失礼です、爬虫類たちに」


 千鶴の目が据わっている事に気付き、麗美は二、三歩そっと後ずさった。


「爬虫類が可哀想です。もう一度言います。爬虫類が、可哀想です」


「ヒッ!?」


 千鶴が更に力を込めると、手の甲から腕にかけて血管が浮き上がってきた。麗美は更に数歩後ずさった。


「すっ、すいませんでしたあああっ!!」


 亜衣の悲鳴に近い謝罪が、四階中に響き渡った。

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