第7話 解除①
「初めまして。僕が浅葱です」
落ち着いた声が事務所に落ちた瞬間、空気がぴんと張り詰めた。
東地先生――いや、“浅葱”は穏やかに微笑み、社長に丁寧に一礼する。
その所作が、妙に“慣れている”。
それが余計に怖い。
社長はきょとんと目を丸くした。
――いや、固まるのは私です!
え? なんで先生がここにいるの?
会社の場所なんて教えたことないはずなんですけど!?
「……ぷっ。古川さん、心の声が駄々洩れで面白いです」
先生が口元を押さえて笑う。
「だって! 先生、神出鬼没すぎます!」
「褒め言葉として受け取っておきますね」
その“掛け合い”を聞いた社長が、じわりと眉をひそめた。
「……知り合いか?」
うっ……。説明、いるよね。そりゃそうだ。
◆
「改めまして」
先生は背筋を伸ばし、視線を社長へ戻す。
さっきまでの柔らかさがすっと引いて、空気が一段冷える。
「僕の名前は東地と申します。クリニックの院長をしていまして――」
一拍。
丸眼鏡の奥の瞳が、氷のように静かに光った。
「――もう一つの顔は、お祓い屋です。浅葱という名を使っています」
「……なるほどな。本業は医者、か」
社長は短く頷いたあと、不審げに視線を細めた。
「だが、何故ここに?」
先生は迷いなく答える。
「僕の友人が、松川神社の宮司さんを担当している医師でして。
倒れられた経緯を聞き、依頼を受けました。
その足で話を伺いに来れば――古川さんが勤める会社だった。
そういうことです」
社長の顔に驚きが走り、やがて眉間に深い皺が刻まれる。
「しかし……柏原に頼めば済む話だろう。なぜ俺に?」
「ええ。柏原さんからも事情は伺いました。ですが――」
先生の視線が、私の方へ一瞬だけ滑る。
その目が真剣すぎて、思わず肩がすくんだ。
(え、なに……怒ってる?)
「偶然その場に居合わせた社長さんと古川さん、
二人からも話を聞けと薦められたんです。
まさか、その古川さんが……あなただったとは」
……含み、すごい。
そして“やっぱり心、読んでる”。
不意に、先生が名を落とした。
「但馬涼太郎――」
その瞬間、胸が強く跳ねた。
先生の視線が私を射抜き、低く呟く。
「……やはり、そうですか」
空気がひやりと震える。
「……誰だ、それは。今回の件に関わっているのか?」
社長の問いに、先生は静かに頷いた。
「但馬涼太郎。呪物コレクターであり、呪術師。
依頼を受ければ――どんな形であれ結果を出す男です」
「……じゃあ、そいつが松川の呪いの元凶か」
「正確には、依頼をした人物こそが元凶です。
彼は、その意思を代行しているにすぎませんから」
苦笑めいた声音。
――でも、私は笑えなかった。
もし、呪いが先生自身に降りかかったら。
考えるだけで、喉の奥が硬くなる。
「……先生、大丈夫なんですか」
声が震えたのが、自分でも分かった。
先生は私の意図を汲み取り、穏やかに首を振る。
「心配しなくて大丈夫ですよ。
あなたが想像している“最悪の結末”にはならないから」
その言葉だけで、胸の奥の重みが少しほどけた。
普段は柔和なのに
――今の先生は、白衣を脱げば“異能の担い手”だと確信させる迫力を纏っている。
「フッ……期待に応えられるよう頑張りますよ」
「……先生、また心の中読んだでしょう」
「つい。……ふふっ」
肩の力が抜けて、思わず先生の腕を小突いてしまう。
社長はそんな私たちを一瞥し、深く息を吐いた。
「……そうか。なら、何とかなりそうだな」
その声には、安堵が色濃く滲んでいた。
「明日、呪いの解除を行います。病院側にはすでに許可を得ています」
「そうか……よろしく頼む」
社長が深く頭を下げる。
先生は真摯に微笑み返した。
「はい。必ず」
やがて先生は立ち上がり、こちらに向き直る。
「古川さん、一緒に帰りましょう。車で送ります。荷物を取ってきて」
「え、でも……」
「はい、用意ドン」
……ズルい。断れないやつ。
反射的に駆け出す私の背中に、社長の驚いた視線が刺さった気がした。
そして――私が廊下へ出た直後。
残された二人の間で、静かに言葉が交わされた。
「古川とは……どういう関係だ?」
「そうですね」
先生の声は、いつもの柔らかさに戻っている。
「僕にとって――大切な方です。絶賛、アプローチ中で」
「……ははっ」
社長の目が見開かれ、次の瞬間、堪えきれないような笑い声が漏れた。
先生はただ穏やかにそれを見守り、言葉を添える。
「だから、何も心配せず。今夜はどうか、ゆっくり休んでください」
「ああ……ありがとう」
安堵に沈む社長の顔を背に、事務所の空気はようやく、温度を取り戻していた。
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