第3話 訪問診療①


新しい勤務先に慣れて、毎日が思った以上に充実している。

満たされている時間ほど、過ぎるのは早い。

気づけば、東地先生に就職の報告をしてから、もう一か月が経とうとしていた。


先生とはその後、たまにLINEでやり取りするくらいの仲になった。

あの日、帰り際に連絡先を交換したのだ。


先生からメッセージが来ると、正直、ものすごく嬉しい。

――けれど、こちらからばかり送ったら「面倒くさい奴」って思われそうで、

私は控えめにしていた。


失いたくない。

私の中で、先生はそういう存在になってしまっている。


目の保養で、心の栄養で――生きるエナジードリンクみたいな人。

我ながら語彙が軽い。

でも、そのくらい分かりやすく効く。


そんなことを考えていたとき、鞄の中でスマホが小刻みに震えた。


「え……電話?」


取り出すと、画面にはまさかのLINE通話。

発信者は――東地先生。


先生から電話が来るなんて、珍しい。

胸がどきんと跳ねるのを誤魔化すみたいに、私はすぐ通話ボタンを押した。


「はい、先生。どうしました?」


『あ、すみません。今、大丈夫ですか?』


相変わらず落ち着いた声。

だけど電話越しだと、余計に心臓に響いてくる気がする。


忙しいのはむしろ先生のほうなのに。

そんなことを思いながら、私はできるだけ平静を装って返した。


「大丈夫ですよ。どうされました?」


『急で申し訳ないのですが……明日の土曜日、ご予定は空いてますか?』


「明日ですか? 会社は休みなので、特に予定はありませんけど……」


『それなら、月に一度訪問しているお宅があって。

もしよければ、古川さんに一緒に来ていただけないかな、と』


「え? 訪問診療にですか? 私、看護師の資格なんて持ってませんけど……!」


思わず声が裏返る。

電話の向こうで、先生が小さく笑った。


『知ってますよ』


その笑い声は、少し困ったようで――でもどこか、

甘えるみたいな響きを帯びていた。


「鞄持ちくらいならできますけど……。

でも、先生がこうして頼んでくるなんて、すごく珍しいですね」


『……ありがとうございます。本当に助かります』


安堵を含んだ声が返ってきた。

やっぱり、何か理由があるのかもしれない。

一人で行くのが気が重いなら、私が一緒に行くことで少しでも力になれるなら

――それでいい。


『では、明日十二時にクリニックで』


「はい、了解しました」


通話が切れる。

胸の奥が、じんわり熱くなる。


――明日、また先生に会える。


そう思っただけで、自然と頬がゆるんでしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る