第3話 悪魔は、願いを否定しない

 光が引いた時、電車は止まっていた。

 ドアは開かず、窓の外も見えない。


 まるで、世界ごと一時停止したみたいだった。


「……ここは」

 ユズルが呟くと、隣でフードの男が鼻で笑った。


「説明するには、ちょうどいい場所だ」

 男はつり革にもたれ、まるで通勤途中のサラリーマンみたいな態度で言った。


「ここは“戻り道”だ。現実でも過去でもない」

「ふざけるな……!」

 ユズルは男に詰め寄ろうとして、足が動かないことに気づいた。


 床に縫い止められたみたいに、身体が言うことをきかない。


「安心しろ。縛ってるわけじゃない」

 男は淡々と続ける。


「お前がまだ、“理解する側”じゃないだけだ」

 ユズルの胸に、怒りが湧いた。


「父を殺したのは、あんただな」

 空気が、ほんの一瞬だけ張り詰めた。


 男は否定しなかった。

「ああ。俺が刺した」


 その言葉は、驚くほど軽かった。

「理由は?」

 震える声でそう聞くと、男は少し黙ったあと、フードの奥で笑った。


「冤罪だ」

「……は?」

「お前の父親に、俺は捕まえられた。やってもいない罪でな」

 ユズルの頭が、うまく回らない。


「証拠はあった。状況も揃ってた。世間は拍手した。優秀な刑事だってな」

 男の声が、徐々に低くなる。

「でも俺は、独房で全部失った」


 仕事。

 家族。

 名前。


「叫んでも、誰も聞かなかった。

 正義ってのは、そういうもんだ」

 ユズルは反射的に言い返そうとした。


「父は……そんな人じゃ――」

「分かってる」

 男は即座に遮った。


「お前の父親は、悪人じゃない。むしろ、真面目すぎるくらいだ」

 だからこそ――と、男は続ける。


「疑わなかった。自分の正義を」

 電車の中に、重い沈黙が落ちる。


「……じゃあ、能力は」

 ユズルは話題を変えた。

 変えずにはいられなかった。


「俺が、死んで戻ったのは……」

 男は、ようやく真っ直ぐにユズルを見た。


「タイムリープだ」

 簡単な言葉。

 簡単すぎる言葉。


「条件は?」

「死ぬか、選択を強く後悔すること」

「回数は?」

「制限はない。今のところはな」

 ユズルの背筋が冷える。


「……なんで、俺に」

 その問いに、男は少しだけ表情を歪めた。


「お前は、俺と同じだ」

「正義に、人生を預けた」

「そして、間に合わなかった」

 男は、ゆっくりとフードを深く被り直す。


「俺はな、独房で“悪魔”に会った」

 唐突な言葉。


「願いを言えって言われた。だから、こう答えた」

 ――あいつに、同じ苦しみを。


「殺すだけじゃ足りなかった」

 男の声が、微かに震える。


「失わせたかった。信じていたものを」

 ユズルは、嫌な予感に支配される。


「だから父親を殺した」

「そして、お前に能力を渡した」

 視界が揺れた。


「……渡した?」

「そうだ」

 男は、はっきりと言った。


「この力は、もう俺のものじゃない」

「お前が最初に会った時点で、譲渡は終わってる」

 ユズルの喉が鳴る。


「じゃあ……あんたは、今……」

「空っぽだ」

 男は笑った。


「復讐だけを終わらせた、抜け殻だよ」

 電車の照明が、ちらつく。


「お前はこれから、人を救おうとする」

「正義のために、殺すだろう」

「そして、必ず間違える」

 男は、まるで未来を見てきたみたいに断言した。


「その時、お前は分かる」

「正義は、何度でも人を殺すってな」

 光が、再び溢れ出す。


 世界が動き出す直前、男の最後の言葉が落ちてきた。


「安心しろ、ユズル」

「お前は、俺よりずっと地獄に行ける」

 電車が、何事もなかったかのように走り出した。


 車内には悲鳴も、刃物の男もいない。


 ただの、夕方の風景。

 ユズルは、自分の手を見つめた。

 震えている。

 だが――。


(使える)

 その考えが浮かんだ瞬間、ユズルははっきりと理解してしまった。


 この力は、もう捨てられない。

 正義をやり直せる限り、

 自分は、何度でも死ねる。


 それが、呪いだと知りながら。

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