第十章 下水という革命

王国水道局の設立から半年。


 勝男は王都ゼルディアの上水道整備に全力を注いでいた。


 ヴェルニアでの経験を活かし、山からの水道橋建設と、市内の配水網整備を同時並行で進めた。


 しかし——


 上水道だけでは、問題は解決しなかった。


「疫病は減ったが、まだゼロじゃない」


 勝男は報告書を前に頭を抱えた。


「原因は——」


 下水だ。


 王都には下水道がなかった。


 人々は糞尿を街路に捨て、雨水と一緒に川に流す。その川から、下流の人々が水を汲む。


 悪循環だった。


「下水道を作らないと、根本的な解決にはならない」


 勝男はリーゼに説明した。


「上水道が『綺麗な水を届ける』仕組みなら、下水道は『汚れた水を集めて処理する』仕組みだ。両方揃って初めて、衛生的な都市になる」


「でも——」


 リーゼは困った顔をした。


「下水道って、お金がかかるんでしょう? 上水道だけで、もう予算がギリギリなのに」


「だから王に頼む」


 勝男は立ち上がった。


「下水道の重要性を説明して、追加の予算を出してもらう」


    *


 王への謁見で、勝男は下水道計画を詳しく説明した。


 街中に溝を掘り、汚水を集める。


 集めた汚水を、街の外にある処理場に運ぶ。


 処理場で汚泥を沈殿させ、上澄みだけを川に放流する。


「沈殿した汚泥は、肥料として農地に使えます。無駄にはなりません」


 王は興味深そうに聞いていた。


「なるほど……合理的だな」


「ただし、工事には時間と費用がかかります。上水道の三倍くらいを見込んでいただきたい」


「三倍……」


 王は眉をひそめた。


「国庫は余裕があるわけではない。それだけの費用を——」


「陛下」


 勝男は一歩前に出た。


「下水道がなければ、疫病は止まりません。疫病が続けば、人が死に、経済が止まります。長期的に見れば、下水道に投資した方が、絶対に得です」


 王は考え込んだ。


「……わかった」


 しばらくの沈黙の後、王は言った。


「予算を出す。ただし、条件がある」


「何でしょうか」


「下水道の工事に、民衆を雇うこと。疫病で仕事を失った者たちが、街に溢れている。彼らに仕事を与えてやってくれ」


 勝男は深々と頭を下げた。


「お任せください」


 こうして——


 王都の下水道工事が始まった。


    *


 下水道工事は、上水道以上に困難を極めた。


 まず、住民の反発があった。


「自分の家の前に溝を掘るな!」


「汚物を流す溝なんか、臭くてたまらん!」


 勝男は根気強く説得した。


「溝に蓋をします。臭いは漏れません。むしろ、今街路に捨てられている汚物がなくなるので、街は綺麗になります」


 それでも、なかなか理解は得られなかった。


 結局、王の命令という形で工事を強行することになった。


 しかし、完成してみると——


 住民の態度は一変した。


「本当だ……臭くない」


「街路が綺麗になった」


「これは……すごいな」


 下水道の効果は、目に見える形で現れた。


 街中に散乱していた汚物が消えた。


 悪臭が薄れた。


 そして何より——


 疫病の新規患者が、劇的に減った。


「上水道と下水道。両方揃って、初めて効果が出る」


 勝男は報告書に書いた。


「どちらか一方だけでは、十分ではない」


 王都の成功は、他の都市にも広がっていった。


 辺境伯領のヴェルニア。


 北方の城塞都市ノルデンブルク。


 南の港町セラフィム。


 次々と、水道局の支部が設立され、工事が始まった。


 配管職人ギルドは急速に成長し、王国最大のギルドの一つになりつつあった。


 そして——


 勝男がこの世界に来てから、五年が過ぎようとしていた。


    *


 ある日の夕方。


 勝男は王都の噴水広場で、水を見つめていた。


 噴水から湧き出る水。


 それは、五年前には存在しなかったものだ。


 勝男と、彼に従った人々が、ゼロから作り上げたもの。


「何を考えてるの?」


 リーゼが隣に来た。


 彼女は今では「王国水道局副局長」の肩書を持っている。勝男の片腕として、全国の水道事業を統括していた。


「昔のことを思い出してた」


 勝男は言った。


「日本にいた頃のことを」


「日本……あなたの元の世界?」


「ああ。俺は六十五年生きて、四十年働いて、孫娘の誕生日に——」


 勝男は言葉を切った。


 孫娘。


 もう会えない家族のことを、今でも時々思い出す。


「後悔してる? この世界に来たこと」


 リーゼが静かに聞いた。


「……いや」


 勝男は首を振った。


「後悔はしてない。この世界で、俺がやるべきことをやれた。それだけで十分だ」


 噴水の水が、夕陽にきらめいている。


 その時——


「局長!」


 兵士が慌てて走ってきた。


「大変です! 北方から——」


 勝男は立ち上がった。


「何があった」


「腐海の魔王が——侵攻を開始しました!」


 勝男の顔が引き締まった。


 腐海の魔王。


 北方に棲む、最も恐ろしい魔王の一人。


 その軍勢が、ついに動き始めた。


「詳しく聞かせろ」


 勝男は言った。


 新たな戦いが、始まろうとしていた。


    *


 勝男が世界を救う戦いは、まだ始まったばかりだった。


 これから彼は、神殿の陰謀を乗り越え、魔王との決戦に臨み、この世界の運命を左右する存在となっていく。


 しかし、それはまた別の物語——


 水道屋の異世界転生譚は、ここから本当の山場を迎えることになる。


 〈第一部 完〉

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