第三話 エンジェルステーション
宙からの廃棄ポッドに入っていた、汚れひとつない純白の球体。
大きさはバスケットボールくらい。
その表面は陶器のようになめらかで、継ぎ目ひとつ見当たらない。
完全な球体は、何とも言われぬ美しさがあった。
「なんだこりゃ? 宙ではこんなのでバスケでもするのか?」
プリスキンが眉をひそめるが、レドリックは興味深そうにそれを抱え上げた。
「いや、違う。……温かい」
「温かい?」
「ああ。カイロみたいにな。ほんのりと熱を持っている」
レドリックは不思議そうにその白い球を撫でた。
アレンも恐る恐る触れてみる。確かに、冷え切った指先を温めてくれるような、心地よい温度が伝わってくる。
もちろん、アレンたちはまだ知らない。
この球体が、敵意から身を守るために、ナノマシンの防衛本能が生み出した強固な「殻(シェル)」であることなど。
そしてその内側に、一人の赤ん坊が眠っていることなど、想像もしていなかった。
「とにかく、持って帰るぞ。素材は分からんが、少なくとも『スランプの特効薬』代わりにはなるかもしれん」
「ありがたい話だな」
レドリックは白い球を大事そうに脇に抱えると、満足げに笑った。
男たちは奇妙な戦利品といくつかの金属部品、鉄屑を手に、帰路についた。
拠点に戻ると、イノシロウが用意していた温かいスープの香りが迎えてくれた。
だが、今夜の主役は温かな食事よりも、持ち帰った白い球体だった。
クッションの上に置かれた謎の白い球体。
「……放射能反応はなし。毒性ガスも検知されません」
リンジー医師が旧式の計測器をかざし、不思議そうに首を傾げた。
「これは失われて久しい、ナノマシン装甲に近い性質を持っているようです」
「生きたナノマシンが、暴走ナノマシンの雲をすり抜けて来たって?」
プリスキンがスープをすすりながら、疑問の声を上げる。
レドリックは腕組みをして、蒐集家としての鑑定眼を光らせていたが、やがてお手上げだと言わんばかりに肩をすくめた。
「継ぎ目すらない。レーザーカッターでも傷一つ付かんぞ、こいつは」
結局、正体は分からずじまいか。
アレンはため息をつき、テーブルの上の球体に近づいた。
近くで見れば見るほど、その白さは異質だった。
汚れきったこの世界において、そこだけが切り取られた空白のように美しい。
「お前は一体、何なんだ?」
アレンは独り言のように呟くと、何かに誘われるようにして、その滑らかな表面に手を触れた。
ほんのりとした温かさが指先に伝わる。
その時だった。
「……おい、アレン。離れろ」
ファルケンバーグの警告より早く、異変は起きた。
アレンが触れた場所を中心に、硬いはずの白い表面が、まるで水面のように波打ち始めたのだ。
アレンは慌てて手を引っ込めた。
「動きやがった!」
プリスキンが思わずナイフを抜いて身構える。
ギーグスたちが息を呑んで見守る中、球体は重力を無視して、テーブルから三十センチほどふわりと浮き上がった。
「……光ってる?」
誰かの声がした。波打つ表面から、蛍のような柔らかな光が溢れ出し始めていた。
やがて、白い外殻そのものが光の粒子となってほどけていく。
それは雪のようであり、桜の花弁のようでもあった。
ほどけた光の粒子は、空中で螺旋を描きながら、中心にある「何か」を優しく包み込んでいく。
その中心にあったものを見た瞬間、アレンの思考は停止した。
赤ん坊だ。
光に包まれた赤ん坊が、胎内にいるかのように丸まって宙に浮いていた。
螺旋を描いていた光の粒子は、ゆっくりと赤ん坊の背中へと集束していく。
その光の軌跡は、一瞬だが、光り輝く二枚の「翼」を幻視させた。
「……天使」
誰ともなく、その単語が漏れた。
信心深さとは無縁のゴロツキや偏屈者たちでさえ、その光景の神々しさには目を奪われていた。
光の粒子はすべて赤ん坊の背中へと吸い込まれ、ナノマシンの輝きは静かに消えていく。
ふわり、と。
支えを失った赤ん坊が、ゆっくりと重力に従って降りてくる。
慌ててレドリックが手を伸ばそうとしたが、その必要はなかった。
赤ん坊は羽毛が着地するように、音もなくテーブルの上へと横たわった。
光が収まった部屋には、安らかな寝息を立てる赤ん坊だけが残された。
先ほどまでの熱気は消え、ただ、柔らかな生命の温もりだけがそこに在った。
誰もが身動き一つせず、ただテーブルの上で静かに眠る赤ん坊を見つめていた。
さきほどまでの神々しい光の余韻が、薄暗い部屋の空気を浄化してしまったかのようだった。
視界が滲んでいることに気づき、アレンは無意識に頬に触れた。
指先が濡れていた。 ……涙? こんな乾いた世界で、水分を無駄にするなんて馬鹿げている。
そう自嘲しようとしたが、言葉にならなかった。アレンは乱暴に袖口で顔を拭うと、照れ隠しのために周囲を見渡した。
だが、誰もアレンの涙を笑う者はいなかった。 此処にいた全員が、同じだったからだ。
憎まれ口ばかり叩くプリスキンが、鼻をすすりながら天井を仰いでいる。
鉄仮面のようなファルケンバーグの目尻にも、光るものが見えた。
笑顔を絶やさないイノシロウも、いつも冷静なリンジーも。
そして、冷徹な蒐集家であるはずのレドリックでさえも、祈るような瞳で小さな命を見つめていた。
言葉を交わす必要はなかった。
理屈でも、損得勘定でもない。
この瞬間、この場に居た変わり者たち(ギーグス)の胸中に、ある一つの共通した、そして強烈な意志が芽生えていた。
――この天使を、なんとしても育てる。
天使こそ、灰色の世界で彼らが見つけた、未来への希望だった。
「オギャア! オギャア!」
神聖な静寂は、唐突に破られた。
裂帛の気合いの如き泣き声が、部屋に反響した。
急な出来事に、ファルケンバーグも身構える。
「て、敵襲か!?」
「違う大佐! 泣いてるんだよ!」
アレンが叫ぶと、我に返った男たちの間でパニックが伝播した。
「プリス! お前の顔が怖いからだ!」
「それを言ったらお前だろ!」
ナノマシンの脅威にも眉一つ動かさない猛者たちが、たった一人の赤ん坊を前に狼狽えている。
「少し声を落とせ、天使が怖がるだろう」
レドリックに窘められ、ファルケンバーグとプリスキンが縮こまる。
「泣き止まないぞ」
「腹が減ってるんじゃないのか? 」
「確か食品在庫の中に脱脂粉乳もあったはず……」
普段廊下を走るなと口うるさいイノシロウが、倉庫に向い駆けだした。
「おい、裸のままだぞ。寒いのかもしれん」
プリスキンが指摘すると、レドリックは即断した。
「倉庫にあるシルクのタペストリーを使う。 最高級品だ、肌触りもいい」
「正気か? あれは旧時代の美術館から回収した国宝級の……」
「知ったことか」
バタバタと足音が飛び交う。
それは、旧時代の文化と蒐集品を愛した「ギーグス」の拠点が、喧騒と活気に満ちた「家」へと変わった瞬間だった。
数時間後。
お腹も満たされ、国宝級の布でおくるみを作ってもらった赤ん坊は、ようやく満足して再び眠りについた。
男たちは全員、泥のように疲れ切って床に座り込んでいた。
「……やれやれ。テイカーの襲撃の方がまだ楽かもしれん」
アレンがぼやくと、疲れ切った顔のレドリックが、それでも満足げに笑った。
「違いない。だが、悪くない疲れだ」
レドリックは眠る赤ん坊を見つめ、宣言するように言った。
「今日からここは、ただの拠点じゃない。この天使を守るための砦だ」
誰も異論はなかった。
かくして、ギーグスたちの拠点はこの日をもってその名を変えた。
天使の住まう場所――『エンジェルステーション』と。
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