文学少女転生編⑤


『幼い頃のヨモギは、何かを呼ぶときに、必ず「さん」を付けた。理由はなかったと思う。その頃に、自我はあっただろうか。物心はついていた。こうして死んでしまったあとでも、ゾウさん、カルピスさん、サンタさん、と丁寧に呼んでいたのを覚えている。親の教育でもなく、地域の常識でもなく、学校の流行でもなかったから、きっと「さん」はヨモギの自我だった』


『何事にも尊敬できないときがあった。反抗期というやつだ。ヨモギは「さん」を付けなくなった。止めた、という意識もなかった。視力がよくなったのだ。よくよく見てみると、尊敬に値しないことが多い。像、カルピス、タ、とわたしの心から「さん」は消えた。マッチに火を着けるのが平気になったのもその頃だ』


小説を書いている途中、揺れを感じたわたしは紙にペンを落とす。


地震だ。


身に沁みついた癖で机の下に隠れる。いや身に沁みついたというのは違った。身体はウラフリータのものだ。机の下に隠れる癖が、身に沁みついているはずがない。机の下に潜る行為は、貴族の淑女としては恥ずかしい行為だ。この癖は心に沁みついたものだった。


震度は3くらいだろうか。この世界の人は地震の強さやエネルギーを測定することはしない。短時間の縦揺れで地震はおさまった。わたしは机の下から出て椅子に座る。


温泉があることからも分かるとおり、ノースアロライナの周辺には活火山がある。日本ほどではないけど地震は頻繁に発生している。地球が丸いから地震が発生するのだと思っていた。平らなこの世界でも自然と大地は揺れる。

 

揺れはわたしの恐怖心を煽る。小さな揺れにも過剰反応してしまう。そういえばヨモギは避難訓練にまじめに取り組む女の子だった。しっかりと口をハンカチで覆い、周囲を確認しながら、おさない、走らない、喋らない、戻らない、の「おはしも」を守る。そのことも小説に書く。

 

ウラフリータの記憶を覗いてみても、避難訓練が行われた形跡はない。領主候補として最初に行う事業を決めた。避難計画を作り避難訓練を実施する。ノースアロライナの貴族、領民に防災意識を植え付けるのだ。


◇◇◇


家族との食事会に先立ち、お母様との面会が実施されることになった。わたしは何も聞かされていなかったが、唐突に決まったことらしい。「ウラフリータ様の唐突なところは、フランマーズ様にそっくりです」とモルシーナが言っていた。


今回の面会はお母様が主催している。食事会の練習も兼ねているようで、お母様の夕食にお呼ばれした形だ。当然、夕食のマナーなどはフリタルト先生から叩きこまれている。側仕えとしてモルシーナのサポートもあるから不安はない。


「お食事に影響がないように、香水の匂いは控えめにして。それから髪飾りは、お母様から頂いたものを使いましょう」


モルシーナに出した指示はお食事に呼ばれた際のテンプレートである。貴族の女性は自分の服装に様々な意味を持たせる。匂いが控えめな香水は、お食事を楽しみにしていましたという意味だ。また主催者から頂いたモノを身に着けるのも、同じような意味になる。


マナーに関して問題はないけど、不安なのはわたしが転生者であるということ。お腹を痛めて産んだお母様が今のわたしを見たらすぐに違和感に気づくかもしれない。この不安は母親というものを少し神聖視しすぎだろうか。わたしは前世でも母親になったことがないから、こればっかりは分からない。


ウラフリータにおっぱいの飲ませていたのは、乳母であるモルシーナのお母さんだ。それから養育係として幼い頃に子守りをしていたのは、モルシーナの前に筆頭側仕えをしていた上級貴族出身の女性である。わたしが海に落とされた事件の責任を取って辞任しているのだけど、ほとんどの期間をその人と過ごしていた。


親子といえどウラフリータとお母様が一緒にいた期間は短い。若くしてわたしの筆頭側仕えに選ばれるくらい優秀なモルシーナでも気づけないのだ。わたしとウラフリータの本質は似ているのだと思う。


そもそもお母様がわたしの様子に違和感を覚えたところで、どうにもならないはずだ。最後の一言さえ言わなければ、わたしの多少の罪悪感が刺激されるだけだ。いや、わたしに何か罪があると考えるのも違う。わたしの心に漠然と蔓延る不安や、罪悪感の正体は、ただ普通に生きているだけでも感じるであろうそれと同じだ。それを転生の罪悪感や、不安に勘違いしているだけだと思う。


はぁ、とため息を吐く。


転生者のコミュニティなどはないのだろうか。同じ境遇の人で、悩みを打ち明けられる場所があったらかなり楽になると思う。わたしが知っているこの世界の転生者は、口だけ賢者ローレライだ。彼でもかなり前の時代の人で、残念ながらとっくの昔に亡くなっている。


「そんなに思いつめた顔をせずとも、ウラフリータ様なら大丈夫ですよ。模試でも一発合格だったではありませんか。長年教育に携わっているフリタルト殿もこんなにデキの良い子供は初めて見たと申されていました」

「一発合格だからこそ不安なのよ。何度か間違っていたら、失敗しないように注意できるけど、わたしは失敗したことが無いから、失敗したときにどうなるか想像つかないの。未知なのが一番怖いんだから」


モルシーナはわたしの不安そうな様子を見て勘違いしたけど、その勘違いに合わせておく。実際、失敗したときにどうなるかは想像できない。わたしみたいな自信満々な人間は、失敗したときのことなんて鼻から考えないけど、転んだときの立ち上がり方は、学んでおかないと不安になる人もいる。


「では、今日のうちに失敗を経験しておくといいでしょう。フランマーズ様はそのつもりで今回の面会を主催しているのですから、ウラフリータ様が失敗をなさってもお咎めはないと思います」

「それだとお母様に余計な心配をかけることになってしまうわ。少なくとも、お母様の前では失敗なんて有り得ない。今回の面会は完璧にこなします。いいですね?」

「承知いたしました」


完璧にこなすと言えば、モルシーナは完璧にサポートしてくれる。アルナシーム様世代のノースアロライナの貴族は、黄金世代と呼ばれるほどに優秀な人材が揃っている。さらに他領の優秀な平民を引き抜いているから恐ろしい。ノースアロライナは比較的最近にできた領地なので国における影響力は低いが、黄金世代が本格的に政治の中心になるころには、無視できないほどの存在になるのは間違いないとされている。


アルナシーム様世代が中央学園の貴族院に在籍したころには、ノースアロライナの学生は建国以来の大領地に引けを取らない存在感だったとモルシーナは語る。ポジティブな自画自賛なのではないかと、フリタルト先生にも確認したが、良かれ悪かれ目立っていたのは確かだと言っていた。


「モルシーナとお母様は年が5つ離れているのよね?」

「はい。わたしが今年20になりますので、フランマーズ様は25になりますね」

「てことは、モルシーナが貴族院の一年生だったときに、お母様は五年生でしょ? お母様は貴族院ではどんな風だったの?」

「領地の代表として皆をまとめ上げていました。フランマーズ様はノースアロライナの上級貴族の出身ですが、そのころにはドラゴ・ノースアロライナとの結婚が決まっていましたから、領主一族としての振舞いが認められていたのです。アルナシーム様のような御転婆な生徒もピシっとさせることのできる、立派なお方なのです」


わたしの身支度を整えている周りの側仕え達も頷いている。お母様のことなら昔から知っている人も多い。彼女らは元々お母様の側仕えだで、今は養育期間のため一時的にわたしに仕えているだけだ。


わたしの実質的な側近は筆頭側仕えのモルシーナと、護衛騎士であるテスタート、それから護衛騎士候補であるアリスローゼしかいない。これから家族との食事会が無事に終わればお披露目式がある。そしたら今度は貴族や、領主候補としての事業に関わる社交に参加することになる。そこで中央学園の貴族院に一緒に入学できる同世代の側近を見つけなければならない。


政務を任せられる文官。

 

身辺を警護する護衛騎士。

 

生活を取り仕切る側仕え。


アリスローゼ、モルシーナ、テスタートを中心とした優秀で勤勉なチームを作る。わたしが領主候補の執務に追われず、小説の執筆の時間を確保するために、優秀な人材は必要不可欠だった。


◇◇◇


ドアの横に付いてあるベルを鳴らす。実際に鳴らすのは筆頭側仕えのモルシーナだ。わたしはドアの前で優雅に立っているだけ。立っているだけでもベルはわたしが鳴らしたことになる。モルシーナはわたしの手足だ。


ドアを開けたのは、お母様の側仕えの一人。彼女に促されて、わたしは入室する。わたしは部屋を川の流れに乗る落ち葉のように歩き、お母様の前に立って挨拶をする。


「歓喜の竜アトカラシウルの導きがありますように」

「結びます」


わたしのお招きいただきありがとうございますという挨拶は、凛とした声で結ばれる。挨拶を終えると椅子に案内される。わたしに合わせて足元に台が置いてあった。モルシーナがひいてくれた椅子にそっと座る。お母様とは食事のテーブルを挟んで対面する。


美しく流れる青色の髪が印象的な女性だった。顔立ちには確かにウラフリータの面影がある。大きな目をスッと細めてわたしを見ている。きっ、ちゃんと成長しているわたしを見て感慨にふけているのだろう。25歳の女性だ。まだ若い。ヨモギと、ウラフリータの年齢を足したら、ちょうどお母様の歳になる。


「体調はよろしくて?」

「目覚めてから、今日に至るまで万全です。アルナシーム様に診察していただいたおかげで、元気に勉学に励むことができています。しかし、身体は万全でも、心の方に不調があるようで、水に触れると気分が優れなくなります」


まずはわたしの体調を案じるお言葉だった。お母様はわたしが海に落とされてからの様子を報告でしか把握していない。少しでも安心させるために嘘偽りなく自分の体調を語る。わたしのしっかりとした受け答えに、わたしの普段の様子を知らないお母様の側仕えたちは驚いたように目を丸くした。ポーカーフェイスができていない。ノースアロライナ全体に言えることだが、政変が終わって社交に敵がいなくなり気が緩んでいるのだろう。


「水がいけないとなると、生活に支障が出るわね。お茶は大丈夫なの?」

「溺れるほどの量ではなければ、問題はありません。ですが、歯磨きは少し不快になりますね。一時的ではありますが、口の中で塩水ができることになりますから。口のなかに海水が入ったときのことが脳裏によぎるのです」

「お風呂はどうしているの?」

「お湯を絞ったタオルで全身を拭いてもらっています。床に臥せていたときと同じです」


これらのことは詳細に報告を受けているはずだ。それでも自分の娘の口から直接聞きたいのだろう。


「どうしても辛かったら、周りに相談するのよ」

「心得ています」


親子の会話にしては少し硬い気もするが、試験の練習と考えたらこれくらいで丁度良い。まあでもお母様としては、わたしとは遠慮の要らない会話を望んでいるんだろうな。それが表情に出ている。自分の娘の優秀さに安心しつつも、距離の遠さを不安感じる、複雑な顔だ。やっぱり、ポーカーフェイスができていない。

 

わたしは距離を縮めるために、クスッと笑顔を見せてみる。


「わたくし、お母様とのお食事をとても楽しみにしていたのです。お屋敷の料理はお母様が担当なさっているのでしょ? ノースアロライナの豊な海の幸を使った料理が大好きなんです。ぜひとも、お話を聞かせてください」

「まあ! ウラフリータは海の幸が好きなのね。お気に入りはある?」

「タコイカが大好きです。コリコリとした食感がやみつきです」

「それはよかった。今日はタコイカを使った料理も出るのよ」


お気に入りを聞かれたわたしは、今が旬のものを答える。こういう貴族のお食事会には旬の食材がふんだんに使われるのだ。主催者の顔を立てるような受け答えをするのも、一流の貴族女性には必須の技能であると習った。


ちなみにタコイカというのは、タコとイカの間を取ったような食材である。わたしが知っているのは皿の上のタコイカなので、生きている姿を見たことはないけど、タコとイカの中間くらいのピンク色の姿をしているに違いない。


雑談をしているうちに、コース料理が運ばれてくる。ノースアロライナの食事文化では、食べる人に合わせて出来立ての料理を提供するというのが基本にある。料理人には、美味しい料理を作るといった技術だけではなく、その人のお腹の具合に合わせた即興性が求められる。


その内容はフレンチに似ているだろう。空腹を和らげるための一口サイズの料理、酸味の強い野菜の料理、手間をかけて作ったスープ、消化に良い海の幸の料理、さっぱりとするシャーベット、野菜で見た目が演出されたメインの肉料理、甘いデザート、最後にコーヒーの順番で運ばれてくる。


料理を運ぶ給仕は、わたしとお母様の様子をチェックしている。日本の庶民だったわたしには、この食事スタイルはむずがゆく感じる。基本的に、焼きそばとか、お好み焼きが好きなのだ。とはいえ、舌はウラフリータのものだからだろうか、ノースアロライナの郷土料理はとても美味しく感じた。タコイカを使った料理も、消化に良い海の幸の料理のところで登場した。タコイカって消化に良いのだろうか?


ノースアロライナの料理は、お母様が学生時代から取り組まれてきた課題だ。お母様の事業や、他領から多くの平民が流れてきたこともあり、ここ数年でノースアロライナの料理は貴族平民問わずにとても進歩しているらしい。


「ウラフリータは、領主候補として取り組みたい事業は決まっているかしら?」

「出版事業と、防災事業に取り組みたいと思っています」

「出版と防災? どこで興味を持ったのかしら?」


子供は本を読むのを禁じられているのに、出版の興味を持つは普通じゃない。防災に関しても、この世界の人たちはそもそも防災の意識をほとんど持っていない。さらに、出版と防災は一切関係のない二つに思える。お母様が疑問に思うのも当然だ。


「ノースアロライナの歴史で、初代ドラゴのトッテンハイム様が『龍王書記』を国中に広げて莫大な富を築き上げたと習いました。つまり、ノースアロライナの礎には出版があると思うのです」

「なるほど。防災は?」

「わたくし、ここ最近は、お屋敷の裏にある丘に登っています。丘の上からはノースアロライナがよく見渡せるのですが、東にはサコスローラ山脈、西にはローマ海洋、その間をサクラス川が流れ、豊かな自然を見ることができます。しかし、その自然が龍神ウーデローネの意に反し、人に対して敵意を向けるかもしれません。そうなったときに、自然の豊かさは脅威だと感じました」


ここら辺はアドリブだ。出版や防災は前から考えていたことではあるが、みんなに相談したことはなかった。我ながらうまいことペラペラ口が回る。しかしヨモギは口下手だったはずだ。きっとウラフリータの舌の柔らかさなのだろう。


「さすがはドラゴ・ノースアロライナの娘。そしてわたしの娘。その調子で勉学に励みなさい。でも、張り切り過ぎて、周りを困らせないように。それから体調に気を付けて、たまには休憩をすることも忘れないようにしなさい」

「はい」


会食の最後は、母親らしいお小言でしめられた。貴族らしい大層な言い回しだったけど、どんな身分の母親も、母という本質は変わらないのだろう。いつかわたしもお母さんになったら小言を言うようになるのだろうか。小さな言葉。その言葉の大切さを知っているわたしは、深く頷いた。


◇◇◇


『お母さんは専業主婦だった。家庭を守るのがお母さんの仕事だった。小説を書いていて周りが見えなくなるわたしは、お母さんの小言をよく聞き流していた。朝は早く起きなさい。夜は早く寝なさい。身体は温めなさい。はいはい。分かりましたよー』



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