12話 秘匿とペンの蜜
竹内書店は、木造りでできた天井の高い本屋だった。真歩の身長以上に聳え立った何段もの本棚は少し埃っぽい天井へ伸びている。其処彼処に踏み台が置かれており、砂埃と共に土も軽くついている事から客も使って良い物だろうと言う雰囲気を醸している。
まずは目の前の高さの本のタイトルをざっと見やる。知ってる著者から知らない著者まで所狭しと本がぎっしり詰まっている本棚。全てが文学小説の様で隣の棚まで広がっている。その隣には、自己啓発書があり、更に隣には絵本まである。幅広いジャンルを取り扱い、膨大な作者の作品が置かれている竹内書店。その割には客は真歩と霧島以外は全くいない、静かな場所だった。これほど温厚な店主と沢山の本が並んでいるなら評判が客がを呼び人が多そうではあるが、寂しい町の一角の本屋にそこまでの集客力はないのだろう。返って居心地の良い素敵な隠れ家を見つけた様でほくほくとした気持ちになる。人が多すぎない所も霧島のお気に入りなのかもしれないな、と真歩はぽつりと思う。
本棚を掻き分けながら店内を行脚する。沢山のジャンルの中でも真歩が取っ付きやすい『現代小説』や『推理小説』など、普通の本屋でも良く見る様なコーナーへ立ち寄る。先程の棚よりは見知った著者や作品名が目に入り居心地の良さを感じた真歩は改めて背表紙から目当ての本を探していく。埃を巻き上げないゆったりとした歩調で背表紙を流しみていく。その中で1つ気になる本が目に入った。人の目にはあまり触れない下段の方、その中に埋もれた紫色の背表紙。――『武灯冬和著』ドキりと一度心臓が強く打たれる。そのままどくどくと繰り返す鼓動は、真歩の視線を本へ釘付けにさせるには十分過ぎた。
「霧島の……本、だ」以前、居酒屋で筆者直々に読む事を拒否されていた本が今目の前にある。霧島の私物ではなく本屋の商品として並んでいたのだから、真歩がお金を払えば堂々と霧島の文を読むことが可能だ。手に取るためにしゃがみこみ、目線を合わせる。手を伸ばした所ではたと気づいた。よく見てみれば武灯冬和著の本はどれもこれも恋愛小説の棚に並んでいた。「もしかして霧島って、恋愛小説作家……?」見た目にそぐわずいじらしい分野で活躍していたんだなぁ、と頬を緩ませながら愛おしげに霧島が書いた小説を親指で撫でた。『僕らの青春は、終わってから始まった』と書かれたタイトルと、巻かれた帯には、〝過ちを犯した高校生2人が死に場所を探すために逃避する〟と言う旨が書かれている。霧島の頭の中で生まれた世界が今真歩の手の中にある、その事がなんだかこそばゆくて小さく笑いが漏れた。
霧島が作った恋愛の世界を盗み見てみたい欲求が真歩の中でぞくぞくと湧きたつ。霧島から見た“物語として美しく見える恋愛”はどんな顔をして、どんな温度をしているのか。この作品の中の2人は果たして幸せになれたのか……。霧島の作った世界がとても気になってしまった。
真歩は、周辺に霧島がいないことを確認してそそくさとレジへ足を進めた。
レジ前にはタケのじっちゃんがマグカップを片手に分厚い本を読んでいた。暖かな室内でも視認できる湯気が上がるカップからはほろ苦いコーヒーの香りが漂う。傍らにある小さなミルクピッチャーが空っぽなことからブラックでは無い事が伺えた。
「あの、すみません……」
「お、先に神渡クンが来おったな」
読書の世界に没頭していた所を無理に声をかけたのに、いやな顔1つせずに朗らかに笑うタケのじっちゃんは今しがたかけていた眼鏡を外して、レジ横に置いてあった新しい物を掛けなおす。
「かなわんなぁ、歳をとると目が見えにくくて」
「眼鏡、変えてるんですね。こだわりですか?」
「いいやぁ、ただの老眼鏡じゃよ」
自虐をからからと笑うタケのじっちゃんに、安易な軽口を訂正しようと言葉を探す真歩だが体のいい謝罪は見つからず、申し訳なさで目を伏せる事しかできなかった。
そんな事など気にもしていないタケのじっちゃんは、レジの棚からそろばんを取り出している。「ほれ」と手を差し伸べられその上に先ほどの一冊を乗せる。手渡された一冊をみたタケのじっちゃんはズレていた老眼鏡を直しながら「ほぉ!」と面白そうな声をあげた。
「霧島クンの本じゃないか!」
「え、知っていらしたんですか?」
「勿論だともね。神渡クン、良いセンスしてるのぉ」
悪だくみをするようないたずらっ子みたいな顔をするタケのじっちゃんに誘われる様に真歩もニヒルに笑う。『霧島は知り合いに本を読まれるのを恥ずかしがる』と言う事実は共通認識だった。真歩以上に霧島の事を知っていてくれる人が居る事がなんだか温かくて、罪悪感で閉じていた口元が勝手に動き出す。
「霧島って、ああ見えて結構大人ですよね」
「ほう?神渡クンにはそう見えるのかい?」
「彼、高校生の頃から小説にずっと夢中で……小説家っていうぴったりな職業に成れたのに言いふらさないというか、自慢しないところがかっこよく見えるというか……」
「おれとは大違いで」クスクスと肩をすぼめて笑う真歩をタケのじっちゃんは懐かしいものを見る様に優しい眼差しで見つめている。一度コーヒーに口をつけて目を伏せながら彼は語りだした。
「ワシに言わせてしまえば2人とも子供じゃよ」
「え?」
驚いた真歩の表情を見つめるタケのじっちゃんはあっけらかんと真歩とは正反対の答えを導き出していた。
「キミたちより幾ばくか歳をとっているからとかそういう事ではなく、感覚的な話じゃけどね」
『霧島も子供の様?』真歩の中で腑に落ちない言葉が何度もリフレインする。言動こそおちゃらける事もある霧島だが、真っ直ぐ己の道を極めた事、それを飾らずに飄々としている姿、どれをとっても真歩にとっては『霧島は大人』に見えて仕方ない。高校の時に委員会活動を決める時も、社会に出て会社で働く時もそうだった。誘われたから、福利厚生が良かったから、それだけの理由で物事を選んだ真歩には意思など存在しない。ただひたすらに毎日を消費し続けている無意味な自分と、努力をコツコツ重ねて来た霧島が同じ子供であるわけ無いのに……。歯に物が詰まった様な言葉にし難い違和感を吐き出したくても、言葉を知らぬ真歩ではタケのじっちゃんに言い返す事もできなかった。
「神渡クン、霧島クンがどんな顔してキミの話をしているか知っておるか?」
「い、え。知らないです……」
「そうだろうねぇ。ほれ、教えてあげようね、耳貸してみて?」
タケのじっちゃんから見た霧島を知ることができる。秘密の共有みたいで感情が昂った。ドキドキする心臓を唾液と共にグッと飲み込む。耳打ちするように口元に手を当てて空いた手で手招きするタケのじっちゃんに右耳を近づけ2人して背中を丸めた。
「実はなぁ、霧島クンは……」
小さな声で囁かれる霧島の事実へ耳を欹てる。一言一句逃してたまるかとタケのじっちゃんの言葉を一つずつ丁寧に拾っていく。
――ダァン!
「!?」
刹那、大きな音でレジの卓が叩かれ吃驚して一気に背筋が伸びた。背後を振り返ると慌てた表情をした霧島が机上に掌を叩きつけている。もう片方の手は本を握りしめて空に浮いているが、さっさと投げ出したかと思うと優しい手つきで真歩の片腕を引っ張って霧島へ寄せていた。
衝動的で、そして穏やかな所作で真歩を引き寄せた。反比例にも思える行動に真歩は目を白黒させて霧島の顔を盗み見ようと試みるが、顔が抱きしめるように霧島の肩口へ抑えられている為身動きどころか視線を交わすことさえ叶わない。
「おい、じっちゃん。神渡に何吹き込もうとしてんの?」
「ふぉっふぉ。いやいや、若いってイイねぇ」
「しらばっくれんな!」
熱りだった霧島を意に返さないタケのじっちゃんは、今度こそ居住いを正してそろばんを叩き直す。真歩が持って来た本の値札を確認して「900円ね」なんて軽く言ってのけるから温度差についていけない。かく言う霧島もこれ以上口論する気は無いようで鼻を一つ鳴らして真歩のことを解放した。
いきなり宙ぶらりんになった真歩は、「え?」だとか、「へ?」だとか要領を得ない言葉をひたすらに繰り返し、顔を伏せた霧島と、ニヤニヤ笑うタケのじっちゃんを交互に見ることしかできない。
「本、買うんだろ?」
「財布出して」霧島の低くて抑揚のない声に肩を叩かれる。ハッとさせられた真歩は「すみません」と待たせた詫びを一つこぼしてさっさと荷物を漁り始める。千円札をタケのじっちゃんに手渡し釣り受けとる。紙袋に丁寧に仕舞われた真歩の本は豆ひとつない綺麗な皺だらけの手から渡された。
その間、霧島の顔を見るのがなんだか怖くて見られなかった。この状況に対して落ち着きすぎている霧島の声が真歩の不安を煽って仕方ない。霧島にとって、
思考している間に霧島の会計も終わっていて、ようやっと振り返った霧島と目線が合った。バツが悪そうな口元は一本に結ばれて、ゆらゆらと所在なさげに揺れる瞳孔は真歩を見ようとしない。〝不快な思いをした〟と言うより〝面白くないことが起きた〟、その方が正しい気がする顔を引っ提げて、片手をあげて挨拶したかと思えばさっさと竹内書店を後にする霧島。
「ちょ、ちょっと!」
「ふぉっふぉっふぉっ、またおいでね」
「ありがとうございました!」
霧島の不躾な態度に臆する事もなくタケのじっちゃんは朗らかに笑い飛ばし、焦った挨拶をする真歩は段々と距離が離れていく霧島の後を急ぐ様に後を追った。
引き戸を背中で閉じて外の空気に触れる真歩。先程まで通って来た道路の隅で霧島を見つけた。
電信柱の影でライターを擦ってタバコに火をつけている。ゆっくりと目を閉じて煙を感受した霧島は細い息と共に紫煙を吐き出す。節だった細い指も、脚を絡めて地に立つ姿も、タバコを吸っている事実も何もかも霧島は大人に見える。ただ、それを許さない不貞腐れた顔だけが、タケのじっちゃんが言っていた『霧島クンは子供』を証明している様だった。
「霧島」
「……ん」
「怒って、る?」
「……」
真歩から目を逸らした霧島は、「わかっている癖に」なんて言いたげだし、真歩も霧島が怒ってはいない事をわかっている。隣に並んで道路の反対側の竹内書店を2人でぼんやりと見る。
「いい本屋さんだね」
「……ん」
「霧島がお気に入りになるのもわかる」
カラカラと笑ってみせる真歩。霧島のささくれだった心をあったかく解かせれば、となるべく軽い調子で話しかけ続けた。
「ねえ、霧島?このままどっかカフェ行かない?」
「ん」
「実はね、前霧島の家に看病しに行った時思ったんだ。霧島と2人で本買って、カフェで読み切るんだ。それができたら、おれすごく幸せだなって」
「……ん」
雲がかかった空がゆらゆらとたなびいて、切れ目から柔らかい光が降り注ぐ。冬の晴れは暖かい黄色をしていた。
「タバコ吸い終わったら行こうね」
「ん〜」
間延びした、
目線が絡まない、でも間違いなく気持ちは届いていた。ささくれは光に溶かされ雪解け水の様に透明で柔らかな流れを作っている。冬が明けたかの様な暖かな休日は、霧島のお気に入り〝竹内書店〟から確かに始まっている。細く不規則に上がっていくタバコの煙が、竹内書店を照らす光を辿って空へ溶けていった。
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