ふわり、キミへと傾いていく
下川科文
素直じゃない日常
素直じゃない日常
朝の教室は、まだ静けさが残っていた。窓から差し込む光が、床や机に柔らかく反射している。日向あかりは自分の席に座り、ノートを開いていた。表向きは授業の準備をしているように見えるが、心は全く別のところにあった。
隣の席に座る佐藤紘太は、相変わらず無表情でノートを広げている。黒髪は少し寝癖が残っていて、彼の真剣な顔つきと相まって、不思議と落ち着いた雰囲気を作っていた。
あかりはそっと視線を紘太に向ける。授業が始まる前の、ほんのわずかな静寂の中で、紘太はノートの文字を見つめながらペンを走らせていた。
「ねえ、昨日の課題、わかった?」
声をかけると、あかりは驚いた。紘太は普段、必要以上に話しかけてこないからだ。
「え、ああ……うん、大体ね」
あかりは少し間を置いて答える。心の中では、「こんなことで話しかけてくるなんて、どうして?」と少し動揺していた。
茉白が後ろの席から小声で呟く。「あかり、完全に意識してるでしょ」
あかりは思わず顔を背ける。茉白の言葉に赤面する自分がいるのを、確かに感じた。
授業が始まり、先生の声が教室を満たす。あかりはノートに目を落としながらも、つい隣の紘太のペン先の動きに目を向けてしまう。静かに書く彼の仕草や、たまに眉間に寄るしわが、なんだか気になって仕方がなかった。
休み時間、クラスメイトたちが廊下や教室を行き交う中、あかりは自分のペンケースを探していた。すると、紘太がさりげなく手を伸ばし、探していたペンを差し出す。
「これ、あかりのだよね?」
あかりは一瞬、胸の奥がざわつくのを感じた。
「ありがとう……」
その一言で、なぜか心臓が少し跳ねる。紘太は何も言わずに席に戻るが、あかりは視線を戻すことができず、ノートに目を落とすふりをして、ほんの少しの間だけ胸の高鳴りを隠した。
茉白が小声で囁く。「見逃さないからね……」
あかりは軽く目を閉じ、心の中で自分を落ち着ける。紘太は、友達として当たり前のことをしてくれているだけだ。だけど、心の奥では「もっと特別に思われたい」と、知らず知らず期待してしまう自分がいた。
放課後の授業が終わり、教室に人が少なくなる。あかりはノートをしまいながら、自然に紘太と同じ方向に歩き出す。互いに言葉は少ないが、歩くリズムや微妙な距離感が、なんとなく心地よかった。
茉白は少し離れて二人を観察しながら小さく笑う。「あーあ、これ絶対揺れてる……まだ本人たちは気づいてないけど」
あかりは赤面しながらも、心の中でそっと思う。――この距離、壊したくない。
教室のドアを開け、廊下に出た瞬間、冬の冷たい風が頬を撫でる。あかりは深呼吸し、心の中で小さくつぶやく。「明日も……この距離を楽しもう」と。
放課後の教室は、授業のざわめきがすっかり消え、静けさに包まれていた。あかりは机の上に教科書を広げ、明日の課題を片付けていた。隣に座る紘太も、自然な距離感でノートに目を落としている。
「ねえ、これの解き方、ちょっと教えてくれる?」
あかりは軽く視線を上げ、紘太のノートを見る。問題を指でなぞりながら、「こうやれば簡単だよ」と説明する。紘太は無表情ながらも、時折目を細めて真剣に聞いている。
その真剣さに、あかりは胸の奥がじんわり熱くなる。こんなとき、心の中で「もっと近くにいてほしい」と願ってしまう自分がいるのを感じる。
茉白が教室の後ろで、こっそり小さく囁く。「あーあ、完全に心、揺れてる……」
あかりは思わず眉をひそめる。「うるさい、邪魔しないで」
茉白の存在は鬱陶しいけれど、同時に微妙な安心感もあった。二人の関係がまだ公になっていない今、茉白の冷やかしは安全装置のようなものだった。
紘太は課題を片付けながら、「あかりって、説明うまいな」とぽつりとつぶやく。
あかりは少し照れくさくなり、ペンを置いて目をそらす。「そ、そんなことないよ」
その瞬間、教室の隅で茉白が手を叩いて小さく笑う。「きゃー! 完璧に勘違いしてるじゃん!」
あかりは赤面しつつも、内心では「別に勘違いじゃないし」と反論する。だけど、紘太の真剣な表情に触れるたび、心が不思議に揺れるのを感じる。
⸻
数日後の図書館。あかりは自習机に座り、静かに参考書をめくっていた。紘太は隣の机に座り、黙々とノートを書いている。二人の間には言葉が少ないけれど、居心地の良さが漂っていた。
「この問題、どうしてもわからなくて」
紘太は顔をあかりの方に向ける。「じゃあ、一緒にやろうか」
その自然な申し出に、あかりの胸が少し高鳴る。言葉少なでも、紘太は自分に気を配ってくれている――それが何よりも嬉しかった。
茉白は遠くから観察して、指をくわえながら小声でつぶやく。「ふふ、これ絶対進展してる……まだ二人とも自覚してないけど」
あかりは思わず笑いそうになるが、周囲に人がいるので必死で堪える。小さな距離感の揺れが、心の中で着実に積もっていく。
⸻
放課後の校庭で、バドミントンをすることになった日。紘太がラケットを振った瞬間、シャトルが予想外の方向に飛び、あかりの肩に当たりそうになる。
「ご、ごめん!」
あかりは驚き、思わず後ろに下がる。紘太は慌てて手を伸ばす。「大丈夫? 怪我してない?」
「う、うん、大丈夫」
そのやり取りだけで、心臓が跳ねる。紘太の表情や声のトーンの一つ一つが、あかりの心を刺激していた。
茉白が遠くで叫ぶ。「うおー! まさかの胸キュン展開!??」
あかりは思わず吹き出すが、内心では少し嬉しく、少し焦る自分に気づく。友情の範囲を超えた感情が、確かに芽生えつつあった。
⸻
その週末、あかりは家で課題をこなしながら、紘太とのやり取りを思い返していた。
「なんでこんなに意識しちゃうんだろう……」
誰にも言えない気持ちを胸に抱えつつ、でも少しずつ自分の感情に向き合う覚悟が生まれ始めていた。
「この距離感、もう少し楽しんでみようかな……」
窓の外には、夕暮れのオレンジ色の光が差し込む。あかりの胸の中で、微妙な緊張と期待が交錯していた。
放課後の図書館。窓から差し込む午後の光が、木製の机に柔らかく反射していた。あかりは自分の席に座り、黙々と課題に取り組んでいる。隣の紘太も、いつも通り無言でノートを広げていた。
「ねえ、あかり、この問題、こっちの解き方でもいいのかな?」
紘太が指をさして尋ねる。あかりは少し考え、ペンで別の解き方を書きながら説明する。
「なるほど……そういう考え方もあるんだね」
紘太の目が少しだけ柔らかくなる。その瞬間、あかりの胸は高鳴る。彼のほんのわずかな表情の変化に、心が反応してしまうのだ。
茉白は遠くの棚の後ろから、コソコソと観察している。「あーあ、完全に進行してる……本人たちまだ気づいてないけど」
あかりは微かに笑う。茉白の言葉は鬱陶しいけれど、どこかほっとする安心感もある。
⸻
図書館を出ると、廊下は誰もいない。夕暮れの光が床に長く影を作る。二人の歩幅が自然に合う。あかりは心の中で少し戸惑う。「友達としての距離」と思いつつ、なぜか紘太と一緒にいると安心する自分がいる。
「今日はありがとう」
紘太が少し照れた声で言う。
「ううん、こっちこそ」
お互い短く答えるだけだが、その言葉の間に、言葉にできない想いが積もっていく。
茉白は廊下の角から小さく笑う。「あー、見逃せない瞬間……」
あかりは顔を赤らめながらも、心の中で少し笑う。紘太の隣にいるだけで、何も言わなくても十分満たされる自分がいた。
⸻
その帰り道、校庭を通り抜けることになった。冬の風が冷たく頬を撫でる。紘太が先に歩いていると、シャツの袖が少しめくれ、白い腕がちらりと見えた。
あかりの心臓が跳ねる。こんな些細な瞬間でさえ、心の奥底がざわつく。
「……寒くない?」
紘太は何気なく声をかける。
「うん、大丈夫」
あかりは頷くが、心の奥では「もっと近くにいてほしい」と願う自分がいるのを否定できなかった。
茉白は少し離れたところから手を叩く。「きゃー、完全に恋の始まりの匂い!!」
あかりは思わず吹き出すが、紘太には見られないように息を殺す。小さな事件や茉白の茶化しも、二人の距離を縮めるスパイスになっているのかもしれない。
⸻
その日の夜、あかりは自室でノートを閉じながら考える。
「紘太と一緒にいる時間って……なんでこんなにドキドキするんだろう」
誰にも言えない気持ちを胸に抱えつつ、少しずつ自分の感情に向き合う決意が芽生えていた。
「明日も……少しでも話せたらいいな」
窓の外には、オレンジ色の夕焼けが空を染めていた。あかりの胸の中で、友情と少しの期待が交錯する。
――そして、この距離感が、まだ始まったばかりだと気づくのだった。
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