神様の恩返し

皐月太郎

第1話:空っぽの家

 秋の夕暮れは、どうしてこんなにも寂しいのだろう。

 オレンジ色に染まった空を眺めながら、俺——望月晴斗は、ゆっくりと家路を辿っていた。


 学校からの帰り道。いつもと同じ道、いつもと同じ景色。でも、何かが違う。

 ああ、そうだ。

 もう、じいちゃんはいないんだ。


 家に着くと、玄関の前で少しだけ立ち止まった。

 鍵を開けて中に入る。誰もいない静かな家。リビングには誰の気配もない。


「ただいま……」


 誰にともなく呟いた声が、虚しく部屋に響く。

 返事はない。当たり前だ。母さんは今日も夜勤だ。俺が帰ってくるとの入れ違いに仕事に出ていき、帰ってくるのは明日の朝になる。


 リビングのテーブルに近づくと、テーブル上には小さなメモがあった。


『晩ごはん、冷蔵庫に入れておいたから温めて食べてね。無理しないでね。——母より』


 几帳面な文字。いつもと変わらない、優しいメモ。

 でも、俺には分かる。

 母さんも、きっと辛いんだ。


 じいちゃんが亡くなってから、もう二週間が経つ。

 葬儀も終わって、日常が戻ってきたはずなのに、心にぽっかりと穴が空いたような感覚がずっと消えない。


 母さんはじいちゃんの実の娘だ。俺以上に悲しいはずなのに、泣いているところを見たことがない。

 ただ、前よりも仕事を増やした。夜勤のシフトを自分から入れるようになった。


「仕事してる方が気が紛れるから」


 そう言って笑っていたけど、その笑顔はどこか無理をしているように見えた。


 俺は冷蔵庫を開けて、母さんが作ってくれた夕飯を取り出す。

 ハンバーグとサラダ。俺の好物だ。

 電子レンジで温めて、一人でテーブルに座る。


 テレビをつけることで、賑やかな音が部屋に流れる。

 でも、全然楽しく感じない。

 夕飯に関しても好物のはずなのに味を感じれなかった。


 じいちゃんがいた頃は、こんなんじゃなかった。

 母さんが仕事で遅い日は、じいちゃんが夕飯を作ってくれた。


「晴斗、今日は何が食べたい?」

「カレー!」

「またカレーか。この前も食べたろう」

「だって、じいちゃんのカレー、うまいんだもん」


 そう言うと、じいちゃんは嬉しそうに笑って、エプロンをつけてキッチンに立った。

 二人で食卓を囲んで、他愛もない話をした。

 学校のこと、友達のこと、部活のこと。

 じいちゃんは全部、真剣に聞いてくれた。


「晴斗はいい子だな」


 よく、そう言ってくれた。

 俺は別に特別いい子でもなんでもないのに。


 ハンバーグを半分ほど食べたところで、箸を置いた。

 お腹がすいているはずなのにこれ以上は食べる気がおきなかった。

 皿を片付けて、リビングのソファに座る。


 静かだ。

 テレビの音だけが響いている。


 ふと、窓の外を見る。

 夕暮れの空が、少しずつ夜の色に変わっていく。

 そういえば、神社の掃除、今日も行けなかった。


 家の近くに、小さな神社がある。

 地元の人しか知らないような、本当に小さな神社だ。

 じいちゃんと俺は、毎日のようにその神社の手入れをしていた。

 落ち葉を掃いて、お賽銭箱を磨いて、時々お供え物を置いて。


「この神社はな、晴斗。ワシが子供の頃からあるんだ」

「じいちゃんの子供の頃? すげー昔じゃん」

「こら、失礼なこと言うな」


 そう言いながらも、じいちゃんは笑っていた。


「この神社にはな、神様がいるんだ」

「神様?」

「ああ。ちゃんと手入れをして、大切にすれば、神様もちゃんと見守ってくれる」


 じいちゃんは本気でそう信じていた。

 俺は半信半疑だったけど、じいちゃんと一緒に神社にいる時間が好きだった。


 でも、もうじいちゃんはいない。

 神社に行くのも、なんだか足が重い。

 じいちゃんがいないのに、意味がない気がして。


 ソファに横になって、天井を見つめる。

 このまま眠ってしまえたらいいのに。


 でも、眠れない。

 じいちゃんのいない家。

 母さんのいない夜。

 俺は、一人だ。


 ——寂しい。

 心の中で、そう呟いた。

 誰にも聞こえない、小さな声で。



◇◆◇◆◇



 翌日。

 学校から帰る途中、ふと足が神社の方へ向いていた。

 意識していたわけじゃない。

 ただ、なんとなく。


 神社に着くと、いつものように静かだった。

 鳥居をくぐり、境内に入る。

 落ち葉が積もっている。手入れをしていないから、少し荒れている。


「ごめん、じいちゃん……」


 そう呟いて、落ち葉を掃き始めた。

 ちゃんと掃除道具を持ってきたわけじゃないから、手で集めるしかない。

 それでも、少しずつ綺麗になっていく境内を見ていると、少しだけ心が落ち着いた。


 お賽銭箱の前に立つ。

 小銭を入れて、手を合わせる。


「じいちゃん、元気でやってる?」

「母さんも俺も、元気でやっているよ。だから心配しないで」


 そう言いながら、涙が溢れそうになった。

 ぐっと堪えて、顔を上げる。


 ——その時だった。


「ありがとう」


 どこからか、声が聞こえた。


「え?」


 俺は慌てて周りを見渡す。

 誰もいない。

 気のせい?


「ここだよ」


 また、声がした。

 今度は確かに聞こえた。

 女の子の声。


 声のする方を見ると——神社の本殿の前に、見知らぬ少女が立っていた。


「え……?」


 俺は思わず声を上げた。

 さっきまで誰もいなかったはずなのに。


 少女は、不思議な雰囲気を纏っていた。

 腰まである長い黒髪。透き通るような白い肌。

 そして、どこか人間離れした美しさ。

 白い着物のような服を着ていて、まるで時代劇から抜け出してきたみたいだ。


「あの……誰?」


 俺は警戒しながら尋ねた。


 少女は、にっこりと笑った。


「私はミコト。この神社の神様だよ」

「……は?」


 神様?

 この子が?


「冗談……だよね?」

「冗談じゃないよ。本当だもん」


 ミコトと名乗った少女は、真剣な顔で言った。


「あのね、晴斗」

「え……? なんで俺の名前……」

「ずっと見てたから。あなたとおじいさんが、毎日この神社を綺麗にしてくれてたこと」


 俺は言葉を失った。


「おじいさんが亡くなって、あなたが悲しんでいること。お母さんも辛いのに、無理して笑っていること。全部、見てた」


 ミコトの声は、優しかった。


「だから、私、決めたの」

「何を……?」

「あなたを助けるって」


 ミコトは、俺の目をまっすぐに見つめた。


「あなたとおじいさんが、私を守ってくれた。だから今度は、私があなたを守る番」

「本当に……神様なの?」

「信じてくれないなら、証明するよ」


 そう言って、ミコトは手のひらを上に向けた。

 すると——手のひらの上に、小さな光の玉が現れた。

 光は次第に大きくなり、花の形に変わる。

 桜の花びらが、宙を舞う。


「これで、信じてくれる?」


 俺は、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

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