変わらない旅人

@AIokita

変わらない旅人

ある谷に暮らす一家のもとに、いつも同じ季節になると訪れる旅人がいた。

旅人はずっと旅暮らしをしていて、暖かい場所を季節ごとに渡り歩いていた。冬になると南へ旅立ち、春になると再び谷を訪れて、一家の暮らす小川の近くにテントを張って過ごした。

旅人が滞在する時期、小川にあるテントの傍はいつも焚火の香りがして、夜は暗闇の中に炎の明かりが灯っていた。


谷に暮らす一家は裕福な暮らしをしていて、旅人を食事に招いて異国の話を聞いたりしていた。暖かい部屋には食後のお茶の香りが漂っている。谷に暮らす一家は、ここでなに不自由なく暮らしていたので、外のことはあまり知らず、旅人の話はどれも新鮮に聞こえた。

一家の幼い子が旅暮らしに憧れると言うと、旅人は控えめな笑顔で辛いこともあるが旅暮らしも悪くないと言った。ただ、一家は谷での豊かな暮らしを離れることは考えられないと言い、旅人もそれは当然だと理解を示した。旅での暮らしは苦しいこともある、自分で運べるだけの財産しか持つことができない。家や畑を持った一家のような暮らしはできないと、旅が華やかさばかりではないことも語った。


冬になり、旅人が谷を去っている間に国同士で争いが起きるようになっていた。一家の暮らしていた谷や小川は、何度も兵隊や戦車が通っていくことで汚されていった。小競り合いに巻き込まれたことで納屋は破壊され、花が香っていた花壇も、家や畑も燃えてボロボロになっていった。跡には煤けた匂いと、大勢の足跡だけが残っていた。

春になって旅人が一家を訪れると、みんな疲れ切った顔で空腹に困っていた。旅人はお湯を沸かしてお茶を淹れると、持っていたビスケットをみんなに配る。


ほとんど瓦礫になった屋根の下で、旅人も一家も毛布にくるまってモソモソと乾燥したビスケットを食べ、お茶で喉を潤した。香りの良いあたたかいお茶とビスケットで、みんな少しだけほっとしたようだった。

一家は争いで家や畑が破壊されたこと、暴力の理不尽さに不満を述べたが、家族が無事であったことも感謝していた。旅人は一家の話にうなづき、聞き流すことなく受け止めていた。

旅人は来る途中の街で、争いはもう終わったという話を聞いたことを伝えた。一家は安心したが、これまでの生活を取り戻すのは大変だと語った。


翌日から旅人も手伝って、みんなで家や畑を直していった。旅人は農場から借りた馬を使って、人では動かせないような大きな石や木も巧みに片付けた。

春に始まって、終わる頃には夏が過ぎ、秋には冬を越せるくらいの食べ物を蓄えることもできていた。一家は旅人に感謝をして、ここで一緒に暮らさないかと申し出た。

旅人は悩んだが、自分は旅を続けなければならないと答え、冬が迫る谷を出る準備をした。旅人が立ち去るときには、焼けた匂いも兵士たちの足跡もすっかり消えていた。


旅人が家を出てからも一家の子どもは旅人の返事に納得できず、旅人を追いかけてなぜ行ってしまうのかを改めて問い詰めた。

旅人は遠くなった一家の土地を見つめ、眉を寄せると、昔は自分も兵士でたくさんの人を苦しめたのだと告げた。

自分が幸福な暮らしができるとは思えないこと、いまの苦しい生活でなければいつか、人を苦しめたことを忘れてしまうかもしれない。そのことを恐れているのだと言って再び歩き出した。

子どもは、幸福になることを恐れる人間がいることがわからないまま、冬の山に溶け込んでいくように旅人の背中を見送り続けた。

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