第3話 怒号が飛ぶ議事堂

 ブリキさんが足を止めたのは、都市の中心、重厚な石造りの建物の前だった。

 立ち入ることを許さないとばかりに柵で覆われ、制服柄の塗装がされたブリキたちが建物を厳重に警備をするように敷地内を巡回している。

 その建物の放つ重圧に身がすくみ、見る者に逆らえない圧迫感を突きつけていた。

 ブリキさんは「ここです」と手を伸ばして教えてくれた。

 見上げる空は、澱んだ灰色に塗り潰されていた。空気は重く、吸い込むたびに喉の奥が鉄の錆のような味でざらつく。

 視線を落とせば、そこには無機質なビル群が、墓標のように冷たくそびえ立っていた。あの黄金色に輝く安らぎの村とは、すべてが違う。

 目の前に構えるのは、威圧的なほど巨大な石造りの建物だ。その周囲を、感情を削ぎ落としたブリキの兵士たちが、機械的な足音を響かせて巡回している。

 耳鳴りのような静寂。

 生気の感じられない声。

 不安を煽る重苦しい空気。

 その異様な大都会の姿に、全身が総毛立った。

 ここは、どこだろう。

 ボクの心に、小さな、けれど鋭い棘のような違和感が芽生える。

 都市を行き交うブリキさんたちは昔のボクのように無表情でただ一点を見つめながら、ガシャガシャとまるで一つの生き物のように寸分の狂いもなく動いていた。

 あの人たち、ゼンマイが動いていない。

 連れてきたブリキさんに視線を向けると、今までよりゆっくりだが、確実に動いている。でも、街で動いているブリキさんたちはまるで時間に取り残されてしまったかのようにゼンマイが動いていない。制服柄のブリキさんも同様だ。

 胸の音が激しく鳴り止まない……。どうしよう。さっきの村に戻りたい。でも、ボクはブリキさんを笑わせるって決めたんだ!

「ここでいいの?」

 絞り出すような声にブリキさんは「そうです。ここしかありません」と突き放し、抑揚のない声で、一人、柵の奥へと向かった。ボクはブリキさんと同じように慌てながらその後ろを小走りでついていった。

「この人に会ったら、怒らせないでください」

 建物の前まで来ると足を止め、ブリキさんはそう忠告をした。そこから、ブリキさんは何かを恐れるように扉に手をかけたまま固まった。

「あの人って誰のこと?」

 ボクは、ブリキさんのあまりの怯えように、思わず声をかけてしまった。その一言で、ブリキさんの動きがガガガッと硬直した。背中のゼンマイだけが、壊れたようにジリジリと空回りしている。

「質問は許可していません。早く」

 ブリキさんは先を急ぐように、大きな扉に全身を預け、ギギギ……と重い音を立てて押し開けた。隙間ができると、そこに身体を滑りこませ、焦るように先へ進んでいった。扉の空いた隙間から、木の香りがする乾いた熱気が漏れ伝わってきた。ボクはその様子に高鳴る胸に手を当てながら、つばを飲み込んだ。



 * * *

 扉の先には永遠に長い廊下が続く。

 外見と変わらない重厚な石造りは廊下を肌寒く感じさせたが、床に敷かれた熱した鉄のような深紅の絨毯が廊下を少し暖かく感じさせてくれた。

 深紅絨毯が敷き詰められた廊下の突き当たり、一際大きく細部にわたって彫刻が施された重厚な扉の前で再びブリキさんは足を止めた。

 ここにあの人が? 本当にあの人って誰なんだろう?

 ボクは足をモジモジさせながら、扉が開くのを待っていた。

「オリガミ議長! ただいま、ボク先生をお連れしました」

 ブリキさんは、関節をきしませながら扉の前で抑揚のない大きな声で叫んだ。それに答えるように「入りたまえ」という威厳のある低い声が聞こえてきた。

 音を立てずゆっくり開けると、ブリキさんは自分の案内はここまでと言うように部屋には入らずに小さく頭を下げた。

 部屋の中は廊下と同じように深紅の絨毯が敷かれていた部屋は、血のような深紅に染まっていた。その最奥、一段高い場所に見上げるほど巨大な机が鎮座している。まるでボクを見下ろす断崖のようだ。

 部屋に震える足を必死に動かし入っていった。案内をしてくれたブリキさんを通り過ぎる瞬間、小さくかすれるような声で「応援してます」という言葉が聞こえた。それは今までの抑揚のない声ではなく、どこか強い言葉だった。

 手を強く握りしめると、震えが止まった足を踏み出していく。

 部屋の中に入って気づいたが、中では多くのブリキさんたちが忙しく動き回っていた。ボクに気づいたシャツ柄のブリキさんが腕を掴んだ。なにも言わずに中央のお立ち台へと引きずるように連れてくると、そのまま忙しそうにどこかへ消えていった。

 待っている人は誰なの? ここでどうすればいいの?

 鳴り響く心臓を抑えるように胸に手を当て、視線をあげる。そこにはボクの目を引きつけた立派な机があった。

 机に隠れて見えなかったのは振り子時計だったんだ。

 回りのブリキさんたちよりも、なぜか見ると心が落ち着く振り子時計をじっと眺めていた。そこである違和感に気づいた。壊れているのか、振り子時計の針も振り子も動いてない。

 時計をずっと眺めていると、机の下から宙に浮くようにしてボクの身体ほどの大きさの紙で折られた人の顔が、まるで顔をしかめたような表情で現れた。

「よく来てくださいました。ボク先生。早速で申し訳ないのだが、早々にこの都市の封鎖を解除していただきたい」

 扉の外で聞いた声と同じ厳格で低い声でオリガミ議長は感情を押さえ込みながらお願いした。しかし、ボクは言っている意味が分からない。

「やってないものはやってない」

 目をさ迷わせながら、ボクはオリガミ議長に説明をお願いした。オリガミ議長は眉をピクリと動かし、頬を引きつらせ、それでも落ち着いた声で話に答えた。

「先生。冗談はよしてください。何年も前に先生が都市の閉鎖をされました。それを解決できるのは先生だけです。どうかよろしくお願いいたします」

 頭を下げながら、懇願するオリガミ議長を見つめながら、ボクの答えは変わらなかった。

 本当に身に覚えがない。

 少しうつ向き、記憶にないことを思い出そうと必死で頭を働かせた。

 しかし、オリガミ議長には、視線をそらし、煮えきらない態度のボクに我慢の限界を迎えたようだった。

 バリッ!

 乾いた破裂音が響いた。議長の顔が一瞬で開かれ、凄まじい速度で折り畳まれていく。

 クシャ、バキッ、と紙が悲鳴を上げるたび、その表情が歪んでいく。次にボクが見たのは、眉を極限まで吊り上げ、鋭角的な牙を剥き出しにした、憤怒の形相だった。

「いい加減にしたまえ!!先生がそのようでは、この都市はいつまでも閉鎖は解けない!!」

 突然、怒号が飛んできたことで、ボクの肩ははね上がり、一瞬にして視線を釘付けにした。

「……えっ?」

 消えてなくなりそうなか細い声で漏れたが、オリガミ議長の怒りは変わることがなかった。その形相にボクの手足は次第に小刻みに震えだした。

「なぜ村に先に顔を出した!あんな発展もしていない獣の村などから得られるものなどありはしないだろ!!反吐が出る!あんなものは時間の無駄だ!」

 オリガミ議長の白い肌が、まるで怒りのインクで滲み、みるみる赤く染まっていく。部屋にいたブリキたちはオリガミ議長を見て動きを一瞬止めると、次の瞬間には我先に部屋の中を逃げ回り、みんな部屋の隅や机の影に身を潜めた。

「……あの村は」

 バン! バン! バン!

 オリガミ議長の傍らに置いてあった木槌がまるで議長に呼応するように、ひとりでに宙に浮きあがり、激しく打ち鳴らされた。ボクの思考を掻き乱すような音がボクの言葉を途切れさせる。

 視線が彷徨い、オリガミ議長の顔をまともにみることができない。

 最後に視線は地面へと固定された。身体は小さく小さく縮こまり、オリガミ議長の視線から隠れる。

「言い訳するな!!! 先生がこの世界に現れたと聞いて、やっと。やっと都市を解放できると思い、こちらは議会を早めに切り上げたのだぞ!」

 木槌にも負けないくらいの嵐のような怒号が部屋に響き渡る。

「ボ、ボクは……」

「そうやって、いつもみたいにダンマリか!!」

 か細いボクの声を塗りつぶす怒号に、もう言葉にする勇気を押し潰そうとする。

 そのまま口を縫い合わせたように黙り込むボクの頑なな態度は逆にオリガミ議長の神経を逆撫でしてしまい、再び激しく木槌が打ち鳴らされた。

 口を開くことも閉じることもできないボクの心は現実から離れていく。

 すぐに終わる。ボクが耐え続ければ、いつものように、終わってくれる。

 打ち付ける滝のようなオリガミ議長の怒号をすべて受け止めるように、ただじっと絨毯の細部を観察するように見つめ続けた。

 意識が遠のきそうな数秒。

 終わることのないオリガミ議長の怒りは収まらない。口から吐き出される紙屑は宙を舞い、木槌を打ち付ける頻度が増してゆく。

 終わることを信じてボクは、きつく目を閉じ耐える。

 それでも続く、オリガミ議長の怒りは心を大きく揺さぶり、耐えるのに限界を迎えかけていた。

 どうすることもできない。

「黙っていればすべてが丸く収まると思っているのか!」

 心を見透かされたような一言がボクの心の限界を軽々と打ち壊してゆく。今まで塞き止められていた涙が溢れ出すように両方の目から涙がポロポロとこぼれ、嗚咽が混じり始めた。

「ごめ……」

 言いかけて、唇が止まった。違う。ボクは悪くない。目から溢れ出す涙はまるで熱湯のようだった。ボクは濡れた顔のまま、拳をきつく握りしめた。

 泣きじゃくるボクを、インクが滲んだ顔でオリガミ議長は怒りの表情を崩さないまま、ただじっとボクを見定めていた。

「あんな、村、さっさと取り潰してしまえばいいんだ!!!」

 それは決定的な一言だった。部屋は一気に静まり返り、ブリキたちは口を大きく開け、その場で固まってしまった。

 ボクの大切な黄金色の空を暗雲で覆い隠そうとする一言に、ボクの心の中の箱が、音を立ててガタガタと震え始めた。

「……がう」

 静かな部屋にボクの震えるようなか細い声が響き渡った。

「そのような小さな声では聞こえんぞ!」

 握る拳に力が入る。

 言うんだ。ボクに笑顔をくれたみんなをバカにされる事なんて、許していいわけない!

 抑えが利かなくなった箱の隙間から赤いグツグツとした液体が溢れ出した。

 オリガミを鋭い視線で見つめると大きく口を開いて叫ぼうとした。

 その瞬間、世界が白黒に侵食されていくように、意識が世界から遠のいていった。

 ボクの目の前に無表情の影が立っていた。ボクに代わって箱の蓋を押さえつける。

「みんなに嫌われる」

「ママがいなくなっちゃう」

 無表情の影が「それでもいいの?」と囁きかけた。

 握る拳からゆっくりと力が抜けてゆく。

 い、嫌だ。……だけど!

 ボクはあの村で変わったんだ。もう、諦めることはしない。失敗がなんだ!

 影が悲しげに何かを言おうとしたが、ボクの熱に耐えきれず、蜃気楼のように揺らめいて消えた。

 熱を帯びた眼差しをオリガミ議長に向け、拳に再び力を込めた。

 気づくと、世界はもとに戻り、オリガミ議長が額に深い刻みシワを刻み、静かにボクを見据えていた。

「また、だんまりか?」

 そこには今まで圧が感じられなかった。

「違う!」

「何が違う!今まで口を閉ざして……」

「そうじゃない!!!」

 ボクの叫び声に初めてオリガミ議長の顔がぐしゃぐしゃに丸まれ、表情を作ることができなくなっていた。

「あの村は無駄じゃない!ボクに笑顔をくれたんだ!!馬鹿にするな!!!」

 それは張り裂けんばかりの、深紅色で熱い『怒り』だった。

 口からこれほど大きな声が出るなんて!!

 自分でも信じられなかった。

 初めて出したお腹からの叫び声に頭がクラクラする。倒れそうになっているボクを支えるように、駆け寄ってきたブリキに身体を支えてもらった。

「……ありがとう」

 ガラガラの声でお礼を言いながら、ブリキを見ると、それはここまで案内してくれたスーツ柄のブリキさんだった。

「ボク先生が怒れてよかった」

 抑揚のない声でブリキさんが囁いた。

「……何を言っているの?」

「都市にとって必要な事だったんです」

 ブリキさんの当然のように話す姿に「ワガママだ」と絞り出すようにボクはブリキさんに怒った。

「これがこの都市の当たり前です」

 その表情は今までと変わらないように見えたが、少し、頬が引きあがったように見えた。

 カチッ

 オリガミ議長を心配するブリキたちのざわめく部屋に今まで聞こえてこなかった音が耳に鮮明に聞こえてきた。

 何の音?

 カチッカチッ

 みんなもその音が気になって静まり返った。

 その音の正体は部屋にあった振り子時計の針が動き出した音だった。

 時計の針?

 ふと、オリガミ議長の奥にある時計が目に飛び込んできた。

 ボクが来た時には止まっていた針がゆっくりと着実に動き始めていた。



 * * *

 部屋の扉が大きく開け放たれた。

「議長!!空の暗雲が次第に晴れ始めました。ついに都市の時間が動き始めたんですね!」

 駆けこんできたのは建物の前を警備していた制服柄のブリキの一人だ。その背中の歯車は、今は軽快に回り続けていた。

「先生……感謝いたします」

 そんな考えが頭をよぎっていると、オリガミ議長はしわだらけの顔で深々と頭を下げた。

 ゴーン! ゴーン!

 振り子時計が大きな鐘の音を響かせる。あまりの音にボクは耳を押さえながら、時計を見た。針はいつの間にか十二時を指していた。

「もう時間か」

 オリガミ議長の声が、微かに聞こえた。

 鐘の音が次第に大きくなっていき、周りの音を塗りつぶしてゆく。

 ボクは耳をきつく抑え、それだけでは収まらず、両目をギュッと閉じた。それでも、まるで体の底からその音が鳴り響いているかのように音が弱まるどころか、ますます強くなっていく。次第に地面に着いた足の感覚さえ分からなくなった。

「ボク先生。君なら大丈夫、一人じゃないからな」

 腕に誰かが触れる。それはきっと隣に最後までいてくれたブリキさんだろうか。その手の感触と一緒にそんな声が心の中に響いてきた。

 そうだ!ボクは一人じゃない。だってボクの心の中には黄金色の空と深紅の海が広がっているのだから。

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