恩寵の儀の章

第一話 密議

──北朝暦 明徳三年(1392)三月四日


 新月の夜であった。

 土御門殿の奥にしつらえられた一室では、行灯ひとつの弱い明かりが畳の上で揺れ、座する者たちの顔をまともに照らしきれないでいた。

 影が伸び、濃く揺れる。ここが歴史を動かす場であることを、その暗さが雄弁に語っていた。

 最初に口を開いたのは伊勢いせ貞行さだゆきだった。将軍義満の信任厚い政所執事で、幕府の財政と行政を牛耳る若い男である。

「……二つに割れた王朝を再び一つに戻す。これが義満公の御意である。南北が争う時代は、終わらせねばならぬ」

 向かいで吉田宗房よしだむねふさが小さく息を吐く。南朝側の公家であり、その精神的支柱でもある。

「……志は同じ。しかし六十年の隔たりは深い。後醍醐院も草葉の陰で泣いておられようて」

 薄闇の中で日野西資実ひのにしすけざねが扇子を開いた。将軍の血縁者であり、朝廷の最高位にある人物だ。

「涙で国が治まるものか。まずは形式を整える。神器の譲渡式は秋。南朝にはそのための準備をしてもらう」

 吉田兼煕よしだかねひろが続ける。北朝側の権中納言であり、宮中の儀式を司る公家の棟梁たる人物だ。

「荘園整理、官位の調整も必要となりましょう。半年は欲しいところでございますな」

 こうして、南北統一の密約がこの瞬間に成立した。

 伊勢は声を落とした。

「さて、問題は禁裏神衛衆よ」

 宗房は苦みを帯びた目で応じる。

「……南朝の雉裂は忠勤に励み、吉野を護り通した家柄。無下には扱えぬ」

 日野西が静かに扇子を畳む。

「だが北朝の天羽は洛中を守り続けておる。将軍家が頼みにするのはむしろあちらだ。二つ並び立てれば争いは避けられぬ」

 兼煕が淡々と告げる。

「和約の火種として残すのは最悪ですな」

 伊勢が薄笑いを浮かべた。

「──だから邪魔な方を消す必要がある」

 宗房が目を伏せる。

「……南朝には、返す力もない。雉裂の働きを思えば痛ましいが……もはや天命よ」

 日野西が頷いた。

「盾は一つあればよい」

 伊勢が立ち上がる。

「──天羽静連を呼べ」

 襖がわずかに開き、冷たい夜気が入り込む。北朝神衛衆・棟梁の天羽静連が現れ、その後ろに息子の静麻が続いた。

 二人は深々と平伏する。

 伊勢が問う。

「半年後、王朝は一つとなる。さて──神衛衆も一つになるが、機能するか」

「……」

 静連は直答せず、沈黙で返した。

 日野西が畳を扇で軽く叩く。

「答えよ、静連」

 静連はゆっくり頭を下げる。

「我らは帝の盾。御意のまま。ただ……」

「申せ」

「源流が別れて約六十年、双方の技も人も育ち申した。二つの頭は不要にござる──雉裂一族は、邪魔にございます」

 伊勢は満足げに笑った。

「言いよったな。気に入ったぞ。後はそなたたちで決めい」

 伊勢の退室後、闇はいっそう濃さを帯びた。

 日野西が低く告げる。

「恩賞の儀を設け、雉裂を呼ぶ。その場で誅殺する」

 兼煕が続ける。

「その前に潜入調査が必要でしょうな。気配を悟られればすべて水泡に帰します」

 静連は慎重に問う。

「……このご下命、帝の御意にございますか」

「うむ。南北統一の障害を除くためのものだ」

 静連は深く頭を垂れる。

「承知仕った」

 揺れる行灯の火が、床に長く歪んだ影を作り出す。その影は──確かに雉裂一族の未来を暗示していた。

 その後、膳には簡素ながら温かな食事と、薄く延ばした酒が並べられた。

 密議を終えた一同は、疲労の色を隠しつつ杯を傾け、静かに夜の終わりを迎えた。

 解散となった頃には、外はすでに闇が深く降りていた。

 新月の空には月影ひとつ無く、そのぶん星々だけがいやに鮮烈で、凍みるような光を放っていた。

 天羽静連と、寄り添うように歩く静麻。

 草を踏む音だけが、静まり返った山路に細く響く。

「父上……」

 静麻が、星空を仰いだまま口を開いた。

「別れた神衛衆は、誠にひとつとなることは叶わぬのでしょうか」

 静連は歩みを止めず、息を細く吐いた。

「──そうよな。まずは無理であろう」

「元はひとつ。我ら天羽も、雉裂も、その他の家々も……皆ひとところでやってきたと聞いております」

「ならば問おう、静麻」

 静連の声は穏やかだったが、底にかすかな痛みがあった。

「一度別れたのだ。そして、また合わさる。それが意味するところは何だ?」

「……意味するところ……」

「どちらかが棟梁をおりるということぞ。加えて人員の削減も必要となろう」

 夜風が冷たく頬をかすめる。

 静麻は言葉の続きを飲み込み、喉がひきつるのを覚えた。

「……」

「今さら、そんなこと……双方できるはずもあるまい」

 静連は空を見上げ、目を細めた。

「しかしの、昔はどのように天羽と雉裂が折り合いをつけていたのか……ふと気になっただけよ。記録も残っておらぬゆえ、知るすべもないがな」

 静麻は考え込むように眉を寄せた。

 父の言葉はただの独り言ではないと悟ったからだ。

 しばし沈黙が続いたのち、静連は歩みを速める。

「──戻り次第、皆を集めよ」

 その声は先ほどよりはっきりしていた。

「直ぐにでも、吉野へ人を送るのだ」

 静麻は息を呑み、父の背を追った。

「……承知いたしました、父上」

 星々が照らす闇の山路を、父子の影が静かに進んでいった。

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