2章【第十二話】茉莉の名前の由来

 ◇

 葬儀の前日の昼下がり、茉莉の父・橘修造(たちばなしゅうぞう)は自宅へ訪問した青年を茉莉の遺影と祭壇のある居間へと招きいれた。

 青年は【月島一茂】と名乗り、茉莉と知り合った経緯も真摯に説明してくれた。

 早朝の新聞配達の仕事をしていて、茉莉が亡くなった日の朝には、あの事故の瞬間に遭遇したこと。

 坂を登ってきた青年を避けるために、茉莉がブロック塀の角家の側へ寄ったために、交差点から出てきたクルマに気づけなかったこと……なども説明してくれて、頭を畳の上へつけて泣きながら謝罪を始めた。

 修造は青年に言った。

「月島さん、あの事故はあなたのせいではないですよ。茉莉は毎朝いつもあの時間と一分一秒の誤差もなく家を出てましたから、いつも【急ぐな】と言ってもきかない子で……もし、あの日あなたと出会わなくても、茉莉は同じクルマに轢かれていたはずなんです。悪いのはあなたではなく、前方不注意の茉莉が悪かったんですよ。だから頭を上げてください」

 真っ赤に泣き腫らした顔の青年は頭を上げた。

「茉莉さんもそう言ってました……実は茉莉さんから修造さんへのメッセージを預かってきたんです」

「茉莉からのメッセージ?」

 修造は怪訝に思ったが、青年から手渡されたスマホのメモアプリの文面を見て驚いた。

 書かれていたのは修造しか知らない内容だった。

 それは昔からいる工場の社員でさえ知らない内容だった。

「月島さん、これはどういった経緯で茉莉から預かったのですか?」

 修造は率直にたずねた。

 青年は昨日、飼い犬のタロに誘われて、いつもとは違う散歩コースへ行ったら、あの事故現場だったこと。

 青年が行く途中で気づいて、タロを引き戻そうとしたが拒否されて、結局あの場所まで行くしかなかったこと。

 あの場所でスマホ画面が急に勝手に動き出して、これらのメッセージが表示されたこと。

 青年は修造へ向けたメッセージだけではなく、青年へ向けたメッセージも読ませてくれた。

 茉莉から青年宛のメッセージには、青年の自責の念を和らげるために、今さっき修造が話したことと同じことを書き綴っていた。

 この内容の一致にも修造は胸を打たれた。

 茉莉だったら同じことを言いそうだ……。

 青年は通夜にも弔問に訪れたとのことだったが、修造は昨晩は気が動転していて覚えていなかった。

 茉莉の遺影に向かい、青年は手を合わせて目を瞑りつづけた。

 青年は焼香と拝礼を済ませると修造へ深く何度も頭を下げたあと帰っていった。

 修造は青年から預けられたスマホを手に取り、もう一度メモアプリの文面を声を出さずに読み上げた。


『お父さん、茉莉です。

 こんなこと、いきなり月島さんに託しても詐欺か何かだと怪しむかもしれないけれど……。

 本当なんです。信じてね。

 だから私とお父さんしか知らない真実を証拠として書きます。

 お父さんとお母さんが結婚を決めたとき、【お母さんのほうからお父さんへ告白した】と、昔からお父さんは私にも豪語してたよね。

 昔からいる工場の社員さんたちもそう信じていたのは私も知っているよ。

 でもそれはお父さんの虚栄心からの【嘘】だと、つい最近私は知ったんだよ。

 中学を卒業したとき、お父さんから私へ【お母さんからの手紙】を渡してくれたよね。

 幼稚園を卒園したときや小学校を卒業したときも、それぞれのタイミングでお父さんはお母さんからの手紙を私へ手渡してくれた。

 生前、病床のお母さんが未来の私へ向けて書いてくれてたんだよね。

 お父さんへ手紙を託して、その時が来たら私へ渡してくれるようにと……。

 その手紙の隠し場所はお父さんしか知らない。

 昔からの工場の社員さんたちでさえ知らない場所だと、お父さんは私へも話してたよね。

 次にもらう予定だったのは【高校卒業のときの手紙】だよね。

 実は私、それらの手紙を最近発見していたんだよ。

 その秘密の隠し場所はお父さんなら知ってると思うけれど。


 ヒントは【私の名前】だよね。

 【茉莉=ジャスミン】

 ジャスミンの香りのするところ……。


 トイレでお父さんが私の名前を思いついたってこと……。

 【運のつく子に育ちますように……】

 なんて、とんでもない由来はお母さんからの手紙を読むまでは知らなかったよ。

 本当、勘弁してって思いました。

 

 偶然だったけれど、最近、家のトイレ掃除をしていたら壁紙の一部分が剥がれかけていたのに気づいて。

 そろそろ張り替えなきゃとは思っていたんだけれど。

 その箇所を剥がそうとしてみたら、この壁紙は何度も剥がしては綺麗に貼り直せるタイプだと気づいたの。

 すると、剥がした箇所の壁に、見えるか見えないほどの細さの窪みの線を見つけたのよ。あれはお父さんならではの匠の技術よね。

 ダメもとで爪先を使って、その窪みを掻いてみたら外れたの……。

 隠しスペースだった。

 でも金庫のように金品や宝石が隠してあるわけではなくて、見覚えのある封筒が五通だけ入っていたの。


 ◎高校卒業の茉莉へ

 ◎大学卒業の茉莉へ

 ◎新社会人になった茉莉へ

 ◎結婚した茉莉へ

 ◎こどもが生まれた茉莉へ


 封筒の表はお母さんのあの筆跡で書かれていた。

 私はフライングを承知で【結婚した茉莉へ】の封筒を開けて中の手紙を読んだのよ。

 その手紙には……。

 実は先にプロポーズしたのはお母さんからではなくて【お父さん】からだと明かされていたのよ。

 お父さんがお母さんに伝えたプロポーズの言葉は……。

【俺の足の水虫のことを気にしないと言ってくれたのは、結衣さんあなただけでした。俺は、もしあなたが水虫になっても、ずっと一生愛し続けます。あなたと私のあいだに子が生まれて、もしその子も水虫になっても一生大切に愛し続けます。だから俺と結婚してください】

 そのプロポーズの言葉を読んで、私はお腹を抱えて笑い転げてしまって、トイレの便座に思い切り頭を打ちつけてしまいました。

 ちなみに私は水虫にはなってないよ』


 ◇

 メモアプリの文面はそこで終わっていた。

 修造は思い出した。

 つい最近、茉莉は体育の授業中に頭を打ったと痛がっていたんだ。

 まさかトイレの便座にぶつけていたとは……。

 茉莉の名前の由来は修造と妻の結衣しか知らないことだ。

【運のつく子に育ちますように……】と

 修造がトイレで芳香剤の香りから思いついたんだ。

 さすがに工場の社員や親戚たちには、そんな由来は絶対に言わなくて。

 表向きは【ジャスミンの花言葉=愛らしさ、優美、幸福】にあやかってということにしていたんだ。

 まあそれも本心のうちだったが。

 それにあの手紙の隠し場所を知っているのも修造だけだ。

 修造はスマホを畳の上へ置いて立ち上がるとトイレへと向かった。

 トイレの壁紙は剥がれてなくて、そのままの状態で綺麗に貼り直してあった。

 慎重に壁紙を剥がしていく。

 剥がして出てきた壁の細い窪みに爪を当てて板を外す。

 中には妻から茉莉へ向けた手紙の封筒がそのままの状態で収めてあった。

 ところが五通ではなく六通ある。

 修造の記憶よりも一通だけ多い。

 よく見ると種類の異なる封筒が一通入っている。

 その封筒を手に取り、目を細めた。


 ◇

【お父さんへ】

 封筒の表にはそう書かれている。

 裏返すと……【茉莉】と書いてあった。

 茉莉の独特な丸い文字の筆跡だ。

 修造は胸が熱くなったが、気を鎮めて封筒を破らないように丁寧に端から開封していった。

 便箋の内容を声に出さずに読み上げる。


『お父さん、この手紙に気づいたということは……私がフライングでお母さんからの手紙を読んだこともバレたんだよね。

 このあと私が学校から帰宅しても、読んだことは怒らないでよ。こんな場所に隠したお父さんが悪いんだからね。

 でも私の名前が【茉莉=ジャスミン】だからって、トイレの芳香剤まで【ジャスミンの香り】をずっと使い続けるのは正直やめてほしいよ。

 私の名前の由来は、お父さんがトイレで芳香剤から思いついたんだよね。

【運のつく子に育ちますように……】って。

 本当、勘弁してって思った。

 それから……。

 お母さんが亡くなったあと私のことをお父さん一人で育ててくれて、ありがとう。

 工場の人たちも優しかったけれど、やっぱりお父さんが私のために一所懸命に頑張ってくれたからだよ。

 今、私がこうして高校生活を満喫できているのもお父さんのおかげ。

 だから普段は恥ずかしくて言えなかったけれど……。


 ありがとう、お父さん!


 だからお母さんの手紙をフライングで読んだことは許してね』


 ◇

 修造は手紙を読み終えて号泣した。

 青年から託されたスマホのメモアプリの文面とこの手紙は確かに茉莉が書いたものだ。

 間違いない。

 こんな奇跡はあるのだろうか。

 いや、あるのだろう。

 だからこの手紙とあのメモアプリの文面が同じなんだ。

 本来なら茉莉が成長するにつれ、妻・結衣からの手紙を手渡していく予定だった。

 しかし茉莉は亡くなった。

 結衣からの手紙ももう渡せなくなった。

 せっかく結衣が残してくれた茉莉へ手紙が手つかずのまま遺されるのは、正直、修造も辛かった。

 しかし茉莉は最近その手紙を見つけて読んでくれていた。

 偶然なのか、あるいは必然だったのか……。

 修造は茉莉からの手紙をそっと胸に抱きしめた。

 トイレの芳香剤のジャスミンの香りが修造の鼻の奥へと沁み渡る。

 修造はトイレの便座に顔を埋めて泣き続けた。

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