僕の隣の主人公

@frostman

プロローグ・紅

 ぼく、じゃなかった俺だよ、俺俺、オレオレ。

 って卑劣ななりすまし詐欺なんかじゃないぞ。

 高校入学を機に思い切って自分の一人称を変えようと目下奮闘中の俺

 神宮寺紅平じんぐうじこうへいはその記念すべき高校入学式当日を迎え、受験の日当日と一度だけ下見しただけの通学路を、ルートの記憶と同じくらいに、これからの高校生活の不安と期待を同時に抱えて歩いていた。

 小さな川沿いの道を歩くと対岸に植えてある桜の木から,暖かな風に乗って花びらがふわりと舞う。


 俺は一人暮らしをするために思い切って実家から遠い高校を受験していた。

 別に差し迫った一人暮らしの必要性のある動機があったわけじゃない。

 中学時代はごく普通に生活していたし、家庭に何らかの問題があったわけじゃない。学校では友達もいたし、成績も可もなく不可もなくといったところ。

 中学生活ではある意味成績よりも重要なファクターを占める運動については、持って生まれた不器用さで、球技や個人種目では活躍できたとはとても言えなかったが、卒業時にはすでに170センチ後半には届いていた長身のおかげで、どこかしらに役割はあったのでここもプラマイゼロといった感じ。


 母親が幼少期に亡くなっているのは不幸といえば不幸かもしれないが、俺にはその記憶はなく、物心ついたころには父さんは再婚しており、それが当たり前だった。だからお互いに血はつながっていなくとも継母とは上手くいっていると思っている。それは微かな誇りだ。


 そのおかげで血の繋がらない姉と妹がいるのだがまあ些細なことだな。


 姉は、運動神経は並みだが成績は抜群、社交的で明るくいつでも皆の輪の中心にいるようなタイプ

 妹は逆に成績は並みだがその分運動に才があり、懸命に部活に勤しんでいる。おそらく喧嘩したら体格ではかすかに勝ってはいても俺は勝てないだろう。

 

 そんなごく【普通】の家庭で育ち、中学でも特に波風も立てず、部活には入ってなかったがそれなりに友達とも遊んでいた、まだ将来の夢なんかも見つかっていない平々凡々な毎日。

 ただ、毎日起こしてくれるような幼馴染はいないし、彼女はいなかったし、彼女はいなかった。


 その俺が一人暮らしなんか望んだのは我ながら思い切ったことだったが、その分条件として、その当時の自分としてはかなり目標の高いところを志望校として指名されていた。結局最後までA判定はとったことはなかったな。

 ただ何となく自分の生活に刺激を与えるための一人暮らし、なんてあいまいで不純な動機のためにはそれぐらい無茶なハードルを越えなければ、というのが両親の挑戦への許可の条件だった。

 

 もちろん自分なりに努力はしていたつもりだったが、まさか本当に合格できるとは、けっこう今でもびっくりしている。


 そんなわけで、今時の十五歳にしては浮ついた気持ちで、前途に希望を持ちながら今日、この日を迎えたのだ。

 こんな【平凡】な俺でもなにかわくわくするような、物語の主人公のようなことが一つや二つぐらい起こるんじゃないかと。


 それは思ったよりも早くやってきた。


 住宅街をの道を曲がり、学校への上り坂となる道に入った途端少女のあげる声が響いた。


「きゃああー、どいてどいてぇぇ!!」


 なんと食パンを咥えた少女が俺に向かって突っ込んできたのだ!!!


 パンを咥えたままよくあんな大きな声をだせるなぁ、などと思う間もまもなくその少女は俺の体にぶつかる。先ほども言った通り、俺の数少ない見た目の長所である高身長の胸に顔面を押し付けるようにして。

 その瞬間ふわりと柔らかな癖のないセミロングの髪が広がり、辺りにそこから漂う香りがなぜか俺に金色の小麦畑を連想させた。


「きゃん」


 可愛い声を上げて彼女が尻もちをつく。

 対格差から俺はなんとか踏みとどまると、健康な男子ならだれもが一度や二度はこんな場面を妄想し、イメトレしたように極めて紳士的に手をのばす。

 制服とスカーフの色を見るに俺と同じ高校の新入生のようだ。


「ごめん、大丈夫か」


 その短い台詞を俺は最後まで言うことができなかった。

 大丈夫、の「ぶ」あたりで俺の足は何か丸く固いものを踏み、バランスを崩したからだ。それは今しがたぶつかってきた少女の持っていたガラスの牛乳瓶だった。

 今どきビン入りの牛乳!!


 心の中で突っ込みながらも、俺は彼女に手を差し出したままの姿勢でそのビンを派手にすっ飛ばしながら前方に転びゆく自分の体を止めるすべがなかった。

 身体の前面と顎を地面に打ち付け、衝撃と痛みに目の前に火花が散る。

 なんてこった、記念すべき高校生活の第一歩を壮大に踏み外してしまった。


 暗転した視界が戻る前になんだか暖かな空気が顔面を撫でる。そして何か柔らかいものが優しくふわっと後頭部を覆った感覚があった。

 そして香しい匂いとともに、先ほども連想した金色のどこまでも広がる小麦畑が脳内にひろがる。どこからか軽やかな鼻歌も聞こえているようだ。

 徐々に痛みが引いていくとともに、倒れた少女に伸ばし、そして空を切った右の掌に柔らかく心地よい感触が広がってゆくのを感じる。

 はて、俺はいまどんな体勢なんだ?

 なんで視界が暗いままなんだ?

 そしてこの右手の感触は?


 右手を動かすごとに掌の下で何かがふよふよと形を変える。

 本能的に俺は全身に慎重になれと命令を下した。

 何かとんでもないことが起こっている。

 そして鼻先が何かに触れた。

 何か柔らかく温かい布状のもの。


「ひょわぁうぅぅぅ」


 どこか遠くから聞こえる少女の息をのむ声が、脳内に鳴り響く小麦畑の鼻歌をかき消した。


 俺は伸ばした右手を転んだ瞬間、咄嗟に彼女に当てないように上にあげ避けたつもりだった。そのおかげで支えもなく派手に地面にダイブしたのだが、勢いのまま滑り込んだ俺の頭は尻もちをついた女子学生の太ももの間に不時着していた。

 先ほど頭を覆った柔らかな布は彼女の制服のスカート。

 つまり俺はピッカピカの高校一年女子のスカートの中に頭を突っ込んでいたのだ。それだけではない。その彼女を助けるために伸ばした右手は彼女の丁度よい大きさの胸を鷲掴みにしていたのだった。

 女子の胸なんか見たことも触ったこともないくせに何がちょうどよいのかさっぱりわからんが、とにかく丁度よい大きさだったのだ。あと感触も。


 つまりこの暗闇の中、鼻先に触れている布状のものとは……。


 その時、段差か何かにぶつかったのか牛乳瓶が微かな音を立てた。

 その音を聞いた瞬間、俺たち二人はばね仕掛けのおもちゃのように同時に立ち上がった。

 息を吸って、吐いてをお互い二度ほど繰り返すと改めて目線を合わせる。


 俺よりも頭一つ分くらい低い位置からこちらを見つめる瞳と初めて向かい合い、まじまじとお互いを見つめる。

 軽く癖のない黒髪の下の、同じく黒く、決して太すぎはしないが力強い意志を感じさせる眉。

 卵型の輪郭に、小さな鼻、そして真一文字に嚙み締められた薄い色の唇。それらと相反する大きく黒目がちな瞳。

 ぱっと目を引く、所謂アイドル的な美少女ではではないが、世の思春期男子の理想をかき集めて凝縮したかのような普遍的な魅力があった。

 まるで、「わたし、普通の女子高生!」って冒頭のモノローグで言いながら、数多のイケメンをとっかえひっかえ侍らせている少女漫画の主人公のような。

 そういえば姉ちゃん所蔵の漫画にも2,3人そんなのいたような。

 そんな現実逃避という名の思考に耽っているとその『普通の女子高生!』の色白の顔が化学変化でも起こったかのように、両の頬を始点として朱に染まってゆく。

 微かに震えながら、泣きそうにも怒りそうにも聞こえる声で

「見た?」と聞いてきた。

 

 はい、見ました。それどころか鼻先で触れました。

 俺は声を出さずに目線だけで返答した。

「触った?」


 はい、触りました、あと揉みました。

 同じく目線で答える


『普女生!』の全身がより大きく震える。まるで爆発の前兆のように。


 何とかしなければと目線をぐるぐると巡らせるも『普通の男子高生!』の俺はこんなときどうすればよいのか皆目見当もつかない。

 道の真ん中で過失とはいえ、女の子のスカートの中に胸をもみながら頭を突っ込ませたらいったい何を言えばよいのだろう。

 誰か教えてほしい。タスケテほしい。


 その救いの主は俺の背後から、甲高いサイレンを鳴り響かせ赤い車体の姿でやってきた。

 消防車が俺たちのすぐそばを、風をなびかせ、通り過ぎてゆく。

 横をその車体が通り過ぎた際、彼女はつられるようにその消防車を目で追い、俺から視線を外すと自分の背後を振り返る。

 そこ何か思い出したかのように、一瞬ビクッと身体を震わせると、シュッタっと右手を上げ

「ぶつかって、ごめんなさい。それじゃあわたしは行きます」

 と、行きますの「行」あたりで駆け出して行った。

 驚くことにあの転倒でも落とさなかったらしい食パンを左手に持ったままに。

 あの先ほど鼻歌とともに流れた小麦畑のイメージはあの食パンの匂いなのかな、いやうん、そうだ、きっとそうに違いない。


 そして俺はまだ痛い顎をさすりながら、この惨劇の原因となった牛乳の空き瓶を拾うと、どこかに捨てる場所はないかなと、懸命に先ほどの感触と光景と匂いを振り払う努力をしながら、改めて高校新生活の第一歩を踏み出した。


 結果から言うと、実は俺とぶつかったあの少女は本編では一切の出番はない。


 そもそも学校に到着した時にはあの一見運命の出会いのような少女のことなんか

 頭から吹き飛んでしまったのだ。


 俺が三年間通うはずの高校が燃えていた。


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