金眼探偵―鳥辺契の妖真名録―
依近
プロローグ
丘陵地を覆う墓石群の隙間を縫い、音もなく薄い霧が広がっていく。その霧はすべてのものの境を曖昧にし、ひとつにしていく。
花も、香りも。死も、生も――みな薄い膜の裏で溶け合い、区別を失くす。
ひらり、はらり。落ちる淡い花弁は桜。
だが、都を彩る絢爛なソメイヨシノとは違う。清水の方から運ばれた山桜で、花は小さく、色は少しの紅を溶かした柔らかな白。死灰を思わせるその色は、風葬の地にこそふさわしかった。
ひらり、はらり。瞬きのたび視界に舞う。
朝陽がジワリと染める霧の中に、ぼんやりとした影が揺れた。
霧の奥に、立ち動く影がいる。
記者の女はそっと息を止めた。朝露に濡れた黒いジャケットの裾を押さえ、低くしゃがみ込む。
栗色の髪の先が湿気を含み、肌に貼りつくたびに震えが伝わる。
――鳥辺野に「歩く屍」が出るという噂。
仲間内では「どうせガセだ」と一笑に付され、出張費用すら認められなかった。
だが今、桜の木の下をゆく人影は確かに――歩いていた。
朝陽が照らす頬は、生気がまるで感じられない冷たい白。けれどもその目元は、唇の形は、輪郭の線は――記憶に濃く焼き付いた人に似ていた。
言いようもない親しみがこみ上げる。生まれた感情は喉奥で弾けて、声となり霧を震わせる。
「――お兄ちゃん!」
霧を形作る細かい粒子に当たって飛び散り、その声が遠くまで響くことはなかった。
けれども、白い顔は振り返り、彼女を見た。
彼女のよく知る薄茶色の瞳が柔らかな三日月を形作り微笑んで、名前を呼ぶ――そんな幻想は呑まれて、消え失せた。
底抜けの奈落のような空洞の眼窩に。
「ひっ……」
女のパンプスの爪先が冷えた大地を擦り、積もる花弁を微かに散らした。
ひとつ、ふたつ。擦れる花弁は遂に低いヒールに踏まれ、濃い白を滲ませ地に貼りつく。
ジリジリと後退した彼女は、土に足を取られて尻餅をついた。
「い、いや……っ、あ、ああ……いやああああ!」
――刹那。パチンッ、と空気の爆ぜる音。反射で耳を塞いでいた両手をそろりと外し、女は視線を上げた。
墨鼠色の羽織が、春の風を孕んでふわりと揺れる。
カラコロ、耳朶に触れる軽い音と、微かな甘い香り。
灰鼠色の足袋に黒塗りの舟形下駄が目に入り、間近にあるのは確かに生者の脚だと知る。女は口を半開きにしたまま瞬きをした。
肩越しに振り返った瞳は金に碧を混ぜたような不思議な色彩。重めの瞼に刻まれた美しい二重の線。半月型の白目の中で揺れる瞳に――一瞬で目を奪われた。
乾いた喉が力ない吐息を漏らす間に、金碧の瞳は呆れたようにしかめられる。
ハァとため息を吐いた唇が、その瞳と同じ色の声を零した。
「……うるさ」
カラン、と。飴の音がひとつ――静寂に落ちた。
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