第1章第3節 鉄壁の牢獄と、心理的開錠術

 ガレスが用意した馬車は、王都の石畳を砕かんばかりの勢いで疾走していた。

 窓の外を流れる景色は灰色の帯となり、車輪が跳ね上げる泥が窓ガラスを叩く。

 密閉された車内には、重苦しい沈黙と、革のシートが軋む音だけが響いていた。


「……レン様。もう間もなく、北の離宮に到着いたします」


 対面に座る老執事ガレスが、張り詰めた声で告げる。

 その表情は悲壮な決意に満ちており、膝の上に置かれた拳は白くなるほど握りしめられていた。

 対するレンは、腕を組み、深く目を閉じて沈黙を守っている。


(……気持ち悪い。吐きそうだ。揺れすぎだろこの馬車……!)


 レンの内心は限界寸前だった。

 三半規管が弱い現代っ子にとって、サスペンションのない中世ファンタジーの馬車は拷問器具に等しい。

 口を開けばキラキラしたものをぶちまけてしまいそうなので、必死に口を真一文字に結んでいるだけなのだが、ガレスにはそれが「戦場に向かう前の瞑想」に見えているらしい。


「申し訳ございません。本来ならば、王城の正面から堂々と凱旋すべきところ……このような裏口のような手段を使わせてしまい」

「……構わない(喋らせるな、吐く)」

「なんと……! あくまで隠密に、無益な血を流さず事を成すと。その慈悲深さ、感服いたしました」


 ガレスが勝手に感動して涙ぐんでいる。

 レンは薄目を開け、窓の外を見た。

 雨が降り始めていた。

 その雨幕の向こうに、断崖の上にそびえる石造りの要塞が見えてきた。

 『北の離宮』。聞こえはいいが、実態は政敵や邪魔な王族を幽閉するための監獄だ。

 宰相ゼクスの陰謀により、かつての近衛騎士団長セシリア・フォン・オルティスは、ここに囚われている。


(さて……どうやって入るかだ。ガレスの話じゃ、警備兵は全員ゼクスの私兵に入れ替わっているらしい。正面突破は自殺行為だぞ)


 レンは思考を巡らせる。

 武器はない。魔法も使えない。あるのはハッタリと、ガレスという一人の老兵のみ。

 馬車が急ブレーキをかけて停止した。

 巨大な鉄格子の門が、行く手を阻んでいる。


「止まれ! 何奴だ!」


 門番の怒号が飛ぶ。

 ガレスがレンに一礼し、先に馬車を降りた。レンも深呼吸をして――胃の中身を定位置に戻してから――その後に続く。

 雨に打たれる石畳。

 門の前には、四人の屈強な兵士が槍を構えていた。彼らの装備は正規軍のものではなく、宰相派の私兵団の紋章が入っている。


「私は元王国軍総司令、ガレス・ウォーカーである! セシリア様に面会を求める!」


 ガレスが腹の底から声を張り上げた。その覇気だけで、並の兵士なら道を空けるだろう。

 だが、門番の隊長らしき男は、下卑た笑みを浮かべて唾を吐いた。


「ガレスぅ? ああ、あのお払い箱になったロートルか。悪いがここを通すわけにはいかねえな。宰相閣下の命令で、蟻一匹通すなと言われてるんでね」

「貴様ッ……! 元上官に対する礼儀も忘れたか!」

「知らねえな。今の俺たちの雇い主は、金払いのいいゼクス様だ。帰りな、爺さん。それとも、その老いぼれた体で俺たち四人を相手にするか?」


 兵士たちが嘲笑と共にジリジリと間合いを詰める。

 ガレスが剣の柄に手をかけた。殺気が膨れ上がる。

 だが、ここで戦闘になれば、レンの「最強の賢者」というメッキは一瞬で剥がれるだろう。流れ弾一発で即死だ。


(止めなきゃ死ぬ。俺が)


 レンは震える足を叱咤し、ガレスの前にスッと進み出た。

 あえて傘もささず、雨に濡れるのも構わずに。

 ボロ布のような服を着た、武器も持たない優男の登場に、兵士たちが怪訝な顔をする。


「ああん? なんだこの貧相なガキは。爺さんの孫か?」

「……どいてくれないか。雨が冷たい」


 レンは静かに、しかしよく通る声で言った。

 隊長が鼻で笑う。


「ハッ! 寝言は寝て言え。おい、こいつらをつまみ出せ――」

「君、右のポケットに入っている『金貨』。……重そうだな」


 レンの言葉に、隊長の動きが凍りついた。

 その視線が、無意識に自分の腰のポーチへと走る。


(視線誘導(アイ・アクセシング・キュー)。右下を見た。身体感覚へのアクセス。そして、左手でポーチを庇う動作。……ビンゴだ)


 レンの観察眼(スキャン)は、馬車を降りた瞬間から始まっていた。

 この隊長は、他の兵士よりも装備が新しい。だが、靴底はすり減っており、本来金を持っているはずがない。

 そして何より、雨の中だというのに、妙に上機嫌で顔が赤い。酒が入っている。

 この時間帯、この場所で、正規の給金以外に金が入り、かつ酒を飲める状況。

 「賄賂」か「横領」以外にない。


「な、何を言って……」

「宰相閣下からの『特別手当』かな? それとも、ここを通ろうとした商人から巻き上げた通行料か。……どちらにせよ、そのポーチの膨らみは、兵士の給金三ヶ月分はある」


 レンは一歩、また一歩と近づいていく。

 隊長は後ずさる。物理的な距離ではない。心理的な距離(テリトリー)を侵食されているのだ。


「で、でたらめを言うな!」

「図星をつかれると声が大きくなる。典型的な防衛反応だね」


 レンは隊長の目の前、槍の穂先が届く距離で立ち止まった。

 そして、彼の目を覗き込む。


「教えてあげよう。君はいま、二つの不安を抱えている」


 レンは指を二本立てた。


「一つ。僕たちを追い返せば、ガレス卿が暴れて怪我をするかもしれないという肉体的な不安。……そしてもう一つ」


 レンは声を潜め、悪魔のように囁く。


「その『裏金』のことが、他の部下にバレて、分け前を要求されるんじゃないかという疑心暗鬼だ」


 隊長の顔色が青ざめ、背後の部下たちをチラリと見た。

 部下たちは「え、金?」「隊長だけ?」という顔で隊長を見ている。

 組織の亀裂。そこが付け入る隙だ。


「き、貴様……!」

「僕は『千里眼の賢者』レン。君の隠し事など、お見通しだ」


 レンはハッタリをかました。賢者なんて自称した覚えはないが、ガレスがそう呼ぶなら利用するまでだ。

 

「ここで僕たちを通せば、君のその小遣い稼ぎについては黙っていてあげる。……でも、もし僕を止めるなら」


 レンはニッコリと笑った。


「そのポーチの中身が『賭博の札』であることも含めて、すべて大声で暴露しようか?」


 これは『コールドリーディング』の応用、ショットガン・リーディングだ。

 兵士の指先が黄色く変色している。安タバコの特徴。そして爪の間の黒ずみ。これはカードやチップを触り続けるギャンブラー特有の汚れ。

 金に汚い兵士が、賭博をしていない確率は限りなく低い。


 隊長の膝がガクガクと震え始めた。

 戦わずして、彼の心は折れていた。

 部下の手前、金の話を掘り返されるのは致命的だ。しかも、目の前の男は自分の秘密をすべて見透かしているような「得体の知れなさ」がある。


「と、通せ……」

「隊長!?」

「いいから通せッ! こいつらは……ただの面会人だ! 俺が許可する!」


 隊長は叫び、自ら門のレバーを引いた。

 重厚な鉄格子が、軋んだ音を立てて開いていく。

 レンは表情一つ変えず、悠然とその門をくぐり抜けた。

 心の中では(よかったああああ! 賭けに勝った! 実はただのチョコとか入ってたらどうしようかと思った!)とサンバを踊っていたが、背筋はピンと伸ばしたままだ。


 背後で、ガレスが感動に打ち震える声が聞こえる。


「……兵士の心理を読み、組織の不和を突いて、血を流さずに門を開かせるとは。これが『王者の戦い』……! レン様、一生ついていきます!」


 ガレスの忠誠度が限界突破している気がするが、今は無視だ。

 二人は離宮の中庭へと足を踏み入れた。


 そこは、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 石造りの回廊。手入れのされていない庭木。

 そして、本館の地下へと続く、暗い階段。


「セシリア様は、この地下牢に」

「……行こう。案内してくれ」


 レンとガレスは、湿った空気の漂う地下道を進んだ。

 松明の明かりが揺れる。

 最深部。分厚い鉄の扉の前。

 鍵はかかっていたが、ガレスが門番からくすねてきた鍵束であっさりと開錠した。(元軍司令官の手癖が悪すぎる)


 ギィィィ……。

 錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、扉が開く。


 その部屋の中央。

 拘束具に繋がれ、力なく椅子に座らされている女性がいた。


 プラチナブロンドの長い髪は泥に汚れ、かつて白銀に輝いていたであろう騎士の軽鎧は傷だらけだ。

 だが、その瞳だけは。

 宝石のような青い瞳だけは、決して屈しないという強い光を宿して、入ってきた二人を睨みつけた。


「……誰だ。ゼクスの手先か。それとも、私を笑いに来たのか」


 セシリア・フォン・オルティス。

 凛とした声。しかし、その声の端々には、隠しきれない疲労と絶望が滲んでいた。

 レンの観察眼が、彼女の状態を高速で分析する。


(痩せている。三日はまともに食べていないな。唇の乾燥、脱水症状の初期段階。手首の拘束具による擦過傷。……だが、一番重傷なのは『心』だ)


 彼女は自分を睨んでいるが、その視線の焦点は定まっていない。

 『学習性無力感』。抵抗しても無駄だという経験を繰り返された人間特有の、諦めの虚無。

 彼女をここから連れ出すには、鍵を開けるだけでは足りない。

 彼女の「折れた心」を、心理学という名の荒療治で接ぎ直す必要がある。


「セシリア様! お迎えに上がりました! このガレス、遅くなり申し訳ありません!」


 ガレスが駆け寄ろうとするが、セシリアは冷たく言い放った。


「来るな。……私は、国を裏切った大罪人だ。私に関われば、お前たちも同罪になる」

「そんな馬鹿な! 濡れ衣であることは明白! 今こそ脱出し、再起を図るのです!」

「無駄だ……。もう、誰も私など信じていない。騎士団も、民も、皆が私を『売国奴』と呼んだ……」


 セシリアが顔を伏せる。

 その肩が震えている。

 正義感が強く、真面目すぎるがゆえに、周囲からの評価を真に受けすぎてしまったのだ。

 ガレスが言葉に詰まり、助けを求めるようにレンを振り返った。


(……やれやれ。俺の出番ってわけか)


 レンは一つため息をつき、セシリアの前に立った。

 そして、彼女の拘束具には目もくれず、唐突に言った。


「君、嘘をつくのが下手だね」


 セシリアが顔を弾かれたように上げた。


「……なんだと?」

「『もう誰も信じていない』? 違うな。君は、自分が傷つくのが怖いから、先に他人を拒絶しているだけだ。……君が一番信じていないのは、君自身だよ」


 レンの言葉は、鋭利な刃物のようにセシリアの核心を突いた。

 図星をつかれた時、人は怒るか、泣くか、あるいは――。


「貴様に……私の何がわかるッ!」


 セシリアが激昂し、レンを睨みつける。

 その殺気に、レンの内臓が縮み上がる。

 (ひいぃぃ! 怖い! 美人だけど目がマジで怖い! 帰りたい!)

 だが、ここで引けば終わりだ。

 レンは恐怖を押し殺し、あえて一歩踏み出した。


「わかるさ。君の呼吸、視線、筋肉の動き……全てが雄弁に語っている」


 レンは彼女の顔を覗き込み、ニヤリと笑った。

 最強の詐欺師の、ハッタリ全開の笑みを。


「ここから出してやる。その代わり……これからは僕の『目』となって働いてもらうよ、元騎士団長殿」


 その言葉が、彼女にとっての「救済」となるか、あるいは新たな「洗脳」の始まりとなるか。

 レン自身にも、まだわかっていなかった。

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