『ステータス「なし」の元人気メンタリスト、異世界の最強ドラゴンを「お手」だけで服従させる~目を見ただけで思考が読めるので、魔法使いが詠唱してくれません~』

マーマー

第1章第1節 最弱の詐欺師と、最強の勘違い

 ロムレス王国の王都、その下町に位置する冒険者ギルド『竜の顎(あぎと)』。

 昼間から安いエールと脂っこい肉の匂いが充満し、粗野な男たちの怒号と笑い声が絶えないこの場所は、治安の悪いこの国を象徴するような吹き溜まりだ。


 その喧騒の片隅で、黒髪の青年――レン・クロウリーは、静かに本を読んでいた。

 年齢は二十二。装備は擦り切れた布の服だけで、冒険者の必需品である剣も杖も持っていない。

 手元にあるのは、なけなしの銅貨で頼んだコップ一杯の水だけだ。


(……帰りたい。今すぐ家に帰って布団にくるまりたい)


 涼しい顔でページをめくっているが、レンの内心は悲鳴を上げていた。

 前世は日本で一世を風靡したメンタリスト、神宮寺蓮。

 だが、転生したこの世界でのステータスは悲惨そのものだ。魔力測定の結果は『ゼロ』。腕力に至っては、その辺の村娘にも劣る『Eランク』。

 この暴力が全ての異世界において、彼は食物連鎖の最底辺に位置している。


(目が合っただけで因縁をつけられるこの空間、心臓に悪すぎるだろ……。でも、ここで情報を集めないと食い扶持すら見つからないし……)


 レンが震える指先を隠すように本を握りしめた、その時だった。


 ドスン、と地響きのような音がすぐ横でした。

 ギルド内のざわめきが、潮が引くように静まり返る。

 レンの目の前に、巨大な影が落ちた。


「おい。無視してんじゃねえぞ、ヒョロガリ」


 低い、地を這うような声。

 レンはゆっくりと顔を上げた。

 そこに立っていたのは、身の丈二メートルはあろうかという巨漢だった。全身を鋼鉄の鎧で固め、背中には子供の背丈ほどもある戦斧を背負っている。

 Aランク冒険者、ボルグ。

 『岩砕き』の二つ名を持つ、この界隈で最も関わってはいけない無法者だ。


(うわ、来たよ……。一番ヤバいのが来ちゃったよ……!)


 レンの背筋を冷たい汗が伝う。

 周囲の冒険者たちが、「あーあ、終わったなあの兄ちゃん」「ボルグの機嫌、今日最悪らしいぜ」とヒソヒソ噂するのが聞こえる。

 逃げたい。今すぐ土下座して許しを乞いたい。

 だが、レンは知っていた。この世界で「弱者」と認定された瞬間、骨の髄までしゃぶり尽くされることを。

 生き残る道は一つ。

 「強者」を演じきることだけだ。


 レンは本をパタンと閉じ、努めて緩慢な動作でボルグを見据えた。

 口角を数ミリ上げ、余裕の笑みを張り付ける。これは『アルカイックスマイル』。感情を読ませないための基本的な表情管理だ。


「……僕に言っているのかい?」

「ああん? ここにお前以外にヒョロガリがいるかよ。その席は俺の指定席なんだよ。とっとと失せろ」


 ボルグが威圧的に一歩踏み出し、背中の戦斧に手をかけた。

 殺気。物理的な暴力の予感。

 普通の人間なら萎縮して言葉も出なくなる場面だ。

 しかし、レンの「観察眼」は、恐怖とは裏腹に冷徹にボルグの情報を収集し始めていた。


(瞳孔の散大。呼吸数は通常時より一分間に五回ほど多い。顔面の紅潮……典型的な興奮状態だ。だが、それだけじゃない)


 レンの視線が、ボルグの右肩に吸い寄せられる。


(右肩の僧帽筋が不自然に収縮している。斧の柄を握る指先も、小指と薬指に力が入っていない。さらに、首をわずかに左に傾けているのは、右側の痛みを無意識に庇う代償動作……)


 情報が脳内で結合される。

 結論が出た。


(右肩だ。それもかなり古い古傷が、この湿気で痛んでいる。こいつ、強がっているがコンディションは最悪だ)


 勝機が見えた。

 レンはコップの水を一口飲み、喉を潤してから、静かに口を開いた。


「席を譲るのは構わないが……君、その斧、抜かない方がいいよ」


 あえて声を張り上げず、ボルグだけに聞こえる低音(トーン)で囁く。

 人間は、大きな声よりも「秘密めいた小声」の方に注意を向ける習性がある。


「は? なんだと?」

「右肩だ。古傷が痛むだろう? 君はいま、無理をして強がっている」


 その瞬間、ボルグの動きがピクリと止まった。

 目が見開かれ、視線が泳ぐ。

 図星だ。


「な、なんで……」


 Aランク冒険者としてのプライドが高い彼が、弱点である古傷の痛みを他人に漏らすはずがない。

 誰にも言っていない秘密を、初対面の優男に見抜かれた。

 その事実が、ボルグの心に「未知への恐怖」という名の隙間を作る。


(よし、食いついた。これが『コールドリーディング』。誰にでも当てはまるような事象ではなく、観察に基づいた具体的な事実(ホットな情報)を突きつけることで、相手の信頼――いや、畏怖を勝ち取る)


 レンは畳み掛ける。相手が動揺し、思考が停止している今こそが、暗示を植え付ける絶好のチャンス(トランス誘導の好機)だ。


「わかるさ。君の体が悲鳴を上げているのが聞こえる」

「き、貴様、何者だ……?」

「ただの、通りすがりさ」


 レンは立ち上がると、ボルグの鼻先数センチまで顔を近づけた。

 そして、彼の目をじっと凝視する。

 瞬きをせず、視線を固定する『凝視法』。


「いいかい。今から僕が指を鳴らすと、君の右腕は鉛のように重くなる」


 レンはゆっくりと、一定のリズム(ペーシング)で言葉を紡ぐ。


「重くなる。どんどん重くなる。鉄の塊のように、指一本動かせなくなる」

「あ? 何をわけのわからねえ……」

「動かそうとすればするほど、さらに重くなる。斧なんてとても持ち上がらない」


 これは『ダブルバインド(二重拘束)』と呼ばれる催眠テクニックの一つだ。

 「動かない」という否定命令に加え、「動かそうとする」という動作自体を「重くなる」という結果に結びつける。

 今のボルグは、古傷を見抜かれたことで「こいつは俺の体のことを知っている」という被暗示性が極限まで高まっている。

 さらに、実際に右肩が痛むという生理的要因が、暗示のリアリティを補強する。


「ふ、ふざけるなッ! こんな口車……!」


 ボルグは叫び、恐怖を振り払うように腕に力を込めた。

 脳からの命令は「動け」。

 しかし、無意識下では「動かないかもしれない」という不安が増幅し、筋肉にブレーキ(拮抗筋の緊張)をかける。

 アクセルとブレーキを同時に踏み込んだ状態。

 結果は――硬直(カタレプシー)だ。


 ――ガチリ。


 音がしそうなほど、ボルグの太い腕が空中で静止した。

 斧の柄を握ったまま、ピクリとも動かない。いや、動かせないのだ。


「な、なんだ!? う、うご、かねぇ!?」

「言っただろう。重くなると」


 レンはつまらなそうに頬杖をつき、冷めた目で見下ろした。

 内心では(うおおお! 効いた! マジで止まった! イップス万歳!)とガッツポーズをしているが、表面上はあくまで「格下の相手に興味がない強者」を装う。


 その異様な光景に、周囲の冒険者たちがざわめき始めた。


「お、おい見ろよ。ボルグが固まったぞ」

「あの青年、指一本触れてねえぞ……!」

「まさか……無詠唱の『金縛り(パラライズ)』か!?」

「いや、魔力の光が見えなかったぞ。もっと上位の、精神干渉系の呪術じゃないか!?」


 勝手な憶測が飛び交う。

 それこそが、レンの狙いだった。

 『社会的証明の原理』。人は、周囲が騒げば騒ぐほど、その対象を「特別なもの」だと認識する。

 ボルグの耳にも、その声は届いている。

 (こいつはヤバい魔法使いなのかもしれない)という集団の空気が、暗示を「確信」へと変え、より強固な金縛りとなって彼を縛り付ける。


「く、きサま、なにを、した……! 体が、いうことを……!」


 ボルグの額から脂汗が噴き出す。

 呼吸が荒くなり、瞳には明確な恐怖の色が浮かんでいた。

 レンは心の中で冷静に計算する。

 (そろそろ潮時だな。これ以上続けると、パニックを起こして無理やり暴れ出す可能性がある。恐怖のピークで解放してやるのが一番効果的だ)


 レンはため息交じりに立ち上がり、震える巨漢の肩に手を置いた。

 ビクリ、とボルグの体が跳ねる。


「何もしていないさ。ただ、君が疲れていると言い当てただけだ」


 そして、レンはボルグの耳元で指を構えた。


「『解(リリース)』」


 パチン、と乾いた音が響く。

 それは、トランス状態を解くためのトリガー(アンカリングの解除)。


 その瞬間、ボルグの腕から憑き物が落ちたように力が抜けた。

 極度の緊張からの急激な緩和。

 自重を支えきれず、巨漢がドスンと膝をつく。


「はぁ、はぁ、はぁ……!」

「今日はもう休んだほうがいい。……次、僕の前に立つ時は、敬語を使ったほうが身のためだよ」


 レンはニッコリと、営業用の――かつてテレビの向こうの何万人もの視聴者を魅了した、爽やかで不敵な笑みを浮かべた。

 ボルグは青ざめた顔で、何度も頷きながら後ずさる。

 戦斧を拾うことすら忘れ、這うようにしてギルドの出口へと逃げ去っていった。


 静寂。

 そして、爆発的なざわめき。


「おい、見たかよ今の……!」

「『岩砕き』のボルグを、一歩も動かずに撃退しやがった!」

「指パッチン一つで……。あいつ、何者だ!?」


 ギルド中の視線が、レン一人に集中する。

 畏怖、尊敬、警戒。

 それらの視線が突き刺さる中、レンは悠然と歩き出した。


(……よし。またハッタリだけで乗り切った。完璧だ)


 ポケットの中に入れた手は、まだ小刻みに震えている。

 膝もガクガクで、今にも崩れ落ちそうだ。

 背中には冷や汗がびっしょりで、正直、今すぐにでもトイレに駆け込みたい。


(足が震えてるのがバレないように、ゆっくり歩くんだ……。俺は賢者、俺は最強、俺は何も怖くない……)


 自己暗示をかけながら、レンは出口へと向かう。

 その背中を見送る冒険者たちの目には、彼が「正体不明の大魔導師」として映っていた。


 こうして、ステータス「なし」の男の、壮大な勘違い無双劇の幕が上がったのである。

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