第8話 立ち上がる理由
いつから桜夜のことを好きだったのか、正確には覚えていない。
幼馴染として当たり前のように傍にいて、彼女と過ごす時間はいつも楽しかった。
そう感じていた時には既に、無自覚に惚れ込んでいたのかもしれない。
だけど、「桜夜のことが好きだ」と明確に自覚した瞬間のことは、今でも鮮明に思い出せる。
4年前。中学1年生のときのことだ。
「……ごめん。せっかくの発表会だったのに、間に合わなくて」
その日は市が主催する音楽コンサートで、桜夜はピアノの独奏を披露することになっていた。
斗悟も必ず観に行くと約束していたのだ。
それなのに。
「何があったの? こんなにびしょ濡れで」
桜夜の白い指先が頬に触れた。
桜夜の言葉に責めるような響きは一切なく、ただ心配した様子でこちらを見つめている。
薄桃色のドレスに身を包んだ桜夜は本当に綺麗で、数分前まで壇上に輝いていたであろうその姿をこの目で見られなかったのはあまりにも残念だ。
そしてそれ以上に申し訳なかった。
「教えて欲しいな」
桜夜が穏やかに言う。
言い訳がましい話などしたくなかった。
だけど、理由も言わずにただ謝るだけの方が不誠実だと思い、斗悟は重い口を開いた。
「迷子がいたんだ。5歳くらいの男の子が雨の中で泣いてたから、放っておけなくて……」
不運が重なったのは確かだ。
熱を出した妹をギリギリまで看病してから家を出て、近道のために突っ切ろうとした公園で――迷子に遭遇した。
「……その子のお母さんを探すのを手伝ってたら、遅れてしまった」
きっと桜夜は許してくれるだろう。
だから嫌だった。
優しい桜夜に、許すしかない理由を突きつけるようなことを、したくなかったのに。
それなら仕方ないね、と寂しげに笑うだろう彼女を見たくなくて斗悟は俯いた――が。
そうして視界に飛び込んできたのは、桜夜の満開の笑顔だった。
「斗悟はかっこいいね!」
思いも寄らぬ表情と言葉に戸惑う。
「斗悟は、その子とその子のお母さんのヒーローだよ」
確かに、あの親子の助けにはなれたかもしれない。
だけど。
「雨だったけど、人通りがないわけじゃなかった。男の子は傘差してたし、濡れてたわけじゃなかった。……だから、あのとき、オレが助けなくてもよかったかもしれない。助けるのがオレじゃなくても……よかったかもしれない」
そうわかっていたのに、斗悟は自分で助けることを選んだ。
そうしたら桜夜の演奏に間に合わないと承知の上で。
桜夜が首を振る。
「斗悟が助けてあげたから、その子が悲しむ時間がその時までで済んだんだよ。それってすごく大事なことだと思う。斗悟もそう思ったから、助けてあげなきゃって思ったんでしょ?」
「……それは」
そう、だ。
ここで見て見ぬ振りをしたら、「助けてもらえなかった」という事実が、その時間が続いた分だけ、あの子の心に深く鋭い傷を残してしまうかもしれないと――そう思ったから。
「斗悟がそういう人で――目の前で悲しんでいる子に真っ先に声をかける優しい人で、私はとっても嬉しい」
少しの屈託もない桜夜の笑顔と言葉が、胸に沁み込んでくる。
「私の演奏はお母さんが録画してくれてるから大丈夫。私はきっと、今日の動画を見るたびに、『あの日の斗悟かっこよかったな』って思い出して嬉しい気持ちになるよ。……だから、泣かないで。ね? 後で一緒に見よう?」
――ああ。
この時だ。
どうしようもなく桜夜のことが好きなのだと、思い知らされたのは。
桜夜に「かっこいい」と言ってもらえる自分であり続けなければならないと誓ったのは。
瞬きのような追憶が終わり、斗悟の眼前に現実が帰ってくる。
そこには、ボロボロになりながら化け物と戦い続ける4人の少女の姿があった。
――バカか、オレは。
自分を守ってに命懸けで戦う少女達がいるのに、寝ている場合かよ。
こんなかっこ悪い姿を、桜夜に見せられるわけがない。
「そうだよな……桜夜……」
……もしも。
もしも、もう二度と桜夜に会うことができなかったとしても。
それがあの日の誓いを破っていい理由にはならない。
桜夜に誇れる自分であることを、諦めていい理由には――ならない!
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