第4話 異次元を喰らう顎

 ここは現実世界と異世界の狭間――異なる世界同士を繋ぐ「道」ということになるのだろうか。


 通るのは2度目だが、前回と比べて少し辺りを見回す気持ちの余裕があった。


 大きい透明な筒の中を、線路のように道が続いている。


 斗悟はその線路の上に浮いたまま凄い速度で移動している――動いている実感はないが、景色が高速で後ろに流れていくので、多分そうなのだろう。


 筒の外を流れる景色を言葉で説明することは難しい。


 強いて言うならば、「極彩色の万華鏡を空間化したような状態」だろうか。


 あれは……人間の五感では正確に知覚することができない、高次元のだ。


「良い仲間を持ちましたね」


 女神イリーリスが現れ、斗悟に話しかけてきた。


 理解困難な外の景色とは違い、こちらは一目で「女神」とわかる――白い羽衣を纏った美しく神秘的な女性の姿だ。


「ああ。オレにはもったいないくらいの仲間達だ」


「……私を恨んでいますか?」


 緊張した面持ちで女神イリーリスが斗悟を見た。


 一瞬何を訊かれたのかわからなかったが、すぐに魔王の正体のことを言っているのだと思い至る。


「いいや。恨んでないよ。まあ正直、嘘つかれてたのはいい気しないけど……」


 この女神様はいきなり「あなたは勇者に選ばれました」と有無を言わさず斗悟を異世界に召喚し、魔王を倒さなければ帰れないなどという理不尽を押し付けてきた元凶だ。


 その上、勇者が戦う理由すら偽りで、斗悟はずっと騙されていたらしい。


 だかそれでも斗悟が彼女を恨むことができないのは――


「あなたが人間オレ達のことを大切に想っているのは、なんとなく伝わってくるからさ」


 イリーリスの言葉や態度の端々に、人に対する愛や親しみを感じるからだ。


 わざとらしいくらい女神的な容姿に対して、人格(神格?)はそれほど超然としていない。


 ともすれば漏れ出してしまう人間臭さを取り繕うために、形だけそれっぽくしたのでは? と思わせるくらいに。


「わからないけど、女神様にも多分、こうしなきゃいけない理由があったんだろ。だから、恨んでないよ」


「……そうですか。よかった」


 イリーリスは安堵の息を吐き、仕切り直すようにこほんと一つ咳払いをした。


「さて。勇者斗悟よ。約束どおり、あなたをあなたの世界に帰還させます。


 また、魔王を倒し異世界ロイラームを救った功績を讃え、一つだけ願いを叶えてあげましょう」


「ああ、そうだったな」


 これも異世界に連れてこられた時に聞かされていた事項の一つだ。


『魔王を倒さない限り現実世界には戻れません。その代わり、見事魔王を討伐できた暁には、女神の力によりどんな願いも一つだけ叶えてあげましょう』。


 当時の斗悟にとっては、早く桜夜さくやに会いたい、それだけが唯一の願いだったので、何の魅力もない話だったが……。


「前に聞いたと思うけど、もう一回確認したい。


 現実世界に帰ったとき、向こうの時間は進んでないんだよな?」


「はい。


 ロイラームとあなたの世界では時間の進み方が違うので。


 具体的には、あなたがロイラームに転移してから1秒後の現実世界に帰還するように設定しています」


「よかった。


 もし現実世界でも1年経過してますって言われたら、その時間を戻すのに願い使うか迷うところだったぜ。


 桜夜さくやと過ごす時間が1年も減るなんて耐えられないからな」


「あなたは本当に桜夜さくやちゃん一筋ですね。


 ルチアちゃんのような可愛い女の子が1年間ずっと傍にいたのに、全然なびかないし」


「そりゃあ……ずっと好きな人だから」


「かっこいー」


「うるさいな……」


 相変わらず俗っぽい話が好きだな女神様。


 とても楽しそうだ。


「叶えたい願いか……」


 確かに以前の斗悟には、桜夜さくやとの再会以外に叶えたい願いなどなかった。


 だが――今は違う。


 魔王との戦いを通じて、どうしても叶えたい願いができた。


「あるよ。願い」


「では教えてください。あなたの願いを」


 斗悟は息を吸い込み、願いを口にした。


「―――、――――――――。―――――」


 女神イリーリスは目を見開いたが、やがてその驚きは慈愛を湛えた微笑みに変わる。


「本当に、良いのですね。その願いで」


「ああ。頼むよ」


「わかりました。


 ……ありがとう、会崎斗悟さん。


 あなたこそ真の勇者です。


 あなたを選んで本当に良かった」


 そんな大げさな、と返そうとしたとき、異変は起きた。


 腹の底を揺るがす轟音と、視界がひっくり返るような衝撃が同時に訪れたのだ。


 斗悟がいる「道」――巨大で透明な筒にも、大きなひびが入っている。


「な、なんだ!?」


 衝撃の元と思われる方向を見て、斗悟は絶句した。


 巨大なあぎとが。


 「道」に喰らいついている。


「モ……モンスター……!?」


 咄嗟に頭をよぎったのはロイラームに生息する魔物のことだったが、しかし今眼前に現れた「これ」は明らかに魔物とも異質な存在だった。


 視界を埋め尽くす圧倒的な巨躯。


 蛇のように長い体をしているが、全身にもやがかかっていて詳細を窺い知れない。


 ただ、それなのに、それだからこそ、明確に視認できる「顎」部分が異様な存在感を放っている。


 無数の鋭利な牙がびっしりと敷き詰められた上下一対の半円。


 暴力的な捕食衝動をそのまま形にしたような――まさに、質量を持った「恐怖」そのものだ。


「女神様! イリーリス様!


 なんなんだよ、あいつはっ!」


「わ……わかりません!


 この場所に侵入できる存在なんているはずがないのに――きゃあっ!?」


 再び轟音がした。


 道が噛み砕かれた音だ。


 さっきまで透明な筒だった破片が、割れたガラスのように飛び散っていく。


 そして「道」の外の異空間に放り出された斗悟は、世にもおぞましい光景に目を奪われた。


 極彩色の空間を無数の顎が食い荒らしている。


 食べられているのかはわからないが――


 とにかく、顎が通った後には色が消え、虚無のような漆黒のみが残されることから、致命的な事態が起きていることだけは直感で理解した。


「イリーリス様! オレを戦わせてくれ!


 イリー……!?」


 はっとイリーリスを見遣ると、彼女は既に顎に襲われていた。


 球状のバリアで辛うじて受け止めているが、顎はみるみるうちにバリアを噛み潰してイリーリスの体に牙を突き立てようとしている。


 彼女を守るためなんとか近づこうとするが、無重力の中をもがいているようで、どれほど体を動かしても全く思う方に進むことができない。


「イリーリス様っ!」


「来てはいけません!」


 初めて聞く女神の怒鳴り声だった。


「ここであなたにできることは何もありません。


 自分が生き残ることだけ考えてください」


「でもっ…!」


「あなただけは私が、何としても逃します」


 そう言ってイリーリスが手をかざすと、斗悟の全身が球体バリアに包まれ、そしてそのまま弾かれたように後方へ吹き飛んだ。


「な……何してんだ!


 イリーリス様! おいッ!」


「お願いします……


 どうか逃げ延びて、そして……に……助けを……」


 猛スピードで遠ざかる斗悟が最後に見たのは、豆粒のように小さくなった女神イリーリスが、顎に呑み込まれる瞬間だった。


 宇宙が歪む。


 高次元の万華鏡空間が闇に呑まれていく。


 世界が、崩壊する。

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