恋心を捨てた失恋勇者と石の守護者
羽哉えいり
恋心を捨てた失恋勇者と石の守護者
今日、ボクは10年間片思いをしていた幼馴染の男子に告白して玉砕した。
17歳になる明日、勇者として魔王を倒す旅に出る。生きて帰れる保障なんてどこにもない。
だからせめて自分の気持ちに決着をつけておこうと思って、勇気を出して好きという気持ちを伝えた。
相手も自分を好きだったらいいな〜っていう僅かな希望も虚しく、ものの数秒で完膚なきまでに撃沈。
「勘弁してくれよ、お前は俺のタイプと真逆だし、それ以前に女として見たことなんて一度もないぜ」
苦笑いで吐き捨てられたその言葉は、ボクの胸を貫く。長年の想いを断ち切るには十分すぎる鋭さだ。
一緒に過ごした年月は、彼にとって女ですらない何かとの時間だったんだね。
「……そっか。そうなんだ。そうだよね、ごめん、変なこと言って」
「そんなことより、勇者としてしっかり世界を平和にしてくれよな。頼むぜ」
「……うん。ボク頑張るよ」
頭の奥でパキンと音がした。
10年間大切に育てて何度も水をやって、時々ひとりで思い出しては熱を帯びていたボクの拗らせてた初恋が一瞬で枯れ果てた音だ。
この瞬間、ボクの中の女の子は死んだ。
「勇者が恋になんて浮ついてる場合じゃなかったんだ。世界を平和にするまでは、ボク、誰かを好きになっちゃいけないんだね……」
暗い自室。明日の旅立ちを前にした最後の夜、毛布を頭から被り声を殺して止まらない涙を拭い続ける。
溢れ出る涙を拭っても拭っても、彼のあの淡々とした声が耳から離れない。
「タイプとは真逆」「女として見たことない」「しっかり世界を平和にしてくれよ」
10年間の想いは、彼にとっては世間話のついでに捨てられる程度のものだったんだ。
「……っ、ふ、ううっ……」
しゃくり上げるたびに胸の奥が焼けるように熱い。けど、その熱は次から次へと刺すような冷たさへと変わっていく。
恋をして、心が浮ついていたからあんな惨めな思いをしたんだ。女として見て欲しいなんて願ってたから、あんな言葉を投げつけられたんだ。
「そうだよね……、ボクは、勇者なんだから……」
震える手で自分の胸を強く強く押さえつける。こんな痛み、こんな惨めさ、二度と味わいたくないよ。
それならいっそ、心を鋼にしてしまえばいい。
「……恋心なんて、勇者にはいらない。だから、もう……、誰のことも、好きにならない……。好きになんてなるもんか……」
自分の心を守るため、そして自分を縛り付けるために、ボクは自身にもっとも残酷な呪いをかけた。
旅立ちの日、王様への謁見を終えて城門へと向かう。足取りは重い。
こんな気持ちになるって知ってたなら、告白なんてしないほうが良かったな。
後悔しても今更なんだけど。
「……勇者、か」
思わず口からこぼれた言葉は白い息となって空気に溶けた。
昨日の夜、ボクは「リィン」としての人生を捨てた。10年間、ただ一人の人を想い続けた心はこの場所へ置いていく。
「世界を救うまで、ボクは誰も好きにならない」
自分に言い聞かせるように何度も呟く。恋なんて、誰かを想う熱なんて、魔王と戦うために心を研ぎ澄まさないといけない勇者には邪魔なだけ。
不必要なノイズでしかないんだ。
豪華な装飾が施された城の重い扉が開き、通り抜けた先では家族でもあり、これから命を預け合う旅の仲間の姿があった。
一人は父の弟である戦士のバルガス叔父さん。38歳という働き盛りで、筋骨隆々とした体躯に巨大な戦斧を背負った姿は立っているだけで壁のような安心感がある。
ボクのお父さんが早くに亡くなってからずっとお世話になっている。
「おーい、リィン! こっちだ! 王様への挨拶は終わったみたいだなー!」
バルガス叔父さんが豪快な笑顔で野太い声を上げて手を振っている。
その隣にはもう一人の仲間である従姉妹のユウリナが心配そうに眉を寄せて見ていた。
19歳の彼女は叔父さんの娘であり、ボクにとっては姉のような存在だ。魔法使いとしての才能に長けていて、国の宮廷魔導師からスカウトされているとか。
「リィン、本当に大丈夫? 無理して笑わなくてもいいのよ」
「大丈夫だよ、王様にはただの勇者として必ず魔王を倒してくるって伝えてきたから」
「そう……、リィン、顔、少し腫れてるわね」
ユウリナはボクの頬にそっと手を添えてくる。彼女は昔から察しが良かった。
ボクの失恋も、絶望も、そして今朝決意した心を鋼にするという誓いも全部見透かされている気がする。
「心配してくれてありがとう、ユウリナ。平気平気、ボクは勇者だからね」
「最初からそんなに無理して勇者になろうとしなくてもいいのよ」
「覚悟を決めただけだよ。世界を救う勇者として生きていくための」
「そうか。なら俺たちはリィン、お前の背中を支えてやるだけだな」
「ありがとう叔父さん」
道中は叔父さんが前衛でユウリナは後方から支えてくれる。三人で城の周りの魔物退治に何度か行った。
血の繋がりのあるこの三人なら、きっと魔王を倒すまで戦い抜けるはずだ。
「リィン、戦力の補強の為に酒場へ行ってみないか。腕の立つ奴がもう一人くらいいればお前を無茶させずに済むからな」
叔父さんの提案になるほどと思う。
確かに叔父さんは熟練の戦士だし、ユウリナの魔法も頼もしい。でもボクたちはあまりにも距離が近すぎる。
身内だけの温かな絆もいいけど、それは今のボクにとって何よりも心地よくて、そして何よりも甘えを生んでしまう劇薬だ。
「そうだね、いい人がいると良いね」
ボクはいつものような能天気さを見せて返事を返す。
もしボクたちが窮地に陥った時、叔父さんやユウリナはきっと自分の命よりもボクを優先してしまうだろう。それは勇者としてのボクを支える力にはなるけれど、同時にボクが一人の「リィン」に戻ってしまう隙を作ってしまう。
今必要なのは、ボクを勇者としてしか見ない冷徹で事務的な戦力だ。
ボクを可哀想な女の子として扱わない、同情もしない、そんな他人が一人混ざっているくらいの方がこの心を閉ざし続けるのに都合がいい。
「……情けなんていらない。ただただ戦える人がいいな……」
ボクの独り言のような呟きに、ユウリナが悲しそうに目を伏せたのに気付く。
ごめんね、今のボクはユウリナの心からの優しさに触れると泣いてしまいそうなんだ。
ボクたちは町の喧騒から少し離れた、冒険者たちが集まるという酒場へと向かった。
酒場の扉を開けると、湿った熱気が一気に顔を叩く。店内には魔物退治で日銭を稼ぐ冒険者や、どこか影のある荒くれ者たちがたむろしていた。
ボクたちに一瞬だけ視線が集まる。「あの小娘が勇者かよ」という侮蔑と好奇心が混じった視線。
普段なら萎縮してしまったかもしれないけど、今のボクにはそんな他人の視線なんてどうでも良かった。心が冷たく凍りついているように静かで、男たちの威圧感さえ遠い世界の出来事のように感じる。
「……少し奥へ行こうか。ここで見つからなければ旅の道中で探すことにしよう」
「そうね、父さんは昨日もここへ来ていたようだけど収穫はなかったもの。あまり期待しない方がいいわよ、リィン」
隣を歩くユウリナがため息混じりに言う。
どうやら叔父さんはこの旅の為に命を預けられる「四人目」をずっと前から必死に探していたらしい。でも信頼できる他人なんて、そう簡単に見つかるはずがないよね。
「……ユウリナ、リィン、あいつはどうだ?」
叔父さんの声が低くなる。視線の先には喧騒の中でそこだけが凪いでいる場所があった。
カウンターの最果て、一番影の濃い席にいる一人の男の人が自分の拳をじっと見つめて座っている。
使い込まれた道着に身を包み、岩のように硬そうな肩。両拳の使い込まれた手甲が、彼が言葉ではなく拳で生きてきたことを物語っていた。
「おい、そこのあんた。俺たちは腕の立つやつを探している」
「……ジンだ」
男は叔父さんの声掛けに対しゆっくりこちらを向くと、短くそれだけを言う。愛想笑いの一つもない。
射抜くような鋭い眼光。ユウリナが少し気圧されたのか一歩引いたが、逆にボクはその愛想のなさに安らぎを感じた。
この人なら、ボクの心に土足で踏み込んでくることはないだろう。
「ボクは勇者のリィン。今日魔王を倒す旅に出る。死ぬかもしれないけど、来る?」
問いかけるとジンという男は立ち上がった。ボクよりもずっと背が高く、見上げると圧倒されるような威圧感がある。
真っ直ぐに見てくるジンに、一瞬ボクの心の奥にある傷を見透かされた気がして胸がざわついた。
彼は表情一つ変えずに言う。
「俺はお前を守ればいいんだな」
「ち、違う違う。ボクは勇者だよ、守られる必要なんてない。ただ背中を任せられる戦力が欲しいだけ」
「……そうか」
ジンはそれ以上何も聞かず、黙って荷物をまとめる。
「俺は戦士のバルガス、こっちは魔法使いのユウリナ。そしてこの子がさっきも名乗ったがリィンだ。ジン、あんた武闘家だろう? しかも相当強い。その手甲は飾りじゃなさそうだな」
叔父さんの鋭い視線がジンの手甲に注がれる。それは単なる観察ではなく、同じ前衛で戦う戦士としての値踏みだ。
「叔父さん、ユウリナ、ボクこの人を仲間にしたい」
「リィンが言うなら決まりだ。ジン、歓迎するぜ」
「私もリィンの意向を汲むわ。これからよろしくお願いしますね、ジンさん」
「……ああ」
身内だけの温かな絆、そこに加わった石のように無機質な他人のジン。
四人になったボクたちは、まだ見ぬ魔王の城を目指し王都の門をくぐり抜けた。
旅が始まって数週間。王都を出たばかりの頃の緊張感はいつしか日常の重みに変わっていた。
22歳だというジンはやはり驚くほど喋らなかった。
叔父さんやユウリナと焚き火を囲んで昔話に花を咲かせている間も、彼は少し離れた場所で黙々と手甲を磨いているか周囲の気配を伺っている。
でも彼は見ていた。ボクでさえ気付かないボク自身の揺らぎを。
「……リィン、左足」
野営の準備中、不意に背後から声をかけられボクは肩を震わせる。振り返るとジンが感情の読めない瞳でボクの足元を指差していた。
「左足が何? 特に何ともないよ」
「重心が外に逃げている。夕方の戦闘、岩場での踏み込みの時に挫いたはずだ」
言われてみれば確かに微かな疼きを感じる。だけど勇者がこんな小さな怪我を気にするなんて、と強がってみる。
するとジンは無言のままボクに小袋を差し出してきた。
「この薬草はよく効く。塗っておくといい」
「ねえ、どうしてボクのことばかり見てるの? 君は自分の身を守ることだけ考えていればいいって前も言ったよね」
「……俺にはもう、守るべき自分の身などない」
独り言のような、掠れた声だった。
後で叔父さんから聞いた話では、ジンの故郷の村が数年前魔物の大量発生で壊滅したそうだ。彼が守るべきだった家族も、共に修行をしていた仲間も、村の全て失っていた。
無口なのは、語るべき思い出をすべて灰にされた者の静寂。
彼が振るう拳は復讐のためではない。
自分以外の誰かが同じ喪失を味わうのを、本能的に拒絶しているだけなんだろう。
「俺は、お前が魔王を倒すまで、お前の背後を空けない。それだけだ」
そう言うと、また無機質な石のように静まり返る。
執着も、野心も、そしてボクへの特別な感情は無いと言いたげな冷たい無口さ。
だけどジンがボクのことを気にかけてくれるたびに、凍らせたボクの心に小さな亀裂が入るのを感じる時がある。
守られる必要なんてない、そう決めたはずなのに。
彼の静かな視線は、ボクが勇者の仮面の裏側に隠した痛みをあまりにも正確に射抜いてくるのだ。
鋼にしたはずの心が、彼の視線にさらされるたびに熱を帯びそうになる。閉ざした心を少しずつ、少しずつ削り取っていかれることが怖かった。
その日は雨が降り続く午後だった。森の廃屋でボクたちは雨宿りをしていた。
叔父さんとユウリナが少し離れた場所で地図を見ながら話をしている。ボクは一人、壁に背を預けて目を閉じていた。
最近夜が来るのが怖い。眠ろうと目を閉じると、あの日幼馴染に冷たく拒絶された光景が昨日のことのように蘇るからだ。
何故そうなったのか、自分なりに出した答えは行く先々の町や村で受け続ける人々からの期待からだと思う。
「勇者様、どうか魔王を倒してください!」
「あなた様だけが私たちの希望なのです!」
「勇者様、平和を取り戻して!」
「勇者様!」
「勇者様!」
色んな人たちから声を投げかけられる度に心に鋭いナイフが突き刺さってくるようだ。勇者は魔王を倒すための象徴ということを突きつけられる。
恋心を捨てて、ただ世界を救うための道具になるって決めたのに。昼間、完璧な勇者を演じれば演じるほど、夜一人になると勇者という役割の重みが押し寄せてくる。
それに、あんなに多くの人たちが苦しんでいるのに、色恋沙汰にうつつを抜かそうとしていた自分はなんて浅ましかったんだろう。夜の闇の中で自己嫌悪が膨れ上がる。
(……大丈夫、ボクは勇者だ。もう誰にも心なんてかき乱されない)
何度もそう自分に言い聞かせている。
ふいに視界が暗くなった。目を開けると目の前にジンが立っている。彼は何も言わずに自分の着ていた厚手の外套を脱ぐと、ボクの膝の上に無造作に放り投げた。
「何? 寒くないよ、ボクは」
「指先が震えている。寒さか、恐怖なのかどちらにせよ、そのままでは剣が鈍る」
相変わらずの無表情だけど、何故かボクの隣に腰を下ろした。彼の手甲がカチリと音を立てる。
反論しようとしたけど、自分の右手がわずかに震えていたので慌ててそれを隠した。彼には隠し事など通用しないのに。
「ジンって変わってるね。勇者のボクのことなんて放っておけばいいのに」
「勇者である前に、人間だ」
「……そう」
「リィン、お前は自分を勇者という役割だと思っているようだが、これだけは言っておく。俺が守っているのは、ただの不器用な一人の娘だ。それ以外の理由は……、持ち合わせていない」
ジンの言葉は自分が必死で築き上げた鋼の城壁を、あまりにもあっさりと突き崩した。
勇者だから守られていたのではない。
ジンはボクという人間を見てくれていたんだ。
「そんなに、ボクは辛そうにしてたかな」
震える声でそう漏らしたボクの視界が急に歪む。ジンの大きな手が迷うように動き、頭にぎこちなく置かれた。
武闘家の厚い皮膚、戦いで刻まれたいくつもの傷。そのごつごつとした感触が不思議なほど優しく感じる。
「正直勇者だからとか、世界を救わなきゃとか、そういうのは俺にはよくわからん」
ジンはボクと視線を合わせないまま、独り言のように続けた。
「だが唇を噛み切りそうになりながら無理に笑っている奴を放っておけるほど、俺の拳は軽くはない。お前はお前でいい」
「……やっぱり変わってるね、ジンは」
ボクは膝の上の外套をぎゅっと握りしめ、顔を埋めて止まらない涙を拭う。
勇者でなくていいと言われたわけじゃない。世界を救わなくていいと言われたわけでもない。
「お前はお前でいい」というその響きが、夜を怖がっていたボクの心に初めて小さな灯をともしてくれた。
まだ魔王までの道は遠い。けれどこの無口で無骨な武闘家を見ている間だけは、明日が来るのを少しだけ怖くないと思えた。
「あらあら、お取り込み中だったかしら?」
突然のユウリナの声に、ボクは弾かれたように顔を上げる。
「ユ、ユウリナ! ち、違うの、こ、これは!」
「何が違うのかしら。リィン、あなたがそんなに素直に甘えてるなんて、王都を出てから初めて見たわよ。ジンさんてばやるじゃない。石仏みたいに無口だから心配してたけど、女の子の扱い方を心得てるのね」
茶化すようなユウリナに、ジンは相変わらず表情を変えず、ただ視線をわずかに逸らす。
「……放っておけなかっただけだ」
「はっはっは! 良いことじゃないか!」
今度は叔父さんがドカドカと歩み寄り、ジンの肩を壊さんばかりの勢いで叩く。
「リィン、お前は生真面目すぎるんだ。たまには誰かの背中に隠れたってバチは当たらん。それにジン、あんたのその無骨な守り方、俺は嫌いじゃないぜ」
「叔父さんまで……。ボクは別に隠れてなんて……」
言い訳をしようとしたけど二人の明るい声にその気持ちはかき消された。
叔父さんとユウリナ、血の繋がりのある温かな家族。そこに加わったのは石のように無機質だったはずの他人のジン。
けれど今の彼は、もう完全な他人のそれには見えなかった。
旅が深まるにつれ、ボクたちの戦いは激しさを増していく。
ジンは相変わらず言葉が少なかったが、その戦い方はボクが彼に求めていた効率的な戦力という枠を大きく踏み越え始めている。
「ジン! 右から来る魔物を抑えて! ボクは正面のヤツを叩く!」
ボクは勇者として最短ルートで敵を殲滅するための指示を飛ばす。彼はそれに応じ、弾丸のような速さで踏み込んでいく。
武闘家である彼の戦いは常に死線と隣り合わせだ。盾を持たず、己の拳と肉体だけで鉄の塊や魔法の奔流を受け止める。
(……おかしい。あんなの効率が悪すぎるよ)
計算では彼は回避に専念し、隙を見て反撃をすればいいはず。なのに大技を放った直後無防備になってしまうボクの隙を埋めるためか、あえて敵の攻撃の射線上に自分の体を割り込ませたのだ。
鈍い打撃音が響き、ジンの肩から血が飛ぶ。
「なんで避けなかったの!? 君が負傷すると戦力が落ちるでしょ!」
戦闘が終わり、ボクはたまらずジンに詰め寄る。彼の献身は理解不能なミスにしか見えなかったからだ。
ジンは荒い息を整えながら手甲に付いた返り血を無造作に拭った。
「……お前が止まれば、戦いは終わらない」
「だからってジンが盾になる必要はないよ! ボクは勇者だ、回復魔法だって使える。多少の攻撃を受けたって平気だよ!」
「勇者だろうと、攻撃を受ければ痛いものは痛いだろう」
「――っ!」
胸の奥が熱くなり、ぎゅっと締め付けられる感覚を覚える。
真っ直ぐにボクの目を見て言うジンに、言い返そうとした言葉が喉の奥でつかえた。
「ボクが痛かろうが、傷つこうが、世界が救われるなら、それでいいんだよ」
「世界が救われたとしても、その中心でお前がボロボロになっていては意味がない」
「……なんでそう思うの? 勇者は平和のための希望だよ。中身がどうなってたって、平和になればみんなが喜ぶ。それがボクの使命なんだし」
「俺は民衆の一人として言ったわけではない」
「どういうこと?」
「俺はお前の背中を任された男として言っているんだ」
彼の瞳には同情も崇拝もなかった。一人の男としての、譲れない矜持が宿っていた。
守られる必要なんてない、勇者の宿命を一人で背負うと信じて疑わなかった。だけどジンの言葉が鋼の城壁をすり抜けて、一番柔らかい場所に熱を持って届いてしまう。
恋心なんて、勇者にはいらない。
そう自分に言い聞かせていた声は、王都を出た時ほど強くは響いていないみたいだ。
その夜、宿屋のベッドの上で天井の木目を見つめながら、昼間のジンの言葉を反復していた。
『勇者だろうと、攻撃を受ければ痛いものは痛いだろう』
そう言われた瞬間、胸の奥が熱くなった感覚がまだ消えない。勇者だから傷つくのはしょうがないという気持ちを、人間だから傷つけば痛いのは当たり前と肯定してくれた。
「……リィン、起きてる?」
隣のベッドからユウリナの忍び笑いを含んだ声が聞こえた。
「起きてるよ。どうかしたの?」
「ううん。あの無愛想なジンさんがリィンのことを必死に守ってて、なんだか良い雰囲気だなーって思って」
「……別に、普通だよ。彼は自分の仕事を全能しただけ。効率は悪かったけど」
ボクは布団を鼻先まで引き上げ、わざと無機質な声を出す。だけどユウリナはボクの嘘を見抜くのが誰よりも上手い。
「ふふっ、またそうやって効率とか勇者とかで心を隠すんだから。ねえリィン、王都を出た後にあの幼馴染とのことを私に全部話してくれたわよね」
「……うん。ユウリナには言っても良いかなって思って」
旅の初め、失恋の辛さは癒えていなかった。連日何があったのかをユウリナに聞かれ、根負けして胸の内全てを彼女に吐き出した。
心の中に溜まっていた澱を言葉にしたおかげで少しスッキリしたのは事実だ。
「恋心なんて勇者にはいらない、そう言った時のあなたの目は本当に死んでいたわ。でも今は違うみたい。ジンさんのことを見る時、あなたはちゃんと女の子の顔をしてるわ」
「そんなこと……、ないよ」
「あるわよ、鏡を見せてあげたいくらい」
ユウリナはボクのほうを見て優しく笑いかける。
「リィン、世界を救うために自分を殺す必要なんてないのよ。もしジンさんに惹かれているなら、その気持ちを勇者の邪魔だなんて思わないで。それはあなたが人間である証拠なんだから」
「ダメだよ……、ボクは恋なんてしちゃいけないんだ。そうじゃないと、世界は救えないんだ」
「世界なんてどうでもいいわ。リィン、あなたが笑う方が大事!」
ユウリナの言葉はあまりにも突拍子もなくて、そしてとても温かかった。
魔法使いとして、従姉妹として、そして親友としてずっと隣にいた彼女が世界の運命よりもボク個人を選んでくれた。
その事実に視界がじわりと熱くなる。
「ユウリナ、ボクが勇者として完成されなきゃ、魔王は倒せないよ」
「いいえ、自分を愛せない勇者が救った世界なんてきっと誰も幸せになれないわ。ジンさんがあなたの隣で戦ってくれてるのは勇者だからじゃない。彼にとってあなたが守りたい人だからじゃないの?」
ジンから前に言われた言葉を思い出す。
『俺が守っているのは、ただの不器用な一人の娘だ』
あの言葉は、勇者の宿命に縛られたボクを暗い牢獄から救い出そうとしてくれていたのかもしれない。
「ジンはバカだから、ボロボロになってまでもボクを庇うんだよ。効率も、命の優先順位も無茶苦茶なんだ」
「ふふふっ、そうね。でもそんなバカな彼にあなたの心は溶かされているんでしょ?」
「……それは、少しだけ、認める」
世界を平和にするまでは、誰かを好きになっちゃいけない。
自分自身にかけた残酷な呪いは徐々に解けてきている。
「ボク、やっぱり怖いよ。好きになっても、またあんな風に拒絶されるかもって……。勇者失格だって見捨てられるのが……」
「大丈夫よあの人なら。だっていつもは頑固で石膏像みたいなのに、リィンの前ではあんなに熱くなるんだもの」
ユウリナの発言に思わず小さく吹き出す。
確かにジンは石のようだけど、ボクに何かが起きる時は誰よりも早く駆けつけてくれる。
「……明日、またジンに言わないと。あまり無茶しないでって」
「多分お前こそ無理をするなって絶対言い返してくるわよ」
ボクとユウリナの笑い声が夜の静寂に溶けていく。
今自分でも驚くほど、明日の朝にジンと顔を合わせる瞬間を待ち望んでいた。
ユウリナと話し、ボクはジンに惹かれていると自覚をした。
けれどボクは何も伝えない。伝えてしまえばこの歪な関係が壊れてしまう気がするから。
戦闘ではジンは変わらずボクをただの一人の娘として扱い、守り抜くような戦い方をする。
「ジン! またボクを庇って……!」
「たいした傷ではない。気にするな」
彼はひたすら彼自身の誓いに従って、ボクの周囲の危難を払い除け続ける。
敵を全てなぎ倒したあと、肩で息をするジンの背中にボクは思わず手を伸ばしかけた。だけどその手は空を切って自分の胸元で強く握りしめる。
(ボク、君のことが……、言えない、言っちゃいけない)
「傷を見せて、すぐ手当てするから」
「大丈夫だ。お前こそどこか痛むところはないか」
ジンの瞳はどこまでも澄んでいて、真っ直ぐにボクを案じている。その純粋な眼差しに射抜かれるたびに、自覚したばかりの恋心は痛みと愛おしさの間で激しく波を打つ。
彼のことを守りたい、けど守られているのはいつもボクの方だ。
勇者としての使命と、あの日捨てたはずの女の子としての自分。その狭間で揺れている。
「……ねえジン、君はどうしてそこまでしてくれるの? ボクはただの守るべき対象なの?」
傷の手当てを終えて、ボクは俯いたまま小さく呟いた。
ジンは少しだけ意外そうに眉を動かし、自分の手甲を見つめてから低い声で答える。
「……俺は、口が下手だ。気の利いたことは言えん」
「うん」
「俺の拳が届く範囲に、お前がいてくれればいい。……それ以上の理由は必要ない」
「それってどういう意味?」
顔を上げると、ジンの視線と真正面からぶつかる。彼は何かを言いかけるように唇を動かしたが、結局重い沈黙を選んだ。
ボクの鼓動は魔物との戦闘中よりも激しく胸を叩いている。
「……意味は、自分で探せと言いたいところだが」
しばしの沈黙後ようやく口を開く。その声は、いつになく微かに震えているように聞こえた。
「今の俺は、お前に何かを求める資格はない。俺の言葉がお前の背負っているものの邪魔になることだけはしたくない」
「邪魔なんかじゃ……!」
「いいや、邪魔だ」
ジンは断ち切るように言い放ち、立ち上がった。
「お前は前だけを見ていろ。……俺の真意など、魔王を倒した後にまだ俺が隣にいたらその時にまた聞けばいい」
そう言うとジンは背を向けて立ち去っていく。
「何それ……。そんな言い方されたら余計に気になるじゃない。知りたくなるよ。……ボク絶対に魔王を倒して、ジンの隣に立って、その口から全部吐かせてやるんだから!」
恋心なんていらないと思っていた。でも今はその恋心が、魔王を倒してその後を手に入れたいという最強の執念へと形を変えた。
「ねえ、ジン。ボクやっと分かったことがあるんだ」
野営の焚き火を囲みながら、隣に座るジンの横顔を見つめる。
ジンはいつものように無表情で手甲を磨いていたが、ボクの声に動きを止め、静かにこちらを向く。
「誰かを好きになることは、自分を弱くすることだと思ってた。でも違うんだね。守りたい人がいるから、ボクはもっと強くなれる。今のボクなら、あの日よりもずっと鋭い剣を振れる気がするんだ」
ボクの言葉にジンは何も答えない。
代わりに向こう側に座っているユウリナが話しかけてくる。
「ようやく素直なリィンに戻ったみたいね。ジンさんのおかげ、なのかしら?」
「なっ、何言ってるのユウリナってば!」
「はっはっは! 照れることはないぞリィン! ジン、あんたはリィンを前を向けるように変えたんだ。責任持って最後まで隣にいてやってくれよな!」
叔父さんの豪快な笑い声が夜の森に響く。ジンは相変わらず表情を崩さないけど、視線がわずかに泳いでいるのをボクは見逃さなかった。
「……責任、か。俺に務まることなら、拒む理由はない」
「ジンさん、それ、言質とったからね。リィン、明日の決戦への士気を高めるためにも、今夜はジンさんにしっかり護衛してもらいなさい」
「なっ、何それ! ていうかジンも真面目すぎるよ!」
ボクは膝を抱え、赤くなった顔を外套に埋めた。
世界を平和にするまで恋をしてはいけないなんて、違うよね。
大好きな人がいるこの世界だからこそ、平和にする価値があるんだ。
――ついに魔王城の重厚な玉座の間の前まで辿り着いた。
冷たく乾いた空気が肌を刺すが、不思議とボクの心は、王都を出たあの日よりもずっと熱く静かに澄み渡っている。
「リィン、大丈夫か。震えていないな」
隣に立つジンが、いつもの無機質な、けれど温かな声で問いかけてくる。ボクは彼の手甲に覆われた大きな拳を一度見つめ、それから力強く頷いた。
「うん、大丈夫だよ」
あの日、王都の門をくぐった時からボクは自分を殺して「心を持たない一振りの剣」だと思い込ませた。世界を救うために恋を捨てるのが勇者の正解だと思っていた。
でもそれは間違いだったんだ。
自分を愛せない人間に、世界を愛することなんてできない。
自分を犠牲にするだけの勝利に、本当の平和なんて訪れない。
「ボクは、世界のために戦うんじゃない」
ボクは剣を抜き放ち、その切っ先を魔王の気配が渦巻く扉へと向けた。
「ユウリナと叔父さんが笑える世界を守るために。そしてジン、君がボクをただの娘として見てくれるこの世界を壊させないために、ボクは魔王を倒す」
自己犠牲ではない。ボクは死ぬためにここにいるんじゃない。
ジンの隣で、一人の女性として明日を生きるために、ボクは勇者として勝利を掴むんだ。
「……そうか」
ジンがほんの少しだけ口角を上げた。彼が笑ったのをボクは初めて見た。
「ならば行こう。お前の守りたいものを、俺も共に守り抜く」
「ええ、決着をつけましょう。リィンの幸せを邪魔するヤツは私の魔法で消し炭にしてやるんだから!」
「気を引き締めて行くぞ!」
ユウリナが杖を構え、叔父さんも巨斧を担ぎ直す。
扉がゆっくりと地響きを立てて開く。この先に、世界を絶望に染めようとする魔王がいる。
今のボクには守るべき背中があり、愛してくれる家族がいて、そして、隣で生きると決めた大切な人がいるんだ。
「ジン、魔王を倒したら……、ボクに、君の真意を全部話してもらうからね。逃げても無駄だよ」
「ああ、約束だ」
恋心は、勇者の邪魔なんかじゃない。
ボクを最強にするための、光だ。
魔王の断末魔が静寂に消え、崩落した天井から差し込む朝の光が埃の舞う玉座の間を白く染め上げている。
「終わった……。本当に、終わったんだね……」
ボクは剣を杖代わりにその場に膝をついた。極限まで引き出した勇者としての力の反動で、指一本動かすのも億劫だ。
「リィンー! 無事かー!?」
「リィーン! やったわよ!」
遠くから叔父さんの野太い声とユウリナの弾んだ声が響いてくる。二人は傷だらけの体を引きずりながら、ボクの方へと駆け寄ってきた。
「はっはっは! こんなザマだが最高に晴れやかな気分だぜ! リィンよくやった! お前は世界で一番強い勇者だ!」
「父さん、リィンはヘトヘトなのに頭を乱暴に撫ですぎよ。リィン、本当に、本当にお疲れ様」
涙顔のユウリナがボクの肩を抱き寄せる。「世界なんてどうでもいい、あなたが大事」と言ってくれた彼女の言葉が、最後までボクを支えてくれた。
「……ジン」
ボクはすぐ近くで崩れた瓦礫に背を預けて座り込んでいる彼に声を掛ける。
愛用の手甲は砕け、魔王の猛攻を受け止めていた彼は誰よりもボロボロだ。
「リィン、……無事か」
「うん、ジンこそそんなに傷ついて……」
「約束、だったな。俺の真意が」
ジンは痛む体を押さえながら、どこか晴れやかな、それでいて酷く不器用な笑みを浮かべる。
そしてユウリナや叔父さんが見守る前で、隠すこともなく、ただ真っ直ぐにボクを見つめて掠れた声で言葉を紡いでいく。
「俺がお前の背中を守り続けてきたのは……、お前が笑う世界に、俺もいたかった。……それだけだ」
「……ボクも、ボクもジンと一緒に笑える世界が欲しかった。だから頑張れたんだよ!」
溢れ出す涙を拭いもせずにボクはジンの胸に飛び込んだ。鉄と汗の匂い、そしてドクドクと力強く脈打つ鼓動。
ジンの大きな腕が、震えながらボクを抱きしめ返す。
世界を平和にするまでは、誰かを好きになっちゃいけないって思ってた。勇者に恋はいらないなんて、その呪いはもうどこにもない。
「ジン、世界は平和になったよ。だから……、もうボクを離さないで」
「ああ。一生、俺の拳の届く範囲にいろ」
差し込む朝日の下、ボクたちは重なり合う影の中で、静かに、けれど確かな新しい旅の始まりを誓った。
身内だけの温かな絆に、新しく加わった最愛の人。
ボクの勇者としての物語はここで終わり。
一人の恋する女の子としての人生が今幕を開けた。
【fin】
恋心を捨てた失恋勇者と石の守護者 羽哉えいり @haya-e
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます