サイレントマイノリティ

ホノスズメ

第1話 始まらない出会い

 雨道を行く。しとしと雨の秋雨が冷たい道をゆく。

 手放した傘は、小学生の女の子に渡した。


「はあ、風邪ひくの確定かなあ」


 髪をかき上げ、あきらめてゆっくり歩く。遠見にも海岸線の向こう側まで一望できる坂道は、曇り空でも感嘆させられるほどには息を呑む。嫌いじゃない。

 相合傘をする同校の生徒も、素知らぬ顔して過ぎていくクラスメイトも気にならない。この景色を眺めながら歩くわたしはきっと満足している。

 使い捨ての関係道具にしては過ぎた情感だろうか。

 肩をすくめて顔を下ろした。

 あたりが暗くなり、街明かりがともるようになってからは家から出ない。書き物もある。暇になることはなかった。

 そうしてしばらく、深夜に差し掛かるころ喉が渇いて家を出た。

 どこでもいい。これだとくるものを探して近くの自販機をまわる。雨で、それも十二時を過ぎた時間帯になると人気なんてなくて。だからこそ、あかりに浮かぶ違和感は明瞭だった。

 目を離さず、目的のものを買って立ち尽くす。

 ラッシュガードで電柱横にうずくまるだれかは、放っておけば死ぬだろう。この時節と雨の冷たさを思えば十分あり得る。沈考に雨音はうるさかった。


「自殺願望者か」


 歩み寄ってひざを折る。目深なフードで顔は見えない。肩をゆする。


「もし」


 反応はなかった。感触からして女性なようで、硬直した様子がないことから死んではいないらしい。放っておくか。

 立ち上がってまた考える。

 よっぱらい、というわけではないだろう。ラッシュガードまで着て、外野の隅で寝るような人物。帰る場所がないか、帰りたくないか、あるいは帰れない事情があるか。なんにせよ、身一つで雨に打たれるところ明日明後日で死ぬような家計にはおちいってないのだろう。

 ほっとこう。

 傘を立てかけ、脱いだマフラーで水気をぬぐう。コートをかぶせれば朝までは持つだろうといったところだった。コートもマフラーも、ボロボロでもうすぐ買い替えなければいけないもの。

 惜しいというほどではなかった。

 缶を手に踵をかえす。なにかから逃げられる人間は、往々にして逃げ場をもってるやつだけ。そして逃げた時間と事実がそれほど傷にならないときだけ。

 だからあれは放置していい。

 ホット缶コーヒーをあける。口にして息をつく。


「雨くさいねえ」


 ぐっとすべてあおって帰宅した。

 翌日、めずらしいものに遭遇した。階段上から降ってくるからだ。

 瞬巡のうちにそれを受け止める。もちろん重さに耐えきれず背中から落ちた。


「つつ」

「やばいやばい」


 上から聞こえてくる走る足音。遠のいていくところ、やましいことだ。

 人命優先。

 背中の強打は何度か経験があり、わたしは問題なかった。のっかる肉が起き上がり目が合った。


「え、あの」

「どいてもらえます?」

「は、はい」


 へたり込む女性徒を目に、体のどこかに打撲でものこっていないか触る。

 

「けがはないです?」

「……はい?」

「だから、頭うったり膝を強打しなかったかって聞いてるんですよ。さすがに自分の体くらい自分で外傷を見つけてください」


 わたしはもう調べ終わった。さっさとやってほしい。

 女生徒はいそいそと頭や肩をさわって立ち上がった。


「ない、ですね」

「じゃあお話を。さすがにここまで突発的な事故か事件か知りませんが、被害が起きる可能性があったこと。再発防止につとめなければなりません」

「そんなおおげさな」

「おおげさなんかじゃありません。現にあなたも、打ち所が悪ければ死んでます。人は二三メートルでも後頭部とか、落下地になにかあれば容易に死にます。教えてください。なぜ落ちたんです?」


 女生徒は口ごもり、目をそらした。

 話しにくいのかな。


「言葉にして整理するのもいいと思いますよ。大丈夫です、誤解しても確認しますから」

「どこにいくの?」

「すぐそこは図書室、場所を借ります」


 授業も始まり、司書の先生に事情を話して連絡に行ってもらった。わたしは授業に戻れと言われたが、また人間が上から降ってきても困ると押し通した。

 

「ひどい返り討ちにあった。それだけ」


 自嘲だった。まごうことなくこの子は自分の非を受け入れている。


「報復にあって、その最中、落ちたと?」

「まあ、つかみ合いになったのはあるけど。お互いにそれだけ害意はなかった、と思う」

「あなたには、ですね。なにがあったかなんて興味もありませんけど、とりあえず次はないです。気まずいようならとりもってあげます。またトラブルを起こされても困りますし」


 女生徒は顔を伏せた。

 他人になにを思い、どんな始末を受けて、なにに悩んだところであまり気にならない。これはこの子への応報であり、わたしへの飛び火なのだから。巻き込まれ事故で死にたくはないが。


「きみ、なまえは」

「三原織頼です」

「冷たいのね」

「わたしは親でも友達でもありません。あなたに言葉を割いて、あなたの事情を察して、あなたに都合よくつかわれてはい終わりの善意の協力者です。九割九部は次がないように、原因ごとつぶしておきたいだけですけど」

「エゴイストか」


 否定はしない。きっとなにを言っても無駄だろうし。

 けどあんたに言われたくない。


「はあ、わたし基本使われる人間なんです」

「なんの話?」

「相手が、自分のことを道具として見てるかどうかわかるってことですよ。わたしはそれを関係してるとは呼びませんし。相手の方が、用がなくなれば勝手に離れていくだけです。今回もそれと同じ。あなたはわたしを利用する。ふう、表層しか見ない人間って、利害関係はいいとして、人格評価される筋合いはないんですよね」

「な、なんか気に障ったの?」


 幼稚だ。そういわざるを得ない。

 憂う顔色はいったいなにを憂いているのだろう。自分の利か、あるいはこの慰めのような聴取が途切れることか、あるいは降ってわいた味方の心象をそこなってしまったことか。

 なんにせよ、どちらがエゴイストだ。

 

「いえ、わからないなら一生それでいいのでは? じゃ、ちゃちゃっと起こりから落ちるまでの一部始終を話してください。時間は問いません」


 話をきくと、因果応報なんて言葉を送りたくなった。

 せもたれにかける。


「そーですか。ほんとくだらない話ですね。こんな茶番に付き合わされてたなんて」

「ごめんなさい。でも、あっちだってやり過ぎよ」

「知ってます? 恨みつらみは末代まで。あなたはあちら方の彼氏さんを寝取ったわけですから。それも、周知の上に成り立っていた関係で」


 本質的に害と報復が釣り合うことなどないのだ。与えた側の行為認識と、受けた側の心の損傷は非対称。外様が一方的に評価して裁定できると思いあがる方が傲慢甚だしい。

 この人、相手方へのうっぷんで寝取るまでやってるし。人間関係をアプリか何かだと勘違いしてる人種だな。


「けっこうな屈辱だったでしょうね。ちなみに、あちらさんの恋愛に対する価値観は?」

「知らないけど、初めての交際だからってけっこう入れ込んでたわよ」

「江戸時代なら刺されてますね。よかった、階段から落ちる程度で済んで」


 小さくなっていくのを眺めてため息をつく。

 

「……あの子の彼氏だってちょっと誘っただけで乗ってきたし」

「はあ、話になりませんね。わたしは別に、そんなあなたがたのゴミくずのような動機には興味ないんです。正直、あなたが謝るより、あなたの対人認識を改めた方が百倍マシです。ちっさい人災の種がひとつ減るんですから」

 

 女生徒はいきり立った。

 ついに我慢の限界らしい。


「なんでわたしばっか責められなきゃいけないのよ! あっちだって軽く乗ってきたし! そう、そうよ、あの子に人を見る目がなかっただけでしょ」

「ですね、自分のことも大事にできない人間と付き合う頭を疑いたくなりますが、それがあなたを行為を免責する理由にはなりません。これはあなたの行為が引き起こしたこと。あなたが、疎ましいという理由で、他人の大事にしていた関係を破壊した。これだけです」


 感情的で一方的な破壊を是とするなら、そもそも秩序なんて存在しない。

 この世にはストレスによる破壊衝動をもった猿であふれているということになる。

 肩をつかんで座らせる。まだいい足りない様子だった。


「だって……」

「愚痴でもなんでもわたしに話しにくればいいじゃないですか。いらいらしてるならそれでも、気分が悪くても、悪口を言いたくなっても、わたしは一ミリもあなたに人間としての規範を要求しません」

「え?」

「そういう存在、適度にガス抜きして無害化しておかないと危険じゃないですか」

「人のこと、なんだと思ってるの……!」

「危険生物、自制を知らない細胞的生物でしょうか。まさか人をカタルシスの道具にすることをためらいもしない、そんなあなたが、わたしに嫌悪や糾弾をできると思いますか? 冗談は口だけにしてください」


 ほおずえをついて外を見やる。

 向こうの棟では整頓された配置の生徒と、教鞭をふるう教師の姿があった。知識は教えられても道徳は与えられない。自生するしかないのだとわからないのなら、一生猿のままだ。

 女生徒がふりあげた手をつかむ。


「いいですか? あなたは当たり前の自明すら守れないような猿です。そのうえで他人を害さないという自制を覚えて人になってください。それまでは付き合いますよ」

「人でなし、こっちから願い下げよ」

「そうですか。ならせめて、人災を起こさないでくださいね。ミンチの死体で、花垣の石が崩れても困りますから」


 ふりぬいて腰を下ろす。

 ちょうどいいのかもしれない。いつまでも道具でい続けるより、人に育て、その人に関係したほうが長い付き合いができる。期待はしないでおこう。


「そういえば、あなたの名前聞いてませんでした」

「……藍坂ことね」

「くずにはもったいないいい名前ですね。名に恥じない人間になれるよう頑張ってください」

「あんたの“おりより”だって変ななまえじゃん」


 それはわたしも思う。どんな意図で名付けたのか、当時の親の頭が心配だ。

 手を叩く。

 藍坂は目を丸くした。


「ともかく、形だけでも謝りに行きますよ」

「なんで」


 ぶつくさ言い垂れる様はこどもそのものである。あ、まだ高一ってこどもか。

 多様性とかの時代になって、本来固まるはずの倫理性が形成されないままの人間が増えたからなあ。時代の流れってこんなモンスターキッズを生み出すんだ。うわあ、なんか鳥肌立ってきた。


「相手のためじゃないです。というか不倫が殺人未遂で返されてますし、謝る筋合いもないわけですけど、そこはあなたが不義理をしたという事実に、しっかりと罪悪感を抱き、今後しないと自制できるかです。謝罪なんて頭を垂れて処断をうける覚悟のうえでするものです」


 不条理を与えた。ならば不条理に耐えることを容認しなければならない。

 ゆびを立てて説明していると、中年の先生が入ってきた。


「三原くんは教室に戻って。藍坂さんも、放課後に職員室にくるように」

「わかりました」


 この人の担当、たしか二年の数学だったっけ。相談室も今期はこの人だったはずだし。順当な人選かな。

 横目にしつつその場を離れた。

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