第24話
「あなたの妹さんは、とても美しい」
エリーザベトはレオポルドに同情の目を向ける。
「言い分がめちゃくちゃでも、信じた人もいたのでしょう。そして、あなたはシュヴァルツェン家に伝令に来た」
「なに?」
「……そうです」
マティアスは身を起こして前のめりになり、レオポルドは一回り小さくなったように見えた。
彼は眼鏡ごしにマティアスに目を合わせたが、そこにかつてあった信頼はもうなくなっていた。
「私が若奥様に偽りを伝えました。あなたが記憶喪失になり、ユリアナと結婚することにした、と。気高い若奥様がそれを知ればシュヴァルツェン家から去ってしまうことはわかっていました。けれどどうしても、妹の言う通りにしてやりたかったのです。どんなに馬鹿馬鹿しいとわかっていても」
マティアスの拳がレオポルドの頬にめり込む破裂音が、花火のように馬車に響いた。
エリーザベトは短い悲鳴を上げた。
小さな馬車全体が激しく揺れ、マティアスはレオポルドの胸倉を掴んで壁に押し付ける。
「お前が……! お前が!」
「やめてマティアス、ダメよ!」
エリーザベトは全力で夫の腕に縋りつき、フッフッと興奮したマティアスの息は徐々に静まっていく。
外側から御者の男が壁をコンコン叩いた。
「大丈夫ですか?」
「――ああ。大事無い。下がれ」
レオポルドは口の端から血を流しながら答え、それを合図にマティアスも腕を放す。
「ちくしょう……お前は俺を裏切ったんだ。戦争中から裏切っていたんだ。ともに育った、半身だと思っていたのに」
「申し訳ございません。マティアス様。若様」
レオポルドはひびの入った眼鏡を直しもせず、己の罪を受け入れる強さでもってマティアスを見つめる。
エリーザベトは複雑だった。
レオポルドの行動によってエリーザベトは悲しんだ。
けれど、レオポルドにとってユリアナは唯一の身内だったのだ。
この不平等で残酷な世界の中で、心を開ける相手。
レオポルドは背筋を伸ばし、話を続けた。
もはやそれしか自分がマティアスにしてやれることはないのだと、彼は理解しているのだった。
「三年間、あなたの夫はユリアナのみならず女に指一本も触れませんでした、エリーザベト様」
エリーザベトは顔を赤らめる。
戦場の軍人は皆、夜になれば売春婦の天幕を訪れるのだというのは常識だった。
どんなに凛々しい将校さんだって、若い兵士、国王陛下だって。
マティアスが居心地悪そうに身じろぎする。
エリーザベトはますます彼にぴったりくっついた。
「それがユリアナには我慢ならなかったのでしょう。そして我が妹などとはまったく関係なく、終戦が告げられたとき、マティアス様にはひとつの任務が与えられました。――巷を騒がす新興宗教の団体をご存じですか? 神の教えを好き勝手に解釈して、浮ついた人々を仲間に引き入れるあれです」
怪しいフードの団体に関しては、ルスヴィアにいたときからエリーザベトは目にしている。
だが気にも留めていなかった。
そうした団体は戦争とともにわらわらと世に出てきて、庶民から金を巻き上げるとどこかに消えていく。
ねずみの大群のようなものなのだ。
「あの団体は少し特殊で、というのも教祖を名乗る男が魔法使いくずれなのです。ユリアナはあの団体に所属していました」
「いつから? お前はそんなことにも気づかず妹に肩入れしたのか」
「――はい。おそらく、私に再会する前からです。妹は単なる手駒ではありませんでした。ユリアナは団体の、おそらく上層部にまで食い込んでいた。いくつかの魔道具を与えられ、禁術指定された魔法を習っていました。申し開きは、ありません。できません、私は」
兄としての苦悶がレオポルドの眉間の皺を深くする。
エリーザベトは自分がユリアナの立場だったらを想像した。
親はすでに亡く、落ち着ける家もなく、唯一の肉親である兄とも引き離され……魔法の才能も、美貌も、少女にとっては逆に足枷のようなものだっただろう。
頭のおかしい大人に狙われることもあったかもしれない。
守ってくれる大人もいない状況で、魔法だけに頼って生きてきた美しい少女。
同情は、しない。
できない。
マティアスを譲る気は微塵もないからだ。
だが憐れむことはできた。
きっとユリアナは憐れまれたと知ったら烈火のごとく怒るのだろう。
それでもいつか彼女の魂が、その外見通りに美しい平穏を得ることを願わずにはいられない。
エリーザベトはそっと両手を組む。
「あなたの受けた任務はその団体の調査と追跡でした。早く家に帰りたがるあなたに、司令官はさっさと仕事を終わらせればそれだけ早く家に帰れるのだと告げた。そして私は妹が団体と接触したことをあなたに告げた。――あなたは嫌々ながら、ユリアナを問いただすことにした」
レオポルドは親指で目の周りを揉む。
いささか強すぎるほどの力に見えた。
「団体は用心深く、しっぽを掴ませなかったんです。少なくとも我々の周囲で奴らの片鱗を見ることができたのは、ユリアナの持つ異様な魔道具だけでした。私は兄で、あなたは彼女に言い寄られている男だ。まさかユリアナが我々を攻撃するとは、思わなかった」
マティアスは低い唸り声を上げ、記憶を探るように目を閉じる。
男たちは自己嫌悪と苛立ちでどうにかなりになり、空気が重くなった。
エリーザベトにはその状況が手に取るように分かった。
男性とは往々にして、女性が自分に歯向かうとはまったく考えない生き物だからだ。
きっと二人はユリアナを舐めていた。
魔法使いであり、軍属ですらないユリアナに子供をあやすように接したはずだ。
あの美しい少女が折れ曲がっていたことは気づいていただろう。
だが大したことないと高を括ったのだ。
二人がかりで説得すればユリアナは容易に団体の詳細を話し、魔道具も手放すだろうと。
そしてもちろん、結果はそうならなかった。
レオポルドは続けた。
「ユリアナは俺と話すあなたに後ろから近づき、不意打ちで記憶を操作する魔法をかけた。ずっと前からエリーザベト様ではなくユリアナを愛していたと思い込むように。何もかも忘れさせれば、あの顔です、自分に夢中にさせるのはたやすいと思ったことでしょう」
「だが俺はただ全部を忘れただけだった。あの女の思い通りにはならなかった」
「そうです。目覚めたあなたが自分を愛さないのを見て、ユリアナは狂乱しました。信じられなかったんでしょう。私がその対処に手間取るうちに、あなたは消えてしまった……」
「――妻を探しに行こうとしたんだ」
マティアスははっとしたように全身を強張らせる。
エリーザベトに向き直り、震える指先が彼女の頬をなぞる。
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