第11話
戦争が終わって二週間が経った。
多くの女たちが懸念していた通り、修道院にはドッと人々が押し寄せた。
あまりにも様々な階層、性別、信仰、職業――それはプロスティア王国の縮図のように多種多様な人々だった。
ゆえに揉め事も多くなり、見捨てるわけにもいかないので出費も多くなる。
厳格だが茶目っ気のある禿げ頭にふさふさ眉毛の修道院長は金勘定に目をしょぼしょぼさせ、副院長は若い修道士たちを手足のように使って不忠者が修道院に何もしないよう怒鳴り散らしてけん制する。
中年の修道士たちは暴れる患者を大人しくさせ、修道女たちはそのための鎮静薬を作り、看護と看病に奮闘し、あるいは麺棒や大鍋を担いで修道士の戦いに参戦する。
いずれもたくましい男や女たちだった。
レーレン修道院は丸い城壁に囲まれ、さらに敷地内の二重の壁によって区画が分かれている。
まだ健在な尖塔を有する修道女のための区画は一番奥の一番小さい丸だ。
普段なら修道院に属する者たちだけで気兼ねなく使え、余るほどの広さがあった。
だが今は、女子供の避難民のため半分ほどの面積を明け渡さなければならなかった。
折れた尖塔がある第三の区画が本来なら保護を求める人々のための一番広い場所だったのだが、そこが溢れてしまったのだ。
二つの区画に挟まれた修道士のための半月形の区画が一番殺気立っていて、逆に修道女のための区画は静かだった。
行方不明の夫を探しにやってきた年老いた妻、あるいは息子の母親。
赤ん坊を連れて避難した村の様子がまだわからず、帰れない若妻。
両親が亡くなった女の子の孤児。
……数日前まで顔も名前も知らなかった人々が、互いに寄り添って暮らしていた。
二歳のソフィアは六歳のサラに手を引かれ、そんな女たちを慰めたり、同い年の子供たちと走り回ったりしていた。
ここのところソフィアは不思議なほどに静かで、エリーザベトは心配だった。
熱を出しそうなのに出さないのだ。
子供なりに何かを感じ取っているのかもしれない。
ソフィアに飴玉をくれたり頭を撫でてくれる修道院長が疲弊しているのを見るのはつらく、心優しい修道女たちが傭兵に理不尽に詰め寄られているのを見るのもつらかった。
だがエリーザベトが第三の区画に出向いたところでできることはほとんどない。
彼女が教わった治療の術は主に薬づくりと簡単な怪我や風邪の対処法だけであって、本格的な知識は修道女の誓いを立てなければ学べない。
それに――エリーザベトは自分を大切にしなければならない。
ソフィアのために。
だからエリーザベトはせめて自分の仕事をまっとうすることにした。
毎日の水汲み、修道女たちの部屋の掃除。
ソフィアも花を吟味する目つきが鋭くなったようで、サラと一緒に花瓶に花を飾る手つきも真剣である。
ちなみにお手々はふくふくなので全部ひっくるめてかわいい。
避難民のうち動ける女たちは包帯を作り、薪を拾い、家族を探す女がいれば知っていることをすべて伝えた。
誰もが自分のすべきことを頑張っていた。
実際の戦場とは程遠くても、レーレン修道院にとっては今が激戦だった。
その日、まだ朝もやが引かない時間だったが、エリーザベトは水汲みに出かけた。
ぱっちり目を覚ましたソフィアを連れて。
どうしてだろう、胸がざわざわしていた。
「ママ! お花集め、しゅるの。ソフィアえらい?」
とにっこりする娘は愛らしかった。
みぞおちから溢れそうなほどの愛情が湧いてきて、エリーザベトは小さな身体を抱きすくめた。
「もちろん偉いわ。とっても、たくさん偉いわよ」
きゃあ、と笑ってぱちぱち手を叩く娘がいてくれるなら、彼女はなんだってできるだろう。
泉は凪いで澄んでいた。
雨が降りそうだった。
ソフィアを戻したあと、そう何往復もできないかもしれない。
エリーザベトはソフィアの背中を撫でた。
「それじゃあソフィア、お花を頼んだわよ」
「はあい、はあい!」
母親の手が離れたのを合図に、ソフィアは一目散にだだだっと駆けだしていく。
小さな背中を見送り、まずは水桶から柄杓を取り出す。
次の瞬間、とてててと足音も高らかにソフィアが舞い戻ってきた。
「ママァー!」
急いでいたらしく、エリーザベトの寸前で小石に躓いた。
走ってぽかぽかになった娘を慌てて抱き留める。
「ソフィア、どうしたの!」
「ママ、こっち。こっちよ、ママ!」
娘は夏空色の目を極限まで大きく見開き、舌足らずにエリーザベトの手を引っ張った。
その力の強さは思った以上で、若い母親が困惑しながら立ち上がり、とにかくそのあとに従った。
幼児の困惑の原因は泉の一番奥、岩の間に水が消えていく細い洞穴の前にあった。
人間が入れないほど小さな穴の横に、その人は座り込んでいる。
投げ出された足には革紐で布が縛ってある。
腐臭がした。
血の臭いも。
彼は怪我をしているのだった。
エリーザベトは息を飲み、ソフィアを後ろに押しやった。
怪我人は錯乱している可能性があり、もしそうだったら母子二人では何もできない。
ソフィアに頼んで人を呼びにやることも考えたが、まだ二歳だ。
迷子、怪我、何より焦りのあまり崖から落ちるかもしれないと思えば頼めない。
エリーザベトは用心深く、低い落ち着いた声で男に話しかけた。
「あの、大丈夫ですか。ここがどこだかわかりますか?」
軍帽を被った上に顔の半分を包帯が覆っていて、人相は分からない。何度も爆発の煙の中をくぐったのだろう、軍服は汚れて破れてくたびれていた。服の穴から見える肌にも怪我の跡が見える。無精髭の生えた顎がもぞ、と動き、呻き声が漏れた。
ソフィアがお尻の後ろにぎゅうっと抱き着いてくる。それでも好奇心旺盛に母親の後ろから男を覗き込んでいるのだから、この子ときたら大物だ。
男がゆるゆると億劫そうに首を上げると、その肌は日焼けしても意外に白く、人相も悪くないことが分かった。帽子の下からこぼれるダークブラウンの髪……ダークブラウン?
「あ……」
エリーザベトは世界が回った気がした。だが彼女の頭が回り始めるより先に、男の方が覚醒した。
「あ。あ、あ、あ……」
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