第1話 出会い
「かんぱーい!!」
威勢のいい音頭と共に始まった食事会は、アルベルトが、同僚のエルド・クラインに誘われて参加した会だった。
近頃、部屋にこもりっきりで書類仕事に勤しんでいたが、息抜きが必要だと言われて無理やり連れてこられたのが、この酒場である。普段、あまり来ない店ということもあり、周りに「軍の人間」だという自分たちの身分を知る者はおらず、気楽に酒が飲めると踏んで選んだ店だ。
「さあさあ、アルベルトも飲んで飲んで! 今日は、息抜きなんだからパーっとやろうよ」
にこにこと人好きのする笑みを浮かべながら、仏頂面のアルベルトの肩に腕を回すエルド。錦糸のような美しい金色の髪がさらりと流れるのを横目に、アルベルトは酒の入ったカップをぐいっとあおる。
「お前が飲みたいだけだろ」
「あ、バレてた?」
「いつからの付き合いだと思ってるんだ」
さすがは軍に入った頃からの戦友、といったところか。相変わらず鋭い同僚に、エルドは広い海を思わせる紺碧の目を細めて、ふふと笑みをこぼした。
「だって、王宮にこもりっきりで書類仕事ばっかりやってると退屈でさ〜。外に出て、体でも動かしてないとなまっちゃうし」
「軍隊長が仕事をしてくれないと、部下から相談を受けたところだが?」
ギロリと睨まれたエルドは、「ん?なんの話かな?」だなんて笑って誤魔化している。一方のアルベルトは深いため息をついて、カップに口をつけた。その時だった──。
「ごめんください〜」
酒場に響いた明るい声に、アルベルトはチラリと入り口に目をやった。
そこに見えたのは、大きな花束。花に埋もれて、持ち主の顔までは見えなかったが、スカートを履いているところから女だということはわかる。店主とのやり取りを聞くに、どうやら彼女は花の配達のため店に来たらしい。
アルベルトは酒を片手に、騒がしい店内とは異なる雰囲気を放っていた花束の主の動きをなんとなく目で追っていた。
すると、顔を赤らめてニヤニヤと笑う酔っ払いが、花束の主の足元に自分の足をスッと出すのが見えた。足元が見えないであろう彼女が、その後どんな目に遭うか、瞬時に判断したアルベルトの行動はとても早かった。
「きゃっ……!」
ぐらりとバランスを崩す体に急いで駆け寄る。ぐっと手元に落ちてきた重みを、しっかりと抱き止めたアルベルトは、「大丈夫か?」と花束の持ち主に声をかけた。周りもアルベルトの行動に気づいて、なんだなんだと騒ぎ出す。
「は、はい! ありがとうございました!」
声は聞こえてきたが、まだ花束が邪魔で顔は見えない。とはいえ、彼女の身の安全が守られたことにアルベルトは、ほっと息をついた。
「んだよ、つまんねーな! せっかくチラッと見えるかと期待したのに」
と、そこに聞こえてきた酔っぱらいの声。アルベルトは彼女を離すと、「おい」と、つるりと光る後頭部へ呼びかけた。
「他の人間に危害を加えるほど酔っているなら、もう帰ったらどうだ」
背筋が凍るような、怒気を孕んだ低い声。だが、アルベルトの言葉が癇に障ったのか、男はぐるりと振り向くと「ああん?」と語気を強めて詰め寄ってきた。
「なんだよ!せっかく人が気持ちよく飲んでんのに、水差すんじゃねぇよ!」
ワイワイ、ガヤガヤと盛り上がっていた酒場の空気が途端に悪くなる。店内の視線が二人に注がれ、「そうだ、そうだ!」という野次まで飛んできた。エルドは慌ててアルベルトの肩を抑えると、「一般市民に手は出すなよ」と同僚を諌める。
「……わかっている」
エルドにそう返すと、アルベルトはくるりと男に背を向けて自分のテーブルに戻ろうとした。だが、酔っ払いはまだ絡み足りないのか、「おい、アンタ」とアルベルトの背中に呼びかけた。
「アンタのせいで、服が酒で汚れちまったんだが?」
男の言葉にチラリと後ろを向いたアルベルト。目が合った男は、ニヤニヤと笑いを浮かべながら「弁償してもらおうか」と、アルベルトに言い放つ。あからさまな挑発に、アルベルトの眉間のシワがさらに深まった。
「あ、あの!」
と、そのとき、女の声が店内に響いた。先ほど、アルベルトが助けた花束を持った女性である。
「私の不注意ですから。弁償が必要なら、私が……!」
女の言葉に、酔っ払い男は「そりゃ、名案だ」と、今度は下衆な笑いを浮かべて女の頭からつま先までを舐めるように見つめる。鼻の下まで伸びており、その顔を見れば男の魂胆など丸わかり。
「だったら、一晩付き合ってもらおうか」
と、酔っ払いの手が女の体に伸びようとしたその瞬間──。
「イタタタタタッ!!!」
男の手をアルベルトが捻り上げ、女から遠ざけた。「アルベルト!」と隣からエルドに呼び止められたが、男を捻り上げる手が弱められることはなかった。
「何すんだ!この野郎!!」
「自分から酒を被っておいて、何が弁償だ。……俺が見ていなかったとでも?」
アルベルトの威圧的な視線に、思わずびくりと体を震わせる酔っ払い。
「やるなら相手になってやるぞ」
どすのきいた声に、酔っ払いはさらに体を縮み上がらせた。二人のやり取りに野次を飛ばしていた周りの客たちも、ごくりと息を飲んで二人を見つめている。
「おい、もしかして、あの人軍の『鬼の軍隊長』って言われてる、アルベルト隊長じゃないか?」
「戦で負けなしの、あの軍隊長か⁈」
「おいおい、そんな人相手に絡んで大丈夫か」
ガヤガヤと周りが騒ぐ中、周囲から聞こえてきた噂話。「鬼の軍隊長」といえば、冷酷無比、残虐非道の人物だと市民の間でも噂になっている人間だ。酔っ払いは、絡んだ相手がその「軍隊長」だと分かり、「す、すみませんでした!!」と慌てて態度を一変させた。
怯えるような視線があちこちから刺さるのを肌で感じたアルベルトは、小さくため息をついた。このような視線を向けられることには慣れている、が。
「……先に帰る」
アルベルトはエルドにそう告げると、店の出口を目指した。とっさにエルドが「はいはい、これにて終了〜!」とわざと明るい口調をあげると、周りはホッとしたようで、またワイワイ、ガヤガヤとした店の空気が戻ってきた。
「おい、店主」
店を出る前に、入り口にいた店主を呼び止める。店主までビクビクと体を震わせていたが、アルベルトは気にせずに、台の上に手を置いた。店主が不思議に思って手元を見ると、そこには大量の金貨。
「店の空気を悪くした詫びだ。ほかの客の支払いも、これでしておいてくれ」
「そ、そんな……!お客さん、こんなにたくさん……っ!」
呼び止めようとした店主の言葉にも振り返らずに、そのままアルベルトは店を出た。店の前は飲み屋が立ち並ぶ賑やかな通りで、あちこちで酔っ払いたちが楽しそうに歌っている。
やはり帰って書類仕事でも片付けよう、と思ったアルベルトは、王宮の方へと足を向けた。そのとき、「待ってください!」と澄んだ声が聞こえてきた。アルベルトが振り返ると、そこには赤い髪の女がいた。
「さっきは、助けてくださってありがとうございました!」
どうやら大きな花束を抱えていたのは彼女だったらしい。垂れ目がちな大きい瞳は、アルベルトのことを真っ直ぐ見つめている。彼女を助けたのは事実だが、エルドなら場の空気を悪くさせずに、もう少し上手くやっていただろうなと、ふと思った。
「……別に構わん」
アルベルトはそれだけ言うと、女に背を向けてその場から立ち去ろうとした。けれど、「待ってください!」と今度は手を掴まれて引き止められる。
「服が濡れていますわ」
女はそう言うと、腰のポーチからハンカチを取り出して何かを液体を染み込ませると、アルベルトの服をポンポンと優しく叩く。どうやら先ほど、男が持っていたぶどう酒が服にかかってしまっていたようだ。
「ぶどう酒は、早くお洗濯しないとシミになりますから。これで少しはマシになると思いますけど……」
思いがけない女の行動に、アルベルトは驚いていた。彼女も先ほどの話を聞いていただろうに。「鬼の軍隊長」と周りからも恐れられている自分に、こんなことをする女がいたとは。
「……俺が、怖くないのか」
ぽつりと、無意識のうちに呟いた言葉に、赤髪の女がそっと顔を上げた。目と目が合う。垂れ目がちの瞳には、穏やかな優しさが宿っていた。
「怖いだなんて思いませんよ」
にこりと微笑む彼女。
「あなたは、さっき私を助けてくださった、優しいお方です。怖いだなんて、思うわけありませんわ」
朗らかな笑みを向けられたアルベルトは、思わず顔を横に向けた。
服の応急処置が終わったのか、女はぶどう酒で紫色になったハンカチを畳みながら「はい、できました」と、アルベルトの服をポンと優しく叩いた。その場所を見てみると、なるほど先ほどよりもシミが薄くなっている。
「本当に、今日はありがとうございました」
彼女は再び礼を言うと、呆然とするアルベルトに向き直った。「お洗濯はお早めにしてくださいね」と継いだ彼女は、「では、私はこれで」と頭を下げて背を向ける。
そのとき、アルベルトが「待ってくれ」と咄嗟に彼女を呼び止めたのは、おそらく無意識のことだった。
振り向いた彼女は、不思議そうに首を傾げていた。
「名は何という」
思いがけない質問に目をぱちくりとさせていた彼女だったが、それからすぐに顔を綻ばせると「メリアです」と返す。
「サンクロッカス通りで花屋を営んでいる、メリア・ヴィーランドと申します」
その微笑みから、アルベルトは目が離せなかった。
「お花が必要なときは、ぜひお店へいらしてください。今日のお礼に、サービスさせてもらいます」
にこりと微笑んだ彼女は、今度こそアルベルトに背を向けてその場を去っていった。その背中を、しばらく見つめていたアルベルト。
「かわいかったね、あの子」
と、そこに聞き慣れた同僚の声が聞こえてきた。隣を見れば、エルドがニコニコと楽しそうな顔でアルベルトを見つめている。
「……何の話だ」
「またまた〜! 見惚れてたくせに」
茶化すエルドに、「見惚れてなどいない」と返すアルベルト。だが、彼女の背が見えなくなるまでずっと見つめている姿に、勘のいい同僚は「ふ〜ん」と、意味深な笑みをこぼしたのだった。
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