私はずっと思っていました。
『ざまぁ』が何故これほどまでに市民権を得て、Web小説の主流のごとく振る舞っているのだろうかと。
いや、弱者が成り上がっていくのは、読んでいて心地いいですよ。誰かのポジティブな成功譚ですから。わらじ売りの青年、劉備玄徳が蜀のトップに立って繰り広げる物語は古典ですが未だに絶大な人気があります。こういう系統の『ざまぁ』は昔からあるわけです。
でも、誰かが堕ちていくのを楽しむ、誰かのネガティブを喜ぶ系統の『ざまぁ』って、少なくともノーブルではない気がします。
物語を読むという行為は、ひととき己の魂を物語に埋没させるという行為です。
私はネガティブな『ざまぁ』を読むと「確かにコレはサッカリンのように甘いが、どうにも口が曲がる」と思わざるを得ません。
この作品は、まともな高校生が、まともな感性を持ち、まともな人生を歩みます。地に足がついています。
ここには穏やかな静寂があり、まともな理性があります。主人公を振った五十嵐さんを貶める描写もありません。
この物語は、私に『まとも』を示唆してくれました。お陰で私の『まとも』な感性を、ちょっと整理整頓できました。お勧めします。
優しい幼馴染を捨て、ガツガツとしたイケメンに靡いた女。
捨てられた男である湊は、自分の状況を理解しながらもその後の元カノの動向を追いかける。
「お約束」なんてあるだろうか。いや、真面目な話。
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あなたは学校生活を真面目に送ってきただろうか。
校則破ったとか、宿題をサボったとか、嘘ついたとか、誰かに迷惑をかけたとか。実際のところ相当数が破っているはずだ。担任が黙認するほどに。
さて……だからと言って、あなたはその罪を今も悔やんでいるだろうか。
あるいは、破りまくった誰かに「天罰」は降りかかったか。
ゼロとは言わない。でも、期待には到底及ばないはずだ。
この話はそういうことを説いてるのだと思う。
物語はタイトルが示す通り、期待通りには進んではくれない。
理不尽に振ろうが、彼女は気丈に自分の人生を生きるのだ。
さて、未練がましいのはどちらか。