第2話 闇魔法の力

第2話 闇魔法の力


「ご滞在中は、リュクノール侯爵令嬢は離宮をお使いください」


そう言いながら、執事のクロードはノクス家の離宮を案内してくれた。

滞在中のお部屋は、リュクノール邸の自室よりも広かった。

しかも、置かれた調度類はどれも歴史を感じさせるものばかりで、ノクス家の歴史の深さと品の良さを改めて感じる。

クロードが退室すると、エマは被っていたフードを脱いだ。

気味悪がられると思い、市井に出るときは極力この髪は見せない工夫をしていた。

本当はこの瞳も、隠せるものなら全て隠してしまいたい。


「エマ、一体どうするつもりなんだ」


レイヤードがいつもの調子で言った。

アカデミーを卒業したばかりのレイヤードはエマの護衛騎士としてこの旅に同行してくれた。

レイヤードはリュクノール領に近接した土地に領地を構える伯爵家の次男だ。

エマにとってレイヤードは、護衛というよりも幼馴染。

いや、弟のエドワードと共に三人で遊んでいたこともあり、もはや家族的な感覚だ。

レイヤードもそのつもりなのだろう。

ノクス家に滞在して結婚の話を進めることになったとき、護衛騎士に立候補してくれた。

少人数での移動ではあったが、侍女のナタリーやレイヤードと、気の置けない二人がいるのは、エマにとっては心強いものだった。


「どうするって…もう、話すしかないとは思っているわ」


診療所で闇魔法を使った時点で、ヴィクトールに話すことは覚悟していた。このことを、ずっと隠しきれるとは思っていない。


「信用できるのかよ、あのノクス卿は。まだ婚約して1カ月だろ。結婚準備にこんなところまで呼び出して」

「レイヤード、そんな風に言わないで」

「レイヤード様は、お嬢様がノクス卿に取られるのがお嫌なんですよね」


ふふふと、ナタリーは私たちのやり取りに水を差した。


「なっ…そんなんじゃない」

「そうよ、ナタリー。レイヤードは心配性なの」


だから、こうやって遠路はるばる着いて来てくれたのだ。

レイヤードなら、私の護衛などやらなくても引く手あまただっただろうに。


「そうでしたか。それは失礼致しました。レイヤード様」


レイヤードは、ナタリーにチラリと冷たい視線を向けられた。


「いつまでお部屋にいらっしゃるおつもりですか? お嬢様のご準備ができません」


ナタリーにぴしゃりと言われたレイヤードは、慌てた様子で部屋を後にした。

ナタリーは旅装を解くと、コルセットを締め持参したドレスを着用させてくれた。


「コルセットって、やっぱり苦手なのよね…」


社交嫌いの私は、滅多にコルセットを締めるような服は着ない。


「そんなことは言っていられませんよ。お嬢様。

ノクス卿とご結婚となりましたら、社交の場に出る機会も増えるでしょうから」


その未来は想像するとズンと心が重くなるものだった。

貴族同士の婚約関係は長年結ばれるものが多いが、ヴィクトールとエマのそれは、短期間で決められた。

いわゆる王命というもので結ばれ、断ることなどお互いにできようもない。

急に誂えられた婚約のために、こうして結婚前の相談にエマが辺境ノクス領を訪れることになった。

氷の貴公子と名高いヴィクトールとの婚約が決まってからは、貴族の子女として生まれた責務を果たすべきときと自分の気持ちを奮い立たせた。

しかし、時が経てば経つほど、ヴィクトールとの婚約が白紙に戻らないかと思うようになった。

ヴィクトールが嫌だったわけではない。むしろ、逆だ。

婚約が決まって初めての対面のとき、「良きパートナーとしてやっていこう」とヴィクトールは私に右手を差し出してくれた。

その仕草はロマンチックではないけれど好ましい態度で、本当に素敵な相手だった。

でも、婚約の挨拶でヴィクトールがリュクノール家のタウンハウスに訪れたとき、気が付いてしまったのだ。

彼が、妹・ケイティに抱いている感情に。

彼のアイスブルーの瞳が、ケイティに会って静かに熱を持つのを、私は彼の傍らに座りながら確かに感じてしまった。

そのことに気付いてからは、ヴィクトールに申し訳なく思う気持ちが強くなった。

私の社交嫌いの理由の一つは、これだ。

私は他人の気持ちに敏感だった。普通は気付かない、見過ごすようなことに、何故か気付いてしまう。

それも、闇属性の影響なのか。ネガティブになるものばかり。

ヴィクトールの秘密の思いに気が付いてからは、彼と接するのが酷く荷が重いものになった。

エマは子どもの頃から妹と比較され続けていた。

使える魔法、髪色、瞳の色、性格。全てがケイティに軍配が上がり、エマは勝負にもならなかった。


「お嬢様の瞳の色には、アメジストが本当によくお似合いです」


婚約のときにヴィクトールが贈ってくれたアメジストのネックレスをつけながら、ナタリーが感嘆の声を上げた。

ナタリーは、少し気が強いものの、明るく、教養があり、礼儀正しい。

ナタリーが不吉といわれるこの瞳の色を揶揄しているわけではないと分かっている。

でも、正直にいうと、このアメジストを見るのは少し苦しい。

ヴィクトールがくれたネックレスは、本当に美しい。

王都で流行りのデザイナーのもので市中の女性の憧れだと、屋敷の侍女たちが教えてくれた。

流行りに疎い私だが、ヴィクトールのそうした気遣いには密かに胸が踊った。

彼は婚約のときに私に言ったように、良きパートナーであろうとしてくれている。

それに引き換え、自分はどうか。ナタリーが精一杯着飾らせてくれた姿を見ても、滑稽に思えてしまう。

どんなに着飾っても、彼の思い人とは……。

比べてはいけないと頭では思いながらも、長年の癖が消えない。

思わず下を向きたくなる。ああ、こんな気持ちでヴィクトールと話したくない。


「リュクノール侯爵令嬢、ヴィクトール様が応接でお待ちです」


クロードがエマにとって残酷な事実を、にこやかに伝えた。


◇◇◇


「それで…。君はどうして診療所に行ったんだ」


私は紅茶のカップを手にしながら、ヴィクトールと向き合った。

私の後ろにはレイヤードが、扉の付近にはクロードが起立している。

気まずさを埋めるように、用意された紅茶に口をつけるものの、味も香りも全く感じていなかった。

辺境伯家で出されるものだ。一級品であることに違いない。しかし、それを味わう余裕はエマにはなかった。


「その…、ノクス卿達の討伐隊が深刻な状態だと伺いまして…」


屋敷に到着したタイミングで、使用人同士の話を聞いてしまい、居ても立っても居られずレイヤードとナタリーを引き連れて向かってしまったのだった。

このノクス領は、ルーク王国のはるか辺境に位置する。

ここは魔物の出現率が圧倒的に高い。瘴気に侵されやすい上に、王都から離れているために医療水準も高くはない。

距離のこともあって、王都からの支援も遅れがちだ。

討伐隊が酷いダメージを受けるのは、この領地にとっては死活問題だということはエマも心得ていた。

ノクス領は最近頻発する魔物の討伐に明け暮れているとは聞いていたが、今回の被害は相当なものと話していたのだ。

不安でならなかった。


「何か少しでもお役に立てることは…と。私が御者に無理を言ったのです」

「別に御者を罰するつもりじゃない」


ヴィクトールは怯えるエマに、努めて穏やかな口調で告げた。


「それで…役に立つということだが、改めて聞くが君は本当に聖女ではないのか?」

「違います」

「しかし、あの騎士は老医師が言うように再起不能とまで言われていた」


やはり、黙ってやり過ごすことは出来なさそうだった。

あの力を使ったときに、ヴィクトールに告白する覚悟は出来ていた。仕方がないと観念したようにエマは重い口を開いた。


「…闇、魔法です」

「闇魔法?」


私は小さく肯首した。


「しかし、闇魔法というと…」


世間一般では回復力があるとは思われていない。

その名から想像する通り、精神攻撃や存在の消滅、そんなものが一般のイメージだ。

そもそも、闇魔法は持っている人が少ない上に持っていてもエマのように隠していることが多い。

だから、実際にどのような力があるのか明かされていない部分も多い。


「私の祖父も闇魔法の使い手で、子どもの頃から調薬も、魔法の扱い方も、祖父から教わりました」

「君の祖父というと、伝説の薬師と名高い、先代のトレラー侯爵か。彼も闇属性だったのか」

「はい。祖父は私に闇魔法の正しい使い方を教授してくれました。

瘴気や病の中和の仕方、そして、その後、身体を再生させるための薬の調合に、使い方」

「そうだったのか」

「はい。ですから、聖女とは言えません」


ルーク王国では光魔法を操るものこそが聖女と呼ばれ、聖女は一世代に一人と言われる。少なくとも私はそう学んだ。

ヴィクトールは私の発言に、何かを考えるように口元に手をやった。


「ご期待に応えられず、申し訳ありません」

「……いや、エメリン。そんなことはない」

「でも、ノクス卿」

「エメリン」


ヴィクトールは私の言葉を強い口調で制した。


「私はこの件以外にも君と話したいことがあるんだ」


まだ、あるのか。私はヴィクトールの視線から逃れたい思いだった。

アイスブルーの瞳、通った鼻筋、少し薄いが形の良い唇、エマとは違ってハリのありそうな濃紺の髪。

ヴィクトールは、すべてが完璧に整っていた。


「何でしょうか、ノクス卿」


ヴィクトールは紅茶のカップに口をつけた。


「それだよ」

「はい」

「私は君に、ヴィクトールと呼ぶよう、言ったはずだが」


ヴィクトールは不機嫌そうに眉根を寄せた。


「あ……」


忘れていたわけではない。

王都でお会いした際に、ヴィクトールが名前で呼び合おうと提案してくれた。

でも、私はヴィクトールを名で呼ぶことが出来ずにいた。なんとなく、恐縮してしまって。


「申し訳ごさいません。ノ…ヴィクトール様」


ノクス卿と言いかけた瞬間、ヴィクトールの凍てついた瞳に射抜かれた。


「宜しい。その調子で頼むよ。エメリン」


ヴィクトールの口角が微かに上がった。それだけで、エマは彼に釘付けになっていた。

そして、そんな二人のやりとりを、クロードは微笑ましく、レイヤードは忌々しく見守っていたのだった。

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