婚約破棄された悪役令嬢(中身は元傭兵)が、隣国の戦王に溺愛されるまで

kuni

第1話

 シャンデリアの光が、これでもかとばかりに降り注ぐ王立学院の卒業記念パーティー。

 バイオリンの優雅な旋律を切り裂いたのは、怒声だった。


「――シエナ・オルブライト公爵令嬢! 貴様との婚約を、今この場を以て破棄する!」


 会場の中心。

 この国の第一王子、ライナルト・フォン・レガートが指を突きつけて叫んでいた。その傍らには、か弱げに震える男爵令嬢の姿がある。


 周囲の貴族たちがざわめき、視線が私――シエナへと集中した。

 侮蔑、哀れみ、そして期待。

 高慢ちきな公爵令嬢が、婚約破棄を突きつけられて泣き崩れる。その無様な姿を誰もが望んでいた。


 だが、彼らは知らない。

 糾弾されているシエナの内側で、今、何が起きているかを。


(……ああ。やっとだ。やっとこの日が来た)


 私の脳内に、濁流のような「記憶」が完全に同期し、定着した。

 そうだ。私の前世は、この大陸を震え上がらせた傭兵団『紅の牙』の団長、シエナだ。

 血生臭い戦場を駆け抜け、ただの一兵卒から「戦場の死神」とまで呼ばれるようになった最強の女。


 そんな私が、あろうことか魔法もろくに扱えない平和な時代の公爵令嬢に転生した。

 この十八年間、窮屈なコルセットを締め上げ、微笑みひとつ、歩幅ひとつにまで神経を使う「淑女」を演じ続けてきた。

 正直、死ぬほど退屈だった。


(ライナルト、よく言った。お前、今日だけは最高にかっこいいぞ)


 私は俯き、震えた。

 絶望からではない。込み上げる「笑い」をこらえるためだ。


「シエナ! 黙っているということは罪を認めるのだな!? ミレーヌを階段から突き落とし、数々の嫌がらせを働いた卑劣な悪女め。本来ならば即刻投獄だが、慈悲深いミレーヌの願いにより、国外追放で済ませてやる。さあ、今すぐ跪いて彼女に謝罪しろ!」


 ライナルトは得意げに胸を張る。

 隣の男爵令嬢――ミレーヌは、勝ち誇ったような瞳をチラリと私に向けた。


 なるほど。冤罪のデパートだな。

 だが、今の私にとって、そんなことは路傍の石ころよりも価値がない。


「……婚約、破棄」


 私は静かに声を漏らした。


「そうだ! 今さら後悔しても遅い! さあ、衛兵! この不届き者を拘束しろ!」


 王太子の合図で、周囲を取り囲んでいた騎士候補生たちが一斉に動き出した。

 いずれも名門の次男坊や三男坊。実力よりも家柄で選ばれた、磨いただけの観賞用剣士たちだ。


 四人の青年が私を囲み、その腕を掴もうと手を伸ばす。


 その瞬間。

 私の世界は、静止画のように止まった。


(――遅い。止まって見える)


 前世で培った「戦場の嗅覚」が、強制的に肉体を再定義する。

 淑女の皮を被っていた私の細胞が、一斉に戦士へと作り変えられていく。


「なっ……!?」


 最初に手を伸ばした青年の手首を、私は最小限の動きで、令嬢の優雅な所作を維持したまま払い退けた。

 ただ払ったのではない。関節の急所を的確に叩いた。


 パキィッ、という乾いた音が響く。


「ぎ、あああああ!?」


 青年が悲鳴を上げて崩れ落ちる。

 残りの三人が動揺した。その隙は、傭兵にとっては永遠にも等しい時間だ。


 私は回った。

 シルクのドレスが大きく翻る。

 二人の鳩尾に、肘と掌底を同時に叩き込み、最後の一人の膝を容赦なく踏み抜く。


 時間にして二秒。

 床には、のたうつ騎士候補生たちが転がっていた。


「……何、だと?」


 ライナルトの顔から余裕が消える。

 会場を包んでいた嘲笑が、凍りついたような静寂に変わった。


 私はゆっくりと顔を上げた。

 これまでは、令嬢として慈愛に満ちた(ふりをした)笑みを浮かべていたが、今の私の瞳は「死神」のそれだ。


「おい、ライナルト」


 私は初めて、婚約者の名を呼び捨てにした。

 甘ったるい淑女の言葉遣いはもう、いらない。


「き、貴様、何を……その口の利き方は――」


「うるさい。長話をする気はないんだ」


 私は右足を軽く持ち上げた。

 豪勢な刺繍が施されたドレスの裾を、両手で豪快に掴む。


 ――ビリッ!!


 けたたましい音を立てて、腰下までの布地を引き裂いた。

 周囲から悲鳴が上がる。貴族の女性が肌を晒すなど、この国では前代未聞の醜聞だ。


 だが、露出した私の太ももには、ガーターベルトならぬ、皮製の武器ホルダーが巻かれていた。

 そこに収まっているのは、公爵家の宝物庫から密かに「拝借」しておいた、一振りの漆黒のナイフ。


 私はそれを抜き放ち、くるりと回して逆手に持った。


「淑女(おんな)のフリは、今日で終わりだ。正直、肩が凝って仕方なかったんだよ」


「ひっ、暗殺者か!? 衛兵! 衛兵を呼べ!」


 ライナルトは腰を抜かし、尻餅をついた。

 隣のミレーヌも、私と目が合った瞬間に失禁しそうなほど顔を青ざめさせている。


「国外追放、大いに結構。辞表を出そうと思ってたところに解雇通知だ。手間が省けた」


 私はナイフを顎に当て、不敵に笑う。


「この国の王太子の座も、婚約者の座も、全部その女にくれてやる。私に構うな。もし追撃を送るつもりなら、相応の覚悟をしておくことだ。……次に会うときは、貴様の首を物理的に飛ばしてやるからな」


 私はそのまま、踵を返した。

 正面玄関には、慌てて駆けつけようとする本物の近衛兵たちの姿が見える。


 なら、出口はそこじゃない。


 私は背後にある巨大なステンドグラスの窓へと走り出した。


「待て! 逃がすな! 逃がすなと言っているだろう!」


 背後でライナルトの情けない叫びが響く。


 私は全力で跳躍した。

 重いドレスはもう、半分しかない。

 前世の感覚が戻った私の身体は、羽が生えたように軽い。


「さらば、退屈な箱庭(にわ)!」


 ――ガシャアァァァァァァァン!!


 ステンドグラスを粉砕し、私は夜の闇へと躍り出た。

 ここは三階。普通なら骨折は免れない。

 だが、私は空中で身体を捻り、建物の突起を足がかりにして衝撃を殺す。


 着地。

 立ち上がった私の目の前には、どこまでも続く夜の街と、その先に広がる自由な荒野があった。


 背後の会場からは、まだ混乱の怒号が聞こえてくる。

 だが、私の耳にはもう届かない。


「さて」


 私はナイフを鞘に収め、乱れた髪を掻き上げた。


「まずは美味い酒と、振るい甲斐のある剣を探すとしようか」


 元傭兵団長シエナ。

 第二の人生の本番は、ここからだ。


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