第21話 正常という言葉が、消える
違和感は、最初からあった。
ただ、それは「よくある誤差」として処理されていた。
戦場では、想定外の数値はいくらでも出る。
人は追い込まれれば、信じられない回復を見せることもある。
――だから、最初は誰も騒がなかった。
医療テントの奥、簡易分析室。
壁一面に並んだモニターには、幼馴染のバイタルデータが時系列で表示されている。
心拍、血圧、酸素飽和度、神経反応、筋出力補正値。
どれも、
少しずつ、だが確実に上向いていた。
「……もう一度確認してくれ」
分析担当の一人が言った。
「開始時点から、今までの回復曲線を」
別のスタッフが、無言で操作する。
グラフが重ねられる。
過去の重症外傷例。
今回のデータ。
重ならない。
どれだけ縮尺をいじっても、
傾きが違う。
「……おかしいな」
医師が、低く呟いた。
「鎮痛剤の効果が切れてきている時間帯のはずだ」
「普通なら、
ここで数値は一度落ちる」
「でも」
分析担当が続ける。
「落ちていません」
沈黙。
医師は、椅子に深く座り直した。
戦場医療に長く携わってきた人間だ。
奇跡に近い回復も、何度も見てきている。
それでも――
このデータは、違った。
「……自然治癒速度を計算し直せ」
「既に三回やりました」
分析担当が答える。
「全部、
理論上の上限を超えています」
医師は、ゆっくりと息を吐いた。
「能力補正は?」
「身体能力強化系としての補正は、
筋力・反射・持久力にしか掛かっていないはずです」
「回復は、
付随効果として説明できる範囲を超えています」
画面が切り替わる。
神経圧迫の回復予測。
出血部位の修復速度。
炎症反応の収束。
どれも、
人間の身体が選ぶ順序じゃない。
「……順番が、逆だな」
医師が言った。
「はい」
分析担当が頷く。
「通常は、
生命維持に不要な部位は後回しになります」
「ですがこのデータでは――」
「運動系を優先して修復している」
その一言で、
部屋の空気が変わった。
「……前線復帰を想定した身体構築?」
誰かが、半ば冗談のように言う。
「冗談じゃありません」
分析担当は、即座に否定した。
「回復の方向性が、“戦うため”に最適化されています」
医師は、
モニターから目を離した。
「……能力が、
勝手に判断している」
「本人の意思とは関係なく?」
「ええ」
「回復するかどうか、じゃない」
医師は、
言葉を選ぶ。
「どう回復するかを、能力が決めている」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
戦場で最も信用されているものは、
「再現性」だ。
奇跡は信用されない。
だが、
再現する異常は、脅威になる。
「……このまま回復が進んだ場合」
分析担当が、
静かに続ける。
「後遺症は、
消える可能性があります」
「代償は?」
医師が問う。
「分かりません」
正直な答え。
「ただ」
「回復が進むほど、
消耗量も比例して増えています」
「このペースが続けば――」
言葉が、
途切れる。
「……持たないか」
医師が、
結論を引き取った。
「はい」
しばらく、
誰も話さなかった。
医師は、
ゆっくり立ち上がる。
「記録を残せ」
「正式に、
異常回復事例として登録する」
「名称は?」
分析担当が聞く。
医師は、
一瞬だけ考えた。
「……能力誘導型自然治癒」
「制御不能、と付け加えてくれ」
それは、
宣告だった。
その頃。
医療テントの別室で、
幼馴染は眠っていた。
身体は、
確かに治り始めている。
だが、
正常からは、確実に外れている。
そして。
この事実は、
遅かれ早かれ――
前線に、伝わる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます