「隣人は、普通すぎた」
「三年目の今じゃこのありさまだ。近所じゃ『心霊マンション』呼ばわりされて、敷地内まで酔って入り込んでくるバカな若造まで出てくる始末だよ、冗談じゃねえ。そうやって管理人として気を張ってたんだけどなぁ、この通りで最近じゃ、少し妻が気を病んできていてな……」
「そう、最近はお薬なしじゃあ眠れないのよ、なんだかこの二年間くらいずっとなのかしら。それでもたまに、凄くこわい夢を見て目が覚めたりしてね。それが何だか、水音なのかしら。いえ違うわね……」
「水の音、ですか?」
「あッ──いやァやめてェ! もう思い出したくないのよォ……それは」
伯母はなかば叫ぶようで、顔面は蒼白、唇は震えている。
「……いまの住人への聞き込みは?」
梨沙の父、剛がようやく重い口を開く。
「もちろんやった。だが全員が一様に口を閉ざすばかりでな、ただ403号室の洋平くんはずっと変わってないな。本当に503号室には誰も住んでないんですか、って病的なほどに同じ質問をするだけで。ただ今年度に入ってからは、あまりそういうことは聞いてこなくなった──理由は分からんがね」
部屋には重い沈黙が落ちる。こんな話を聞かされて梨沙たち家族は一様に困惑していた。
「もちろん家賃なんか要らないし、何なら光熱費と食費もこちらで払う。少しの間──そう、二ヶ月くらいでも構わないから、うちのマンションに住んでみて検証してくれないか?」
今の伯父の言葉は誰に向けられたものだろう。
主に梨沙と剛に対してなのだろうが、梨沙はおそらく自分に向けての言葉なのだろうと思う。
「いまの住人で何かある、知っているとしたら、それは『403号室の彼』だろう。はっきりと『無人の五階』を気にしていたのも彼だけだからな。ちょうど梨沙ちゃんと同じ大学だし年齢も同じくらいのはずだから。405号室、つまり隣の部屋に住んでみて様子を探ってみてほしい。管理人は私たちだから何かあったらすぐに駆けつけるし、いつでも連絡がつくようにどちらかは管理人室に常駐するようにするからさ、頼むよ」
そこで剛が腰を上げた。
「おい正気か、
「だからなぁ。その間は君にも住んでみてもらって、二人の目から見てそこに何があるのか、あるいは何もないのか、を探って欲しいんだよ。君には303号室──つまり問題の『403号室からの騒音』だので出て行った夫婦の部屋を使って欲しい。本当に403号室の彼の生活騒音だとハッキリしたなら、ここの管理人として注意しないといけないし……」
梨沙は思った。
何だかんだ言ってもこの人たちはかなりの資産家一族だ──たまたま妙な物件を掴まされたというだけであって、元はとても裕福で余裕のある人たちだった。
少し暗くなったように見えたのは確かだが、その問題さえ解決すれば元の姿を取り戻すだろう。
だけど、問題というのは本当にそれだけなのだろうか。
このマンションのこと、それだけが問題のすべてなのだろうか。
「まぁ、あの……別にいいよ、わたしは」
「梨沙──⁉」
梨沙の母、涼子の声は引きつっていた。
まぁ、あたり前の反応だろう。
梨沙だって本当は気が進まない。
「ただし引っ越し後すぐに403号室の住人に
「構わないよそれで、ああ助かるな……すまない」
だが剛は納得していない様子だ。
「さんざんよく分からない不穏な話をしたうえで、よく
「もちろん梨沙ちゃんの目で見て判断してくれていいんだが、何しろ四階は彼ひとりっていうことでな。掃除時間を彼の外出時間に合わせてみて、あえて世間話をしたり。果物なんかを差し入れてみるとちゃんとお返しもしてくる、私らの目から見るとごく一般的か、それ以上の好青年なんだよ。高校時代には本格的に野球をしていたそうでね、快活で礼儀正しい。303号室が空き部屋になってからは特に誰も四階のことを気にする必要もないし、エレベーターが五階に行くような不具合も最近は起きていない。監視カメラを確認したから確かなはずだ、私もそう思いたいんだよ」
梨沙は強がって笑う。
「大丈夫ですよ。わたし直感とかは鋭いほうだし、ちょっとでも何かおかしいと思ったら絶対にすぐ逃げるようにしますから」
「……そうだな。それからオレが303号室に入ればいいんだろ? 梨沙が入居する前に密かに、気づかれないように入居することはできるだろうか? 新しい入居者がその彼の『真下の部屋』に入ると事前に知られると調べにくいことも出てくるだろう」
「ああ。例の彼──洋平くんについては、昼はまず大学にいるし夜もバイトで帰りは遅いから。昼のうちに済ませれば大丈夫だろうな、幸い管理人室の前を通らずに外出することはできない物件構造だから、改めて監視するほどのことでもないはずだ」
そこで涼子がさすがに
「あなた、それはちょっとさすがに……」
「危険なのは承知だ。だが、梨沙だけ行かせるよりマシだろ」
剛は無理して引きつったような顔で笑った。
こうして梨沙の405号室への入居と、梨沙の父、剛の303号室への入居が決まった。
梨沙の引っ越しの三日ほど前には梨沙の父の入居も済んでいる──ただ眠りに帰るだけの部屋になりそうだ、と愚痴を言っていたが父らしくもなく、毎日定時退社で会社での付き合いも断っているようで、食事も冷凍食品やテイクアウトを使い済ませているそうだ。
マンションの住人からは「
ただ、梨沙が会った403号室の洋平という青年は思った以上に健康的で、言動にもおかしなところはなく見た目も
そういう意味では、あまりにも普通すぎて、報告できることが何もなかった。
特に妙な行動などもなくて、気になる点がまるでない。
しかも隣に住んでみると、403号室は意外にもとても静かだった。
大学では比較的、友人の多そうなタイプにも見えたのだが、それは梨沙の錯覚に過ぎなかったのだろうか。
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