男と女

 端整な顔立ちをした男女は、気が狂うほど真白な部屋で、向かい合って座っていた。異様なほど綺麗に磨かれた窓から差し込む陽光は、二人を隠す部屋を、より白く、明るく照らしている。

「ねぇ、あなた、私のこと愛してる?」

「もちろんだよ、ハニー」

「嘘よ。気持ちがこもってないわ」

 女は切れ味のある大きな目で男の方を睨み、妖艶な雰囲気を纏って頬杖をついた。

「もう一緒に住んで長いでしょう? ありきたりな言葉では愛を感じられなくなったのよ。分かるでしょ?」

「もちろんだよ、ハニー」

男は目線を一つも変えずに、先と同じ文言を繰り返した。

「だからもっと刺激的な何かが欲しいのよね……」

「あ、」

 何かを閃いたのであろうか。女は組んでいた足を組み替えながら、右の口角を少し上げて真紅の唇を歪ませた。

「私、あなたをずっと食べてみたいと思ってたのよ。比喩なんかじゃなくて、本当にね。私があなたを食べたら、私はあなたになれるような気がするのよ。あなたをもっと理解できるような気がするの。あぁもちろん、あなたも私を食べるのよ? じゃないとフェアじゃないし、私の愛情は伝わっても、あなたの愛情は伝わってこないものね。ねぇ、いいでしょう? 本当に私を愛してくれているのなら」

「もちろんだよ、ハニー」

 男はいつも通りの返答をしたが、その双眸は明らかに女の方を見てはおらず、かすかに、ほんのかすかに指を震わせているのだった。

「ありがとう。愛してるわ」

 女はゆっくりと立ち上がり、男の頬に軽く接吻をしてから、これまた異常に整理整頓されたキッチンへと向かった。男はその後ろ姿を眺めたが、赤いドレスと白い壁の鮮やかさに、思わず目を背けてしまう。

 少しすると、女はまな板と包丁を持って、テーブルに戻ってきた。

「まずは手始めに小指からいきましょうか」

 女はそう言うと、自分の長い指をまな板の上に乗せ、何のためらいもなく、包丁を押し当てた。じりじりと肉に食い込んでいく刃の間からは、血が少しずつ流れ出してくる。骨を断つ鈍い音が、無感情に部屋に響いた。男はその様子をあまり視界には入れず、代わりに全く表情を動かすことのない女の顔を、ぼんやりと眺めていた。

 まな板の上には、少し小さめのソーセージのようなものが一つ転がっている。

「さぁ、今度はあなたの番よ」

 女は男に包丁を渡すと、先ほどと同じ姿勢になって、男を見つめた。頬杖はいくらかつきずらそうではあったが。

 男はまな板に手を乗せると、二秒ほどためらってから、徐々に包丁を押し込んでいった。ふと気付いてまな板を見ると、そこには二つのソーセージが転がっていた。

 女は白い歯を思い切り見せて微笑んだ。その二つの肉棒ををおもむろに摘まみ上げると、キッチンのコンロに置いてあったフライパンに雑に投げ入れ、それから火をつけた。

「もしかして生で食べると思った? 焼くに決まっているじゃない。そういう少し抜けているところが好きよ。焼いてあげるからちょっと待ってね」

「もちろんだよ、ハニー」

 しばらくすると、香ばしい肉の焼ける匂いと、まろやかな血の匂いが混ざり合って、男の嗅覚をくすぐった。

「おまたせ」

 白いテーブルの上には、白い皿に乗った茶色のソーセージ二本が乗っている。

「細いのはあなたので、太いのは私のね」

 女は楽しそうにソーセージを小皿に取り分け、獲物に飢えた狼のように、それにむしゃぶりついた。

「うん! 我ながらよく出来てるわ。ちょっと塩を振っただけだけれど、臭みもないし、味もしっかりして美味しいわね。あと九回もこの味が食べられるなんて、最高だわ」

 男はその様子を眺めながら、少しだけそれをかじった。そしてそれを飲み込む前に、残りを口に放り込んだ。

「あらあら、慌てちゃって。そんなに美味しかったのね。そういう無邪気なところも好きよ。骨はそこに出してね。私の手料理案外よかったでしょう?」

「もちろんだよ、ハニー」


        *


 翌日、指があった部分を見つめて、女は呟いた。

「やっぱりないと不便なものよね。いくら小指とはいっても、やっぱり無くなると寂しいわ」

 男は薄い小説を読んでいたが、女が喋りだすと、明らかにページをめくる速度が遅くなった。

「あ、そうだ」

 何か閃いたのであろうか。女は組んでいた足を組み替えると、今度は左の口角を少し上げて、皮が完全に剥がれきったような赤い唇を歪ませた。

「無くなった部分は毛糸で補いましょう。ぬいぐるみみたいにしてね。それなら無いよりも絶対にましだし、なによりも可愛いわ。ねぇ、もちろんいいわよね? あぁ心配しないで。ちゃんとあなたの分も作るわよ。ちょっと待っててね」

「もちろんだよ、ハニー」

 男がいつもの返事をすると、女は満足そうに頷き、後ろの白いタンスから裁縫道具を取り出した。白のチャコペンに、白いはさみ。寄生虫のように白くて長い毛糸。

 女はそれらを使って、器用に小指の代替物を二つ作った。そしてその真白の指を自分の手の空白に置くと、鋭い針と白い糸でこれまた器用に縫いつけた。その無機物と有機物の間には、なにやら不快なピンクの染みができている。

「うん、これでいいわ。かわいいじゃないの。さあ、あなたの方もやってあげるわ」

 男は右手を少しだけ握り、そろりと左手を差し出した。ゆっくりと目を閉じて開け ると、そこには既に小指を取り付けられた左手があった。奇妙なことに、その指は動いた。自分の思い通りに、なめらかに動くのだ。男は満足そうに微笑んだ。

「どう? ちゃんと動くかしら? ふふっ。その嬉しそうにしているあなたの顔がたまらなく好きだわ。食べちゃいたいくらいにね。でもそれはメインディッシュにとっておきましょう。だから今夜は薬指で我慢してくれるかしら?」

「もちろんだよ、ハニー」

 

 それからというもの、二人は毎晩自分のどこかの部位を切り取り、調理しては食べさせ合った。愛する人に自分自身がなれることを信じて。食べて無くなった部位は、女が見事な毛糸細工でそれを補完し、何の不自由もなく、二人は愛に満ちた生活を送った。

 やがて二人の身体は、頭部を残して、全てが毛糸になった。その容貌は、頭の部分をとった着ぐるみそのものである。

「やっと前菜が終わったわね。さぁ今夜はいよいよメインディッシュよ」

 女は興奮が抑えきれないのであろうか、いつもとは違って身振り手振りを加えながら話している。一方男の方はというと、どこか目は虚ろで、唇を少し噛んでいるように見えた。

「今夜は最後だから、豪勢に頭を全て食べ合いましょう。あぁ楽しみだわ。この時をどれほど待ったか! これで私はあなたになって、あなたは私になれるのよ。お互いを完全に理解することが出来るの。こんなに完璧な愛ってあるかしら?」

「もちろんだよ、ハニー」

 男は明らかに文脈にそぐわない返答をしたが、女は全く気にしない。

「それじゃあまずはあなたの顔から……ちょっと待って。あなたの顔を私が食べてしまったら、あなたは私の顔を食べることが出来ないわ。口が無いもの。どうしましょう………」

 数秒の沈黙が流れた後、諦めたようにもう一度女が口を開いた。

「しょうがないわ。同時に食べ合うことにしましょう。それならお互いを少しずつ食べることが出来るわ。だから焼くことは出来ないけど、それでもいいかしら?」

「もちろんだよ、ハニー」

 男は覚悟を決めたように、しっかりと女の方を見据えているが、男の手は、自分のほつれた毛糸を猫じゃらしのようにして遊んでいる。

「それじゃあいいかしら?」

 男がゆっくりと頷いた。女はそれを一瞥してから、テーブルの向こう側に向かって身を乗り出し、男の鼻に齧り付いた。その瞬間、男はこれまでに無いほどの快感を味わった。自分が他人に支配されていく感覚。これが「私はあなたになる」ということか。男は我慢できなくなって、女の顎に齧り付く。そして、「愛してるよ」と囁いた。

 女は少し驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔になって、「私も愛してるわ」と返した。

 それからは、お互いがお互いを一心不乱にむさぼり続けた。そして何分ほどそうしていただろうか、脳味噌が空気に触れたあたりで二人は事切れた。どちらの顔面も口だけを残して無くなってはいたが、幸福そうであることは、その口の形から容易に伝わってくる。二人の死体は、まるでテーブルの上に架かる橋のように、綺麗なアーチを描いていた。無造作に飛び散っている血は、部屋の白と相まって、錦鯉のような模様を描いている。

 そのような状態が一週間ほど続いた後、写真のように静かな部屋に、新しい生命が宿った。蛆虫である。小さな米粒ほどの蟲達は、顔の残りを食らいながら、二人が作った橋を移動して、男と女の腐肉を、バランスよく食べた。思えばこの瞬間に、ようやく二人は蛆虫という媒体を介して一つになれたのかもしれない。二人の残骸を食べて醜く太った蛆虫の群れは、やがて毛糸を突き破り、身体であった部分にまで歩みを進めた。

 毛糸が蛆虫でパンパンになった頃、顔のなくなった二つの死体は、突然動き出した。毛糸の身体の中でぎゅうぎゅう詰めになった蛆虫たちが、外に出ようともがきだしたのだ。つい一週間前までは人間だったものが、今では壊れたおもちゃのように暴れ回っている。しかし、それらは暴れているだけではなかった。奇妙なことに、手を取り合って優雅に踊り出したのである。その様子はこの世のものとは思えないほど奇怪なものであったが、そこには近づいた者を殺めてしまうほどの、人智を超えた愛があった。そして二つの蛆虫袋は、幸せそうに、ゆったりとした動きで、いつまでも、いつまでも踊り続けていた。

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