第6話:中毒者たちの列

 翌朝。

 俺は、店の外のざわめきで目を覚ました。

 小鳥のさえずりではない。もっとドロドロとした、切迫した気配だ。


「……なんだ、魔物の襲撃か?」

 俺は枕元の剣(薪割り用)を掴み、一階へと降りる。

 だが、すでに起きていたセリーナが、窓の隙間から外を覗きながら、ニヤリと笑っていた。


「おはようございます、イーズさん。大漁ですよ」

「え?」

「見てください。この『獲物』たちを」


 セリーナが指差す先。

 店の前には、すでに十人近い村人たちが並んでいた。

 木こりの親父も、狩人の青年も、昨日は「泥水だ」と馬鹿にしていた主婦もいる。

 彼らの目は一様に血走り、どこか虚ろだ。


「……くそ、体が重い。あれを飲まねえとシャキッとしねえ」

「夢に出たんだよ、あの甘くて苦い味が……」

「金ならある。頼む、一杯売ってくれ……」

「……ゾンビ映画かよ」


 俺は思わず呟いた。

 カフェイン切れと糖分への渇望。

 娯楽の少ないこの世界の住人にとって、昨日の『ハニーミルクコーヒー』の刺激は強すぎたらしい。


「さあ、開店ですよ店長。今日からきっちり回収させていただきますからね」

 セリーナは髪を後ろでキリッと結び直し、エプロンの紐を締める。

 その背中からは、財務官僚時代の覇気――いや、狩人の殺気が立ち上っていた。


 ◇

「いらっしゃいませー! カフェ『隠れ家』へようこそ!」

「くれ! 昨日のあれをくれ!」

「はいはい、順番にねー。一杯、銅貨五枚だよー」

 ドアを開けた瞬間、怒涛のラッシュが始まった。

 俺はカウンターの中で、千手観音のように手を動かす。


「コゲ、お湯! ゴリさん、豆挽いて! ポチャ、カップ!」

「キュウ!」「ウホッ!」「プルルッ!」


 魔物たちとの連携は完璧だ。

 次々と抽出されるコーヒーに、ミルクと蜂蜜を投入し、セリーナに渡す。

 狭いカウンターの中、二人と三匹が動き回る。

 当然、導線が交錯することも増えるわけで。


「イーズさん、3番テーブルに追加オーダー! 通ります!」

「おっと、了解」

 すれ違いざま、ドン、と俺の背中に柔らかい感触が当たった。

 振り返ると、お盆を持ったセリーナと密着している。


「あ、すみません……っ」

「いや、こっちこそ」

 至近距離。

 忙しさで火照っているのか、セリーナの頬はほんのりと赤い。


 額にはじわりと汗が滲み、数本の金髪が濡れて白い首筋に張り付いている。

 シャツの第一ボタンが暑さで外されているその隙間から、白い胸元と、流れる汗の筋が見えた。

「……イーズさん? 邪魔です」

「あ、ああ。悪い」

 セリーナが上目遣いで俺を睨む。

 キツイ言葉とは裏腹に、その瞳は潤んでいて、吐き出される息からは甘いミルクの匂いがした。

 ……なんだろう、この妙なドキドキ感は。

 戦場での高揚感とは違う、もっとじっとりとした熱が腹の底に溜まるような感覚。


「ほら、手が止まってますよ! 次は『オークカツサンド』です!」

「へいへい、仰せのままに」


 俺は雑念を振り払い、カツを揚げる鍋に向き直った。

 まったく、とんだ美人局(つつもたせ)を雇っちまったもんだ。


 ◇

 昼過ぎになり、ようやく客足が落ち着いてきた。

 だが、店内にはまだ数人の客が残り、まったりとした時間を過ごしている。


「ふぅ……生き返ったわぁ」


 カウンター席でカップを両手で包み込んでいるのは、近所に住む木こりのオッサンだ。

 最初は「甘いの」を頼んでいたが、三杯目からは「甘すぎるのは飽きる」と言って、砂糖を減らした『微糖』に挑戦している。


「なぁマスター。この黒い水……コーヒーってのは、不思議な飲み物だな」

「ん? そうか?」

「ああ。最初は苦くて驚くが、飲んだ後は、こう……森の空気がいつもよりうまく感じるんだ」

 オッサンは窓の外の緑を眺め、ほう、と息を吐いた。


「仕事前の気合入れにもいいが、終わった後のこの一杯が、なんとも贅沢な気分にさせてくれる」

 その言葉に、俺は思わずニヤリとした。

 そう。それこそが、俺がこの店を作りたかった理由だ。

 覚醒作用だけじゃない。この香りと時間を楽しむ『余裕』こそが、コーヒーの本質なんだ。

「わかってんじゃん、オッサン。通(ツウ)だねぇ」

「へへ、よせやい」


 その横で、セリーナが空になった皿を下げながら、小声で俺に囁く。


「……イーズさん。売上、目標の三倍です」

「マジ? 銅貨五枚って、結構高いだろ?」

「ええ。でも皆さん、カツサンドまで追加で頼んでくれますから。客単価が跳ね上がってます」

 セリーナは重くなった小袋をジャラリと鳴らし、恍惚の表情を浮かべた。

 その顔は、コーヒーを飲んだ時よりも、さらにとろけているように見えた。

 ……金勘定してる時のこいつ、一番いい顔するな。


「明日はもっと忙しくなりますよ。隣町の噂好きの行商人が、さっきテイクアウトしていきましたから」

「げ、マジか」

「ふふ、覚悟してくださいね。……オーナー」

 セリーナは悪戯っぽく俺の耳元で囁くと、スカートを翻して厨房へと戻っていった。

 ふわりと残る残り香に、俺はまた少しだけ、心拍数が上がるのを感じていた。


 どうやらこの店は、カフェイン中毒者だけでなく、俺にとっても『刺激的』すぎる場所になりそうだ。

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