二話 追放と新たな出会い

 その日、隅田村で妖魔が目撃されることはなかった。

 静乃は夜遅くまで巡回を続けると、灰崎邸に戻った。


「静乃様……」


 トネが暗い顔で待っていた。


「どうしたの?」

「久吾様が静乃様を呼んでおられます。ものすごい剣幕で……」

「そう……」


 心当たりはあった。父の待つ洋室に入るや否や、本を投げつけられた。


「聞いたぞ! ゴウマに殺された者がいたそうだな!」

「申し訳ありません。駆けつけた時には、もう……」

「なぜもっと早く現場に着けなかった! 浄魔師の足は馬よりも速くなれるのだぞ!」

「…………」

「しかも、お前は報告を怠った! どこまで私を困らせるつもりだ!」

「申し訳ありません。傷を受けてしまい、痛みで考えが回らず……」

「見苦しい言い訳をするな!」

「……はい」


 父は机を叩いた。


「夜通し警戒に当たれ」

「え?」

「次に犠牲者を出したら、お前と水鈴を教育し直してやる」

「み、水鈴は戦えないのです! 今さら教育など――」

「ならばお前が妖魔を片づければいいことだ! さっさと行かんか!」

「……はい。失礼いたします」


 静乃はよろよろと廊下を歩いた。月が明るい。もう水鈴と母は寝ている頃だろう。


「う……」


 ふらついて倒れそうになる。気づいたトネが支えてくれた。


「トネさん、ごめんなさい……」

「わたくしこそ、なんのお力にもなれず申し訳ありません」

「いいのよ。妖魔と戦えるのは浄魔師だけなのだから」

「しかし……わたくしは悔しゅうございます。分室の景気がよいのは静乃様が身を粉にして働いてくださるからです! それを久吾様は自分の手柄にし、報酬まで自分の懐に……」

「でも、水鈴やお母様と三人で追い出されたら路頭に迷ってしまうわ。自分から出ていっても、お父様は宿屋に手を回すかもしれないし。わたしが頑張ればいいことだから、トネさんもお父様に刃向かっては駄目よ」

「静乃様……!」

「わたしは夜警に出るから、二人をお願いね」

「えっ!? まだお仕事に!?」

「死人を出してしまったからね」

「そんな……このままでは静乃様が倒れてしまいます! それではこの村全体が危機に陥ってしまうというのに!」

「安心して。こう見えて頑丈よ」

「今、倒れそうになっておられたではありませんか」

「あ、足が絡まっただけよ」


 トネは涙を流している。静乃は、しわの寄った両手を握った。


「水鈴とお母様をくれぐれもお願いします」

「どうしても、行かれるのですね」

「ええ。この村のために」

「……お二人のことはお任せください。どうかお怪我をされませんよう」

「頑張ってきます」


 静乃は深呼吸をして、頬を軽く叩いた。

 ――この程度で倒れるわけにはいかない。わたしは妖魔になんて負けない。


     ☆


 家を出ると、朝と同じ木の陰に静乃は座り込んでいた。

 何もしていなくとも、勝手に腕や足が震える。


「気合いだけではどうにもならないものね……」


 自嘲的な笑みが浮かぶ。

 その時、不意に妖力の気配が立ち上がった。


 ――妖魔!


 戦闘態勢に切り替わると、痛みは感じなくなっていく。

 静乃は位置を探り、走った。

 村とはいえそれなりに家も多い。中級の妖魔が暴れたら被害は大きくなる。


 ――また川沿い?


 この一ヶ月の襲撃では川沿いで会敵することが多かった。

 荒川の土手に出て、下流へ向かって疾走する。

 辺りにもやが立ちこめている。不快な蒸し暑さを感じた。

 ざばっ、と音がした。月明かりが敵を映す。


「蛇……」


 赤色の鱗を持った巨大な蛇が川から上がってきた。

 蛇はじゅうじゅうと蒸発音を立て、もやを放っている。


 ――炎火蛇ホノカガチ! 二等級の妖魔……!


 炎を操ると言われるかなり強力な妖魔だ。一連の襲撃と無関係とは思えない。

 静乃は右手に霊力を集め、弾にして放った。

 ホノカガチの横っ面に直撃するが、さして効いた様子もなくこちらを見る。


 ――あの霊力弾でも効かないの……!?


 ホノカガチは身をうねらせて迫ってきた。静乃は突進を避けて距離を取る。

 霊力の針を大量に作り出す。

 それを一気に撃ち込むと、鱗が破れてホノカガチがのたうった。

 ホノカガチは口から炎を放ってくる。


「あっつ……!」


 かろうじて避けたが服をいくらか焦がされた。

 立ちこめる蒸気の影響か、頭がクラクラする。長期戦はまずい。

 静乃は相手に急接近し、突き上げるように護符を叩きつける。ホノカガチのあご下に貼りつけたが、それだけでは終わらなかった。

 ホノカガチが暴れ、なおも静乃を攻撃してくる。

 静乃は懸命に立ち回って、追加の護符を顔の近くにさらに二枚貼りつけた。


 ――もう一息!


 全身が悲鳴を上げていた。あと一撃出すのが精一杯だ。

 ホノカガチが突っ込んでくる。

 静乃は真正面から受けて、相手の眉間に護符を叩きつけた。

 だが、ホノカガチの牙も静乃の左肩に突き刺さっていた。


「負ける、ものかあああああああ!」


 静乃は絶叫しながら霊力を送り込む。ホノカガチも牙を食い込ませてくる。

 霊力と妖力のつばぜり合い。

 やがて、ホノカガチは粒子になって消えていった。


「勝っ、た……」


 今回はかなりの大物だった。

 これで妖魔の攻勢も弱まるのではないか。そんな期待をしてしまう。


 ――帰ろう……。


 どうあがいても、これ以上の任務遂行は不可能だ。

 まずはお風呂に入り、横になる。

 何よりも休息がほしかった。


     ☆


 灰崎邸に戻ってくると、すでに深夜二時を回っていた。

 父は夜通し書類を読み昼間眠ることが多い。まだ起きているだろう。

 報告だけして眠るつもりだった。


「お父様、静乃です」

「巡回はどうした」

「ホノカガチが出現し、討伐しました。その報告を」

「ホノカガチだと? 二等級の妖魔ではないか」


 久吾がドアを開けて静乃の前に現れた。


「お前っ……!」

「なんでしょうか?」

「なんでしょうか、だと? 自分がどうなっておるのかわからんのか!」

「……え?」


 いきなり襟首を掴まれる。


「あうっ……!」

「見ろ!」


 父の部屋の、鏡の前に立たされた。

 静乃の瞳は、炎のような橙色に輝いていた。いくら浄魔師でもこんな変化は起こらない。


「ホノカガチの力が流れ込んだ……お前は半妖になったのだ!」

「半妖……わたしが……?」


 妖魔の力を手に入れた人間、半妖。

 通常の浄魔師を上回る力を持つが、宿した妖魔の力に理性を乗っ取られることもあり、破壊の限りを尽くした者もいるという。そんな経緯もあり、半妖には一般市民も浄魔師もいい顔をしない。


「灰崎家から半妖が出るなどありえん。家名に泥を塗るも同然」

「では、わたしはどうすれば……」

「出ていけ」

「え?」

「もう、お前は灰崎家の人間ではない。二度とこの家の敷居をまたぐな」

「そ、そんな! わたしの理性ははっきり残っております! 灰崎のためにいくらでも戦えます!」

「今だけだ。いつ暴走するかわかったものではない。そんな危険な輩をこの家に置いておくわけにはいかん。――来い」

「お父様……!」


 静乃は久吾に腕を掴まれ、廊下を引っ張られていった。


「お姉様?」

「静乃、これは一体――」


 異変に気づいた水鈴と母が廊下に出てきた。そして、目を光らせた静乃を見て固まった。


「こいつは妖魔に憑かれた。もうこの家の人間ではない」

「し、静乃を追放するとおっしゃるのですか?」

「当然だ。半妖を囲っているなど、浄魔会本部に知られたら恥をかく」

「で、ですが静乃はここまで家のために尽くしてくれたではありませんか! その功績に免じてお許しを……!」

「功績? やって当然のことをしていただけだ。皆も同じように働いている。こいつだけが特別ということはない」


 母も水鈴も絶句していた。


「だがまあ、お前たちをまとめて追い出すと変な評判が立つ。お前と水鈴は引き続きこの家に置いてやろう。こいつの功績に免じてな。これでよかろう」

「お父様、今のお言葉、信じてもよいのですね?」


 静乃は訊いた。


「料理と裁縫はできるからな。置いておいても損はない」

「そうですか。であれば、わたしはお父様に従います」

「お姉様っ! こんなのおかしいです! お姉様が一番頑張っているのに……!」

「水鈴、半妖が嫌われることはあなただって知っているでしょ。もういいわ」

「でもっ」

「さようなら。元気で、長生きするのよ」

「静乃……」

「お母様も、お体に気をつけて」

「本当に、それでいいの?」

「社会にいられない体になってしまったのです。覚悟はしていましたから、受け入れます」


 話は終わりだと言わんばかりに、久吾がまた静乃の腕を引っ張った。

 水鈴と母は呆然としたように見送るだけだった。

 門まで来ると、静乃は突き飛ばされた。


「この門を越えてみろ。水鈴がただで済むと思うな」

「……わかっております」

「お前のせいで新しい働き手を探さねばならぬ。この未熟者め。とっとと失せろ」

「……お世話になりました」


 静乃は頭を下げ、灰崎邸をあとにした。


     ☆


 朝焼けが近づく村の中を、静乃はふらふらと歩いた。

 体の中に妖力があるのがわかる。意識すると体内を流れ、移動する。

 その感覚を掴んだことで、目に宿る橙色の輝きを消すことができた。

 とはいえ、これからのことがまったくわからなくなってしまった。

 仕事に出た格好のままだ。

 無一文であり、服も焼け焦げた状態。浮浪者となんら変わりない、みじめな姿であった。


「う……」


 父から離れて緊張が解けたことで、忘れていた疲労が一気にのしかかってきた。

 激しいめまいに全身の痛み、頭痛、吐き気がまとめて襲ってくる。

 村はずれの廃材処理場にやってくると、静乃は木材の山に向かって倒れ込んだ。


 ビシビシッと、空気がひび割れるような音がした。

 見上げると、空中から雷を纏った妖魔が降りてくるところだった。

 羽雷ウライと呼ばれる四等級の妖魔だ。

 黄色と緑ののっぺりした体表。半透明な羽を持ち、口には長い牙。手も足も爪は鋭い。


 ……最悪の相手ね。


 静乃は立ち上がる。

 霊力の弾を放とうとするが、ウライの方が早かった。

 上空から雷撃を浴びせられ、静乃はあっけなく吹っ飛ばされる。


「もう、駄目……」


 再び立ち上がる気力も体力も出なかった。

 こんなゴミ山の中で死ぬのか。

 父の言いなりになって懸命に働き、のしかかる疲労に耐えながら歯を食いしばって戦ってきた。その手柄はすべて父のものになり、給金は頭を下げなければ渡してもらえない。意見すれば「誰のおかげでこの家にいられると思っている」と容赦なく叩かれた。

 それなのに、最後は捨てられ、ボロボロの格好で一方的になぶられて殺される。


 ……幸せって、どういうものなのかしら。


 ふと、そんなことを思った。

 幼い頃から浄魔師としての修行に打ち込み、資格を得てからはずっと前線にいた。

 楽しい思い出などまったくない。


 縁のない言葉――幸福。


 せめてそれを知りたかった。

 けれど、叶わない。今、ここで妖魔に殺されるのだから――。

 ウライが右手に雷撃の弾を作り出した。静乃は目を閉じなかった。

 雷撃が放たれる。黄金の球体が迫り――静乃の前に人間の背中が映った。


「危ない危ない」


 黒と赤の軍服。軍帽をかぶった男は、右手のサーベルで雷撃を跳ね返した。


「だ、誰?」


 男が振り返った。まだ若い。

 漆黒の髪に漆黒の瞳。吸い込まれそうなほど黒く艶めいた瞳だった。


「妖魔の調査に来てみれば思わぬ発見だ。この気配、蛇の半妖か?」

「……そうよ」

「興味深い」


 青年はサーベルを振るった。霊力の刃が飛び、一撃でウライの首を切断していた。

 ――つ、強い……!


「陰と陽の力が絶妙な加減で拮抗している。素晴らしい」


 青年は一方的にしゃべる。


「強力な蛇の半妖。ここで会ったも何かの縁。尻尾を掴むとは、言い得て妙」


 静乃の頬を、青年の手が撫でた。


「ぜひとも、うちにほしい人材だ」


 人に撫でられるなど久しくなかった体験だった。

 青年の手は温かく、静乃の心を安らがせた。

 それがきっかけだったのか、静乃の意識は急激に遠のいていった。

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