第91話



白希は瞬きした。

「何で……そこまで」

もう目は冴えている。純粋な疑問をぶつけると、宗一は清々しいほどはっきり答えた。


「愛してるから結婚したんだ。何も不思議なことなんてないよ」


言ってる意味は分かる。

でもその心情までは分からない。


「うっ……」


気持ち悪い。

突如、猛烈な吐き気に襲われ口を手で塞いだ。

「白希……!」

異変に気付いた宗一に、身体を支えられる。視界は真っ暗になった。




現実から逃げたかった。


楽しかった出来事が霞んでしまうぐらい、辛いことがあったからだ。生を放棄したわけじゃないけど、弱かった自分はこうすることでしか自分を守れなかった。


でもそろそろ“出てきて”くれてもいいのに────。



「白希? 良かった、私が分かるかい?」



痛いほど眩い白が飛び込んでくる。

白希は寝室のベッドの上で、天井を見上げていた。その端には、心配そうにこちらを見下ろす宗一がいる。

「はぁ~、心配したよ。突然失神するから」

宗一は心底安堵した様子で、傍に腰を下ろした。

「……仕事行くんでしょう? 大人しく寝てますので、出掛けてください」

「本当に大丈夫? やっぱり心配になってきた……私も今日は有給を使おうか」

「大丈夫ですよ。私の身体は意外と強いみたいだし」

そのはずだ。ろくに運動しなくても、医者いらずで生活していたんだから。


煮え切らない様子の宗一をわざと冷たくあしらうと、熟考の末長いため息をついていた。


「わかった。ちゃんと休んでるんだよ」




宗一の出勤後。

ふらふらしながら水を飲み、用意されていた食事を食べる。でもやはり食欲がわかず、スープだけでいっぱいになってしまった。


早く帰ってきてほしい。


しかしそれに応えるように、渡されたスマートフォンの着信音が鳴った。

『白希、急にすまない。もしかしたら……だけど、私が帰る前に人が家に来るかもしれない』

少々切羽詰まった声だ。空も薄暗くなってきた為部屋の明かりを点け、カーテンを閉める。

「人? お客様ですか? 私が出ていいんですか?」

『いや……その、君が良いのなら。でも、できれば私が先に会いたいと思ってるんだけど』

彼にしてはやけに歯切れが悪い。こちらを気遣っているのが見え見えだ。


「別に大丈夫ですよ……適当に話合わせるので、その人と私の以前の関係だけ教えてください」


薄手のガウンを羽織り、受話器を持ったままソファへ戻る。返事を待っていると、数拍置いて低い声が聞こえた。


『君の友達だよ。君のことをずっと心配してたから、安心させてあげたくてね。……君が家にいると伝えたら、すぐに会わせてほしいと言われて、返事を言う前に切られてしまった』

「それはまた」


忙しい人だ。

そう答えようとした瞬間、家の中にインターホンの音が鳴り響いた。


本当に来たみたいだ。なんてタイミングの良い。


「すみません、いらっしゃったみたいなんで切ります」

『本当? あ! 出る前にモニターで誰が来たか確認してから』


彼はまだ喋ってる途中だったが、切のボタンを押してしまった。

玄関まで小走りで向かい、内側の鍵を開ける。ドアを開けると、自分と同い年ぐらいの青年が立っていた。

彼が……以前の、自分の友人だろうか。

第一声をどうしようか考えていたが、それより先に強い力で抱き着かれた。


「白希! 良かった……体は大丈夫か? 連絡とれないから本当に心配したんだぞ」

「すっ……すみません」


動揺のあまり声が上擦る。抱きつくほど親しい仲なのか。それとも友人ならこれぐらい普通なのか……。

そもそも普通が分からない為硬直してると、彼はゆっくり離れた。

「宗一さんから、お前が家に戻ってきたって電話あってさ。申し訳ないんだけど、居ても立ってもいられなくて走ってきた。一体今までどこにいたんだよ」

「えっと……すみません、色々ありまして」

下手な嘘はつけない。それならまだ、黙っていた方がマシだろう。

「貴方なら何となく察してらっしゃると思うんですけど……」

適当過ぎるが、彼との信頼関係に賭けてどうとでもとれる台詞を吐いた。すると彼はハッとして、声を潜めた。


「やっぱり、お前の故郷が絡んでるのか」


……!


予想外の返答に息を飲む。

結婚生活が嫌で家出してたとか、適当な理由と結び合わせようと思っていたのに。


この青年は白希の出身地を知っている。

以前の自分が話したのか?

……話しても良いと思えるほど、信用できる人物だったんだろうか。


「名前……」


でも、そういえば名前を知らない。

一番大事なことなのに、宗一から聞きそびれてしまった。

ぼうっと佇む白希を不審に思ったのか、青年な前で手を振った。

「おい、白希? 大丈夫かよ」

「大丈夫じゃないです」

「マジ? どうした」

「久しぶりにお会いしたら、貴方のことを何て呼んだらいいのか分からなくなりまして」

我ながら凄まじいボケを披露していると思う。

でも、こうしないと彼から名前を聞き出せない。この青年には、何故か記憶喪失ということを隠しておきたかった。


無表情のまま青年の顔を見返すと、彼は心配そうに笑った。


「ったく、また先生とか言うなよ? 文樹でいいから」


文樹。……さん。

名前がわかっただけなのに、すごく嬉しい。


それにこの人、声も香りも仕草も……宗一さんと同じく、懐かしい感じがする。


「ご心配おかけしてごめんなさい。あの……もし良ければ、上がってください」


私の家じゃないけど。

心の中で宗一に謝りながら、スリッパを置く。せっかく会いに来てくれたのに、このまま帰すのも申し訳ない。


文樹は遠慮していたが、半ば強引に家の中に誘導した。


「あっ! そうそう、ここの住所なんだけどさ。何故か大我が知ってたから、それを聞いて来ちゃったんだ」

「大我さん!?」


思わず大きな声を出してしまい、青年は慌てた。

「う、うん。本当に悪い!!」

彼は両手を合わせ、頭を下げる。住所を聞き出したことを謝っているようだったが、白希が驚いているのは別件だ。


大我と知り合い。……まさか、この人……。

以前大我が言っていた、想い人のことが頭をよぎった。


「でも白希……何があったのかちゃんと教えてくれ。大我に何か脅されてんなら、俺があいつと話してやめさせるから!」

「文樹さん、落ち着いて。大我さんには何もされてないから大丈夫ですよ」

「本当か? あいつ、お前を襲った変な奴らと組んでたっぽいぞ!」


話から察するに、彼は事件当日の様子も知っている。白希と同じく渦中にいたようだ。

なら自分だって危険な思いをしたはずなのに……彼は白希のことばかり心配し、そして怒っている。


何て真っ直ぐで純粋な人だろう。


「大我さんは犯罪に関わったりはしてないと思いますよ。文樹さんは大我さんのこと、信用してないんですか?」

「今はしてない。直接行動してなくても、お前を襲った奴らと関わってたのは間違いないし」

「ほお……」

「信用したいけど、できない。それにあいつ、わざと俺を怒らせようとしてくるんだ」

「あぁ、それは……怒らせたいわけじゃなくて、……嫌われたいんだと思います」


グラスを両手で持ち、壁に寄りかかる文樹に笑いかける。

白希にも覚えがあった。道源の家にいた時は、自分も大我に嫌われようと頑張った。これ以上彼が苦しまないように……とにかく離れられるように。


「文樹さんを守りたいから。嫌われてでも距離を置こうとしたんじゃないかな」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る