第2話 初恋の想い出

「うっさいわね! ぴーぴー泣くんじゃないわよ! 男の子でしょう!? ほらっ、立て! アンドレア!」


 芽吹く春の日。とある屋敷の躑躅つつじの花が咲く庭の一画にて。

 そこに二人の子どもがいた。


 顎の辺りで切り揃えた黒檀の髪、紫水晶アメジストの瞳。年頃らしいフリルがふんだんにあしらわれた白のワンピースを着た少女が、ふんぞり返り仁王立ちしていた。


 対して相手はへたり込み、わんわん泣き喚く。涙が止まる気配はない。


 金糸を一つ一つ植え込んだような金髪。右眼は瑞々しい若葉を想起させるみどり、左眼は妖しい昏さを含んだ桑の実色。まるで光により色が変わるとされる金緑石アレキサンドライトを彷彿させるオッドアイを持った、天使のような顔立ちの美少女──いや、白いシャツを着て黒のブリーチズを履いた美少年。


「だ、だってぇ……剣のお稽古やだもん〜〜! 先生こわいんだもん〜〜!」

「やだもん、じゃない! さぼってるの見逃してばれたら怒られるのはわたくしなんですからね! ほら! いい加減戻るわよ! ていうか、なんでいつも逃げ先がわたくしの家なんですか!?」

「ジュリエッタちゃん、やだよお〜〜! 帰りたくないぃ……」


 駄々っ子……アンドレアの腕をジュリエッタは無理やり引っ張るが、彼はいやいや、とかぶりを振り立ち上がる素振りもしない。さながら散歩の帰り道を嫌がる犬のようだ。

 ……仕方がない。いつものあの手を使うしかない。

 ジュリエッタは、大きく息を吸った。


「わたくし、将来結婚するなら剣術が強くて勇気のある騎士さまがいいですわー!」


 すると、アンドレアの泣き声がぴたっと止まった。すんすん、と鼻を啜る音がする。……もうひと押しだ。


「……アンドレアが、強くてかっこよくなったらー! わたくし、惚れなおしますわよー!」


 大きい声で宣言する。少し経ってから振り返ると、アンドレアが泣き止んで静かに立った。


「……やる。剣のお稽古、やる」

「ん。がんばりなさい」


 ジュリエッタはアンドレアの背中を押した。


 ジュリエッタとアンドレアは同い年の幼馴染同士。二人の家はどちらも由緒正しい公爵家だった。大抵の貴族は妻や子どもを帝都・ノルニルに住まわせて、領主は自領でまつりごとを行う。例に漏れず、二人の家もそうだった。ノルニルにいた頃、住んでいる屋敷が隣同士という縁で仲良くなった。


 アンドレアは、勝ち気でじゃじゃ馬なジュリエッタの後ろを雛鳥のようにいつもくっついて回った。ジュリエッタは気弱でドジで泣き虫な彼に呆れつつも、なんだか可愛い弟のように思えて世話を焼いた。


 つい先日。二人で硝子ガラスの石があしらわれた銀鍍金メッキの玩具の指輪を、互いの左薬指にはめて将来を誓い合った。

 所詮子どものままごと。

 だが、この少年少女は本気だった。


 大人になったら、結婚しよう──。



 * * *


 

 目を開いた。真っ先に見えたのはベッドの白い天蓋。

 朝になったのだろう。ちらりと斜めを見る。部屋の窓側にある真紅の窓掛カーテンの隙間から、淡く眩しい光が差し込んでいた。


「……夢、か」


 帝国歴一三二六年、一月。

 ジュリエッタは頭をぽりぽりと掻いた。


(懐かしい夢ね……)


 嘆息して、一度思考を無にする。

 少しの間そうしてから、彼女はやっとこさベッドから起き上がった。


(将来アンドレアと結婚する約束。そんなもの、とうに破れたわ。今更昔のことを思い出すなんて──)


 ジュリエッタは鼻で笑った。

 幼い頃はいつも一緒にいたのに、結局ジュリエッタとアンドレアは結婚しなかったのだ。幼学校を十二歳で卒業した後、ジュリエッタは将来神聖ソレム帝国第一皇太子・オルフェーオの婚約者となるために異性との接触を禁じられたからだ。ほどなくして本来の実家があるウルズ公爵領に帰り、社交界入りする十六歳まで教育を徹底的に施された。

 ジュリエッタはその後ノルニルの別邸に再び移り住み、社交界の華となる。そして他の貴族令嬢との熾烈な婚約者争いに勝ち、無事にオルフェーオと結婚して第一皇太子妃となった。

 だが──つい最近、このウルズ公爵領アクィラ家の屋敷にやってきた。

 オルフェーオから約半年前に「別れたい」とこぼされ、離縁が正式に成立したからだ。


 結果、神聖ソレム帝国第一皇太子妃という不名誉な経歴が付いた。

 ──『負け犬令嬢』。

 それが公爵令嬢ジュリエッタ・アクィラの、現在の肩書きである。

 


 


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