第2話 シーツの上の断罪 ヤバめのスパダリ絶賛暴走中

 ご当主様、お腹の具合はいかがですか?


 薬が効かない? 最近、頻繁に飲まれているので、体に耐性ができてしまったのかもしれませんね。




 医師を呼べ?

 お呼びしたいのはやまやまなのですが、もう往診には来ないそうです。


 前回、いつも医療カバンを運んでいた助手の男性が足を捻挫して、その娘さんが急遽同行していましたよね。


 ……何かされました?



 ほお、心当たりはない……ですか。

 それなら、こちらとしても、どう対処すれば良いのやら見当もつきませんね。

 動けるようになったら、別の医師を探してください。


 え、お前の仕事だろう?

 だから、私の持っている伝手は、彼が最後だと申し上げたじゃないですか。


 ええ、ええ、役立たずで申し訳ございません。



 そういえば、モードお嬢様を妾に出すというお話があるのですか?


 先月いらっしゃった侯爵? 妾の支度金?



 ああ、そういうことでございますか。

 あの時の契約書、本当に一行も読まずにサインされたのですね。


 あれは、他家から使用人を引き抜く際の、補償金ですよ。


 ええ、当伯爵家から数名、侯爵家へ移籍します。


 ……名簿も添付されていましたよ。



 ちなみに、私は実家から子爵位を譲り受けて、近日中に退職いたしますけど……申し上げました。


 次の家令をタウンハウスの執事から選ぶのか、領地から呼び寄せるのか、他家から引き抜くのか、考えておいてくださいとも申し上げました。


 二週間前に「引き継ぎはどうしたらいいのか」とお尋ねしたら「うるさい黙れ」とおっしゃったじゃないですか。




 奥様を呼べ?

 いいえ、奥様がこちらの部屋にいらっしゃることは、もうありません。


 ただいま私が参上しましたのは、奥様から依頼されて書類にサインをいただくためです。

 もう、顔も見たくないということで。


 こちら、離縁届になります。




 ……おや、喜んでサインなさるかと思っておりましたが。



 そういえば、昨日取っていたホテルは、キャンセルせざるを得なくて残念でしたね。

 王族も宿泊される格式高いホテル。伯爵くらいだと、余裕で一年待ちのレベルで……。


 え、知っていたら這ってでも行ったのに? やめてくださいよ、ホテルに迷惑です。



 ああ、侯爵が便宜を図ってくださったのです。

 優秀な使用人を譲ってもらう感謝の…………もう、いいか。面倒くさい。



 侯爵は私の父です。


 あなた様が浮気している間に、ミレイユの引っ越しを手伝い、二人でこっそりモードの卒業式をのぞきに行けたらいいなと思っていたので。


 なのに、なんで、そんな日に腹下してんですか。


 ホテルの格も知らないなんて、想定外ですよ。

 遊び人かと思いきや……ああ、遊ぶ場所が違うのか。




 侯爵が「モードちゃんに嫌われた」って、半泣きで。

 あんなにしょぼくれているの、初めて見ましたよ。ぷくくくく。


「わしの孫娘になるのか」と、ニヤニヤしながら舐めるように見ていたのは事実ですからね。



 え?! いや……はい、ミレイユに……プ、プロポーズを……。ふふふふふ。



 んんっ。侯爵が半年前に来たのは、ミレイユとモードに会って、子爵家に相応しいかを確認するためでした。


 私が惚れた相手と結婚したいから、今まで渋っていた子爵位を受けると申し出たところ、一度顔を見せに来いと。


 まだプロポーズもしていないと言ったら、理由をこじつけて訪問してきたというわけです。

 同時に、引き抜く予定の使用人と顔合わせをして帰りましたよ。


 はあ、それを妾にするための下見だと。



 その後、諸々の根回しが済んで、一ヶ月前に各種契約書を交わしに来たんです。

 使用人の移籍契約の名簿には、ミレイユも入っています。


 モードとは何も契約していないでしょうが。な・あ・な・あ・で働かせていたくせに。

 モードの権利を保障する気がなかったあなた様には、モードを縛る鎖もありませんよ。



 使用人と新たな雇用条件などを詰めたり、受け入れ体勢の準備をしたりしていたら、数ヶ月なんてあっという間に過ぎていきます。

 きちんと手続きするには、相応の時間がかかるものでしょう。


 ああ、そういう仕事は全て奥様と私に丸投げですもんね、知りませんよね。




 はあ? ミレイユはあなた様の『女』なんかじゃありませんよ。

 性犯罪の被害者です。



 侯爵がモードに手を出すのでなければ、なんであんな大金を出すのかって?

 誰もがあなた様のように、下半身に振り回されていると思わないでください。


 人の行動の動機が、全て性欲だとでも?


 人間が動く理由は、他にいくらでもあるんですよ。



 使用人の移籍による補償金は、年収の二倍で計算しています。

 何人もいるのですから、それなりの金額になって当然です。



 そのお金を伯爵家の会計に入れずに、ご自分のポケットマネーにされましたね?


 モードに貴族令嬢の教育を施す経費や学園に通う費用は、伯爵家の予算から出していますよね。

 妾になる支度金だと思っていたなら、伯爵家の歳入に入れるのが筋ではないですか?



 奥様も、このことはご存じですよ。

 呆れ果てていらっしゃいました。


 妾じゃないから、違約金が発生しなくてよかったですね。

 もし発生していたら、奥様はきっとあなた様の秘蔵コレクションを売り払ってお金を作っていたでしょうから。



 ええ、今までも何回か、慰謝料をそうやって工面していますよ。

 ああ、購入した後の状況は把握していますから。買っただけで放置しているものから手を付けてます。


 ……どうせ何がなくなっているか、わからないのでしょう?



 あなた様の尻拭いに、なぜ伯爵家の予算を使わなくてはいけないのですか?

 本来であれば必要のない出費、無駄遣いです。



 予算管理を奥様に丸投げしているから、気付かないんですよ。


 あなた様の買い物は予算内に収まるように、商人と交渉してグレードの低い物を納品させてます。気付かなければ同じでしょう。


 いえ、先代様の時代からずっとそうです。奥様のお家乗っ取りなど、とんでもない。

 そうしなければ、とっくに破産しています。




 え、モードはどうしたのか?


 ……今更ですか。


 もう、この家には帰ってきません。


 ええ、卒業式で妾にはならない、この家には帰らないと宣言したそうです。




 卒業式で、モードは色々とこの家での扱い、学園での処遇を暴露をしたそうですよ。

 あなたの浮気相手ヘルズビッチのことも。


 出席していた侯爵が、詳しく教えてくれました。



 モードは怒ると無表情になるそうです。ふふふ、私にそっくりだなぁ。


 ミレイユは怒るときこそ笑顔で、容赦なく正論で責め立ててくるんです。勇ましくて、迫力があって、どきどきしちゃいます。


 いつもより距離が近くなるから、もっともっと怒られたいのに……んんっ、いえ、それはいいんです。




 はぁ、ご自分とは距離を取って、後ずさりする?


 雇用主とわ・き・ま・え・た・使・用・人・なら、それなりに距離があるんじゃないですか。

 しかも、性犯罪の加害者に、愛想笑いしてくれるだけ感謝したらどうです。



 雇用主と使用人という立場の差を振りかざして、理不尽に傷つけたんですよ。


 もう、これ以上は何もさせません。


 ミレイユも既にこの屋敷にはいませんし。……引っ越したと申しましたでしょう。




 ふっ、身分を切り札にするなら、確かに私は子爵であなたより下です。


 だが、父は侯爵で、異母兄は農政長官、甥っ子の婚約者は公爵令嬢かつ王妃陛下の姪の娘。

 仲の良い妹様の孫と言った方が分かりやすいですか。


 勝負するなら、こちらのカードの方が上であることをお忘れなく。



 え、私の家族構成ですか。ほんと、今更なんなんだ。


 私の母は侯爵の妾です。

 元婚約者ですが、家が没落したので婚約解消。

 侯爵が新しい婚約者と結婚し、息子が生まれてから妾になりました。ちゃんと順番を守っています。


 私は認知された婚外子でした。



 モードは認知されていない私生児ですよね?


 モードが通った学園は、貴族に認知されていない私生児も受け入れる、珍しい貴族学園です。

 知っていて選んだのでは? 


 ああ、ご自分の母校ですか。え、それなのにご存じなかったんですか? へぇー。



 これもご存じないでしょうが、モードはあの学園で虐めにあっていました。


 あの学園では、半分だけ貴族なんて、本来は珍しくもないんです。


 それなのに、なぜモードが虐めにあったのか? 

 お嬢様が平民だと触れ回ったからですよ。



「半分」と蔑ろにされている連中が、それより下だと思った獲物に群がったのです。

 モードにやったことの大半は、おそらく彼ら自身がやられたことでしょうね。



 理解はするが、同情はしない。


 そして、私には、モードを害する者に思い知らせる義務と権利がある! ようやく、この手にその権利が!


 私がモードのために厳選したものを、壊した?盗んだ?

 ええ、後悔させてやりますよ。じっくりと恐怖を味わっていただきたいものですね。



 三年間も放置していた理由ですか? 


 ……あなたにしては鋭いですね。


 命の危険まではなかったので、泣きついて相談してくれないかなーって。

 あの娘は根性があるから、耐えきってしまいました。カッコいいですね。



 さて、私は長いこと宙ぶらりんな存在でした。

 後継者のスペアの、更に保険。


 異母兄が事故に遭い、後継者を続けられるか怪しくなった時期があります。

 もう一人の異母兄が後継者になった場合には、繰り上がってスペアになれるよう、貴族の当主になれるだけの教育を受けました。


 その後、後継者の異母兄が無事に社会復帰しました。


 ただ、それまでの間に領地のもめ事を解決したり成果を出してしまったので、私を後継者に担ぎ上げようとする一派が出てきました。正妻の勢力を削ぎたい親族が。


 後継者争いを避けるために、先代様にお願いして、この伯爵家に執事見習いとして避難させていただいたのです。


 ああ、先代様と侯爵は王立学園の同級生です。

 国のエリートを養成するための、あの学園ですね。



 認知された婚外子は平民とも貴族とも言える、制度の隙間を漂っている存在です。

 状況によって、どちらにもなれる便利な駒。

 以前から、侯爵には持っている子爵位を受けるので、貴族に残れと言われていましたが。



 ミレイユと……む、む、結ばれることがあるなら、平民の方がいいだろうと思い、中途半端な立場のままでいただけです。


 面倒な手続きを取れば、子爵にはいつでもなれる・・・そして、数ヶ月前に決断をしたんです。



 なぜ今か?

 入り婿予定の婚約者様の、下半身のせいですね。

 野獣が婿入りしたら、モードまで危険にさらされるじゃないですか。



 二人をこの家から出して保護するために、色々な策を練りました。そのうちの一つが、私が子爵になることだっただけです。


 その方が守れる場合が多いなら、ためらう理由はありません。


 先日、司法省の審査が通ったので、来月の官報で周知される予定です。




 ああ、話は変わりますが、お気に入りのウィスキーから変な匂いがするので、捨てましょうか?


 幻のウィスキーというのは存じております。

 盗んで飲もうとしたわけじゃありませんよ。


 では、そのままにしておきますので、ご自由にどうぞ。



 というわけで、そろそろ、奥様が署名済みの、この離縁届にサインをしてください。



 性教育アンバサダーが早くしろとせっついてくるんですよ。もちろん離婚後半年が経過したら奥様を手に入れるため。

 奥様が関わっている社会活動の協力者ですよ。十五年の歴史がある協会ですが……ご存じないと。


 四十過ぎのババア? あんなに美しく聡明な方を捕まえて。見る目まで腐っていらっしゃる。お気の毒に。

 元侯爵家のご令嬢で、凜として洗練されていて社交界の華だった奥様ですよ。


 離婚したことが知れ渡る前に確保しなければと、隣国の公爵が手ぐすね引いて……ああ、性教育アンバサダーのことです。



 奥様が素晴らしすぎて、劣等感をこじらせちゃいました?

 馬鹿な上に、愚かなんですね。



 先代様の家業を絶やさぬため、あなたが頼りないから選ばれた、優秀なパートナーですよ。

 あなたがいつまで経ってもふらふらしているから、時の宰相が縁組みをしました。


 え、何の事業かって? 何度聞いても覚えないんだから、言うだけ無駄でしょう。




 そうそう、関係ないですけど、他家から庭師に引き抜きの話が来るかもしれません。

 その庭師はもう侯爵家に移籍しますので、「退職して行方が分からない」とだけ答えてください。



 今日、引っ越しですよ。


 本当なら一週間後の予定だったんですけど、うっかり屋さんのモードが昨日口を滑らせたんで、早急にね。


 いえいえ、昨日の卒業式での話ですから、お気になさらず。



 たかが庭師ですよ。

 言ったところで顔と名前が一致しないでしょう? 詮索しようとしても無駄ですよ。 


 え、温室に入れる庭師と、入れない庭師がいることもご存じない? 


 あはははははは! 先代様にも見限られていたのか。



 庭師がメンテナンスを止めたら、一晩で、あらかた枯れると言っていました。


 ベッドから降りられない今のあなたに何ができるんですか。

 行ったところで、世話のやり方も知らないでしょう。


 庭を歩けるようになったら、無残に枯れ果てた様子を眺めればいい。




 この家がどうなるのか?


 奥様は、上のお嬢様のことも見限っていらっしゃいますよ。


 モードを虐めているのに気付いた時は注意していましたし、どうしてこんな子に育ったのかと悩んでいらっしゃった。


 ですが、学園でモードの悪評をばらまいているのを知り、諦めたそうです。

 自分が継ぐ家の評判を落とすなんて、貴族として救いようがないと。



 モードは賢いですよ。


 家庭教師が、「誰も検証してくれなかった成績向上理論を、モードが有効だと証明してくれた」と喜んでいます。誰もが無理だと決めつけて、試してくれなかったと。

 更に、「優秀だからはりきっちゃった」などと、領地経営の知識も詰め込んだらしいです。


 私の娘になるので、いつか二人で机を並べて……なんていうのもいいですね。




 しかし、モードに出し抜かれたのは想定外でした。


 女性が職を得るのがまだまだ難しい社会なので、母子家庭が部屋を借りるのは難しいこともあるのに。

 ミレイユと女二人で住むところを、自分で準備するなんて。


 いつから探していたんだろう。

 どうやって家主を説得したのか、聞き出さないと。


 しかも、それを契約が成立するまで私にも悟らせないとは、優秀すぎると思いませんか。

 本当に素晴らしい。




 は? ミレイユに無理強いなんて、しないですよ。


 プロポーズを受けてくれたら、母に子爵夫人の教育をしてもらうよう、お願いはしていますけど。


 断られたら、母の家でランドリーメイドをしてもらう予定でした。

 その場合、私は別の場所に住むくらいのデリカシーはあります。



 外堀を埋めて逃げられないようにしたんだろう? 卑怯者?

 あらゆる場合を想定して、念のための根回しを怠らない。それが私の仕事の流儀です。



 ミレイユにいつから惚れていたのかって?


 そう、あれはまだ私が執事見習いだったころ。


 雨が降ってきて濡れた私に、ミレイユがタオルをかけてくれたんです。

 はあ、今もまぶたの裏に浮かぶ。あの、ひだまりのような微笑み、「風邪をひかないでくださいね」と言った、胸に染みいる声。



 もういい……ですか?

 いえいえ、サインをする気になるまで、僕の幸せを聞いてくださいよ。


 モードが初任給で、ミレイユと私にランチをご馳走してくれるそうです。

 今から待ち遠しくて、待ち遠しくて。楽しみだなぁ。



 庭師へはプレゼントをするようです。何がいいか相談されて―――正直、ちょっとジェラっとしましたよ。

 でも、大人の男として頼られたからには、応えないわけにはいきませんよね。


 だから、一緒に買いに行く約束をしたんです。

 娘とデート……ふふふふふふふ。



 は? あんたに? なんにも聞いてないですねぇ。




 小さい家っていいですよね。

 家のどこにいても、気配を感じるんですよ。ああ、一緒にいるんだなぁって。


 しばらくは母の家に行かずに、借りたアパートに住むつもりです。

 小さな家で肩を寄せ合って暮らす・・・愛ですね。



 え、ああ……はい。結婚しました。


 今朝!

 教会に寄ってきましたよ。


 今日からミレイユ・モンレーヴです。

 そして、モード・モンレーヴです。



 貴族の結婚なので国王陛下の承認は必要ですが、受理日は今日ですから。今日!


 よほどのことがない限り、ひっくり返されて不受理になることはありません。


 ええ、多少の妨害があったとしても、ひねり潰して、すり潰して、跡形もないくらい粉々にしてやりますよ。




 本当なら、昨日引っ越しを手伝って、役に立つところをアピールしてから、プロポーズする予定だったんですけどね。


 誰かさんが寝込まなければね。



 ミレイユが「大丈夫です。私、案外力持ちなんですよ」って、かーわいいー。


 ランドリーメイドの腕がたくましいのは分かっていても、か-わーいいー。



 昨日の話ですよ。


 予定より遅い時間になりましたけど、新居にうかがいました。

 モードの卒業を祝って、そこでプロポーズしました。


 娘も家族になるんだから、別におかしくないでしょう。



 大事なことなので、夜中に侯爵をたたき起こして、プロポーズを受けてもらえたと報告しました。

 そして、モードの卒業式のことを委細漏らさず聞き出しました。



 まさか暴露答辞をしていたとは!


 侯爵を涙ぐませるとは!


 ほんとうに楽しい子だ。


 心配かけまいと、ミレイユには黙っているつもりなのかもしれないな。



 ええ、侯爵には夜が明けるまで、詳細を語っていただきましたよ。


 その足でミレイユと教会に行ったので、そういえば寝てないですね。




 ミレイユは久々にベッドで寝たから体が痛いって。

 早く屋根裏から布団を持って行かなくちゃ。

 ふふふふ。布団を二つ並べて、三人で寝るとか、夢のようじゃないですか。


 いや、モードはお年頃だから……僕たちが二人で一つの布団に!


 ……あ、その場合の組み合わせは、私とは限らないのか。

 仲良く母子で寝て、隣に一人でもいいですよ。そう、至近距離ならば!



 徹夜明けの妙なハイテンション?

 だとしても、あんたに何の関係があるんだ。

 ちゃんと仕事はしているだろうが。



 あんた、モードを認知していないって認めただろ。

 認知したかのように誤解させて、いいように利用して。


 書類上の関係者ですらないじゃないか。

 つまり、口を出す権利もないぞ。


 あんたの許可なんか関係なく、もう、俺の娘だ。

 すぐに養子縁組をするからな。




 はい? 奥様の社会活動?


 ほんっとうに今更だな。

 性犯罪の被害者をサポートしたり、性教育を普及する協会の、立ち上げ当初からのメンバーですよ。



 隣国から来ている性教育アンバサダーが、熱心に活動する奥様に惚れたって。


 一年後に本山の聖母教会で結婚式を予約していると言っていたんで、僕がいるうちにサインした方がいいですよ。

 しびれを切らしたら、近衛兵を引き連れて催促に来るかもしれませんから。



 私の愛に賛同してくれる、貴重な仲間です。

 ええ、何をするか分からない、愛の重い同類……ふふふ。




 奥様も浮気しているんだろうって……これだから馬鹿は嫌になるなぁ。

 仕事仕事で、恋愛には縁がないって思い込んでるタイプですよ。


 だから、あいつの猛アピールも「若い子はお口が上手ねー」って、全然相手にされてなくて。


 計画では、半年後に婚約して、更に半年後に結婚式。良識派の方々には眉をひそめられるだろうけど、不可能じゃないって言ってますよ、彼。



 焦った高位貴族はえげつないぞ。離婚しない限り、奥様の心の扉には鍵がかかったままだって焦ってる。

 奥様は高潔な方だから。


 あ、あんたも高位貴族の端くれじゃん。はは、あんたは全然恐くないわ。



 ええ? あんたからの愛? 奥様、感じたことあるのかなー。なさそうだけどなー。


 そもそもの話、奥様を愛してんの?

 ないものを感じろって、無理だろ。それ、妄想っていうんだぜ。


 なに? 「実は愛してた」とか言っちゃう系? 冗談がうまいね。




 隣国では、とある男爵令嬢が逆ハーレムを作り、高位貴族に性病をばらまいた過去がある。だから、性教育に力を入れているんだって。


 被害者に王子がいたから、王弟がリーダーになって。そう、その性教育アンバサダー。王弟で公爵。



 そのアンバサダーが、あんたの閨での振る舞いを奥様から聞いて、まるで動物の交尾だと頭を抱えていたぞ。どんだけ、ひどいんだよ。



 僕もアンバサダーに、しっかりと「愛のある交わり」を教えてもらっている。座学でね。

 ミレイユが実践に協力してくれるなら……やぶさかではないが。



 もし、ミレイユの体に恐怖が染みついたままなら―――

 無理のない範囲で、手を繋いだりぬくもりを分け合えばいい。


 性行為以外にも、愛を伝え合う手段なんて、いくらでもあるんだから。



 あるはずがないと思うなら、そういう世界で生きていけ。

 ヘルズビッチなら文句は言わないだろうさ。


 ああ? ヘルズビー?


 あんたとあいつの後始末をしたことがある使用人は、ビッチで呼んでるよ。

 胸くそ悪い。バカじゃねぇの。ところ構わず乳繰り合って。

 奥様がいる本館でもお構いなしって、おかしいだろ。盛りのついたサルか。




 お前、愛情を知らないんだな。性行為が唯一、愛を感じられる行為だって? 

 ふん、寂しい人生。


 じゃあ、勃たなくなったら人生終了だな。もう、カウントダウン入ってるんじゃね?




 愛があるからミレイユに嫉妬してるって?


 奥様は二、三日のお仕置きのつもりで屋根裏部屋で寝ろとおっしゃったんですよ。

 住み続けると言ったのはミレイユの方。


 てめえが近寄れないだけで、天国だとさ。



 出産前後は庭の温室に移動してもらったけど、すぐに自分から屋根裏部屋に戻ったよ。

 温室には寝泊まりできるスペースがあることも知らない?


 一晩中、植物の面倒を見ることもあるだろう。



 ああ、モードから屋根裏部屋はひどい状況だって聞いた?

 それ、僕が吹き込んだやつね。


「階段がない、窓ガラスが割れてる、外気温と一緒・・・えーと砂まみれ」だったかな。

 ひどい環境だと思わせた。


 あんたが乗り込んでこないように、ですよ。



 屋根裏部屋の窓ガラスを割ったのは、モードだ。

 小さかったから、覚えていないのかぁ。


 僕の胸にしがみついて、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら「ごめんちゃい」って。


 びしょびしょになったベストとシャツをミレイユが受け取って、洗ってくれたんですよ。

 もう、誰が見ても完璧な家族だ、あの光景は。

 いつでも思い出せるよう、記念に修復していませんが、なにか?



 ああ、三日後に職人が屋根裏部屋の窓を取り替えに来ます。

 枠ごと新品になるんだからいいじゃないですか。


 ……もちろん、記念に取っておくためですけど?



 ベッドがない、みすぼらしい屋根裏?

 確かに木枠は、あの梯子では運搬できませんね。


 東洋から輸入した布団というものをご存じない?

 高級な布団は、マットレスに勝るとも劣らない。

 もちろん、最高級品を運び込んでありますとも。


 え、私の個人資産からですよ。

 あんたと一緒にしないでくれ。



 隙間風が入って砂まみれ?


 最新鋭の補修テープでも防げなかったのは、モードが5歳の時の記録的な暴風雨です。

 その直後に、エアカーテンという、空気で膜を張る魔道具を設置しました。


 ええ、あまり交流がない魔神国からの直輸入です。

 私の実家の人脈を使えば、たいていのことは可能ですね。


 空調の設備も運び込んでます。

 二人には気付かれないように、薄汚れた箱で見えないようにしていましたからね。


 それらは数日中に運び出して、アパートに持って行きます。

 今度はどこに隠そうかな。



 アドバンテージが取れる道具は、王家と自分の家で独占するのが基本じゃないですか?

 他にいくらでも、商売するネタはあるんですから。

「一時の富」と「自分の身を守る秘密の道具」を天秤にかけるなんて、愚か極まりない。



 なんで今しゃべったか?

 知ったところで、もう、どうしようもないだろ。指をくわえて悔しがってくれたらいいな、と思って。


 儲けすぎて目立つことで、ハイエナに集られてもいいなら、気にせず自由に行動すればいい。


 そういうことを僕は先代様に教えていただいたんですけど、あんたは聞いてないんだ。へー。


 教わったのに覚えていないだけかどうかなんて、知らないよ。


 先代様にあんたが愛されていたかどうか、一介の使用人が知るわけねーだろ、タコが。




 お前、顔だけはめちゃくちゃ良いじゃん。自覚あるんだろう。


 半世紀前、人気だった俳優知ってる?

 そう、八股かけて、修羅場中に刺されたやつ。


 似てるって言われたことない?


 あいつの子種かなんて、興味ないから調べてないって。


 先代様が実子だと認めた、貴族的にはその事実さえあれば、誰もとやかく言わねぇさ。




 ……お前さぁ、先代様をやっただろう。


 ケチなお前が、良い馬車に乗っているときを狙うとは思わなかった。

 壊れても惜しくない、古い馬車の方を警戒してたんだけど。


 思い切ったよな。それだけは感心したよ。



 だけど、家業を引き継がない状態で、爵位だけ継承したてめえには価値が無い。

 価値が無いから、だれも救いの手なんか差し出さない。


 それどころか、馬鹿な娘と、お前と同類のクズ婿。


 どうすんの?

 しょーもねぇ面子で。



 もう、奥様も俺も尻拭いなんかしねぇぜ。

 泣きつこうったって、この屋敷から出て行くんだし。




 そういやさぁ、ミレイユと結婚の約束をしていた、パン屋のせがれ。

 あの、爽やかな優男。


 性犯罪に遭って落ち込んでいる婚約者に「いつまで落ち込んでるの」と、ほざきやがったんですよぉ。

 優しいだけの男なんか、いざという時にクソの役にも立たねえのな。


 人が傷ついているのを見ていられない?

 それを見て、自分が傷つくのが嫌なんだろう。


 面倒くさくなっただけだろうがよ。美化するなっての。



 ……だが、あいつも傷ついてた。

 酒浸りになって、パンの味が落ちたんだぜ。




 何の関係があるのかって?


 貴様の悪行がもたらした悲劇の話をしてるんだよ!


 何人もの人間を貴様が地獄に突き落とした!

 それを自覚しろっつってんだよ。


 意味分かるか?




 女性の顔をなぐるなんて、正真正銘のクズだよな。


 おい……押さえつけられて、なぐられる恐怖を体験してみるか?


 今なら、下痢で体に力が入らねぇだろ。

 馬乗りされたら、力が弱い女性がどんな恐怖を感じるか、分かるんじゃねーの。

 力の差があるだけで恐いっていうの、味わったら何か変わるかな。


 取り押さえやすい、小柄な娘ばかり狙いやがって。

 女に抵抗されて負けたら恥ずかしいもんな。



 ははっ、なぐらねえって。

 びびってやんの。


 血の汚れは落ちにくいって、ランドリーチーフに俺の方が怒られるぜ。



 は? 彼女も喜んでいた? てめえ、救いようのねーゲスだな。


 濡れていた? そんなことで性暴力を正当化するな!!


 性教育アンバサダーの受け売りだが、襲われた恐怖やストレスで、体が無意識に自分の肉体を守るために反応しただけだ。

 襲われている間、心と体がバラバラになるんだ。


 恐怖で涙が出たのを、感動して泣いたと勘違いするのと同じくらい、まぬけだな。



 いいか、よく聞け。


 嫌だと訴えても無視される無力感。

「濡れる」という身体反応があったことで、自分の体まで自分の心を裏切るのかという絶望。

「自分が同意したように思われるのでは」と、行為が終わってからも続く恐怖。


 膣が潤滑するのは、摩擦による損傷を防ぐための防衛反応だ。

 愛情を伴う性的興奮とは、全く別物だ。


 そこに愛なんか、ひとかけらもねぇ! てめえにも、被害者にも!



 そんでさぁ、てめえ、射精した後にすぐその場を去ったんだろ?


 なら、モードという宝物が、この世界に芽吹いた奇跡の瞬間にも、お前は立ち会っていねぇわけだ。 


 あの後に暴力の傷の手当をして、妊娠が判明してから今まで、ずっと寄り添ってきたのは俺だ。

 育ての親と言っても過言ではない! 



 つまり、お前が父親だった瞬間など、一秒たりとも、一瞬たりとも、ない!!!


 モードは名実ともに俺の子だ!




 ……なあ、早くサインしてくれないかなぁ。


 一秒でも早く、マイスィートハートたちの顔が見たいんだけど。



 ふう……サインするまで、シーツの交換はいたしませんよ。

 下着は替えたいでしょうから、ここに何枚か置いておきますね。



 ……ロシアンルーレットってご存じです?

 外国の賭け事ですよ。


 いえ、ふと思い出しただけです、お気になさらず。



 さあ、ペンはここにあります。

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