第24話

わたくしたちが、辺境の地で、国の存亡を賭けた、静かな死闘を繰り広げていた、まさにその頃。

王都レオンハルトは、まるで、嵐の前の、不気味なほどの平穏に包まれていた。


アレクシス様が放った伝令の騎士は、文字通り、馬を乗り潰すほどの勢いで走り続け、夜が明ける頃には、王都にある、わがヴェルナー公爵邸の門を叩いていた。



「―――なんだと!?」


伝令の、あまりにも衝撃的な報告に、父、ヴィルヘルム・フォン・ヴェルナー公爵は、椅子から立ち上がった。


「ガルニア帝国が、鷲ノ巣砦に……。そして、リリアンヌが、その機先を制するための作戦を……?」


父は、娘が、今まさに、命の危険に晒されているという事実に、顔を青くさせながらも、その瞳の奥には、どこか誇らしげな光が宿っていた。


「……やはり、わしの娘だ。あの状況で、そこまで、的確な判断を下すとは」


彼は、すぐさま身支度を整えさせると王宮へと向かった。

一刻も早く、国王陛下に謁見し、辺境への正式な援軍を派遣するよう、進言するためだ。


しかし、王宮の分厚い扉は、まるで、父の前に、立ちはだかるかのように、冷たく、閉ざされていた。

侍従は、申し訳なさそうな顔で、こう告げたのだ。


「公爵閣下、誠に申し訳ございません。国王陛下は、昨夜から、ひどくお疲れのご様子で……。本日は、誰との謁見も、お断りするようにと……」


父は、その言葉の裏にある、欺瞞を、即座に見抜いた。

これは、ユリウス殿下と、あのアイラ嬢が、父の影響力を削ぐために、陛下に吹き込んだ、浅はかな讒言に違いなかった。


「……分かった。ならば、ユリウス王太子殿下にお目通りを願いたい。緊急の軍事案件であると、そうお伝えしろ」


父は、怒りを押し殺し、次善の策を取る。

しかし、その先に待っていたのは、希望ではなく、底なしの、絶望だった。


王太子の執務室で、父を待っていたのは、どこか気の抜けた、緊張感のない表情をした、ユリウス殿下だった。

その隣には、もちろん、アイラ嬢が、小鳥のように寄り添っている。


「公爵。そのような、血相を変えて、どうしたのだ。何か、よほど、緊急の事態でも、あったと見えるが?」


父は、その、あまりにも暢気な声に、眩暈さえ覚えた。


「殿下!一大事にございます! ガルニア帝国が、国境の鷲ノ巣砦を、狙っております! シュライバー卿と、リリアンヌが、今、まさに、その侵攻を、食い止めようと、戦っております! 一刻も早く、援軍を!」


しかし、ユリウス殿下は、その、父の、魂からの叫びを、ふん、と鼻で笑った。


「公爵、落ち着かれよ。また、リリアンヌの、大げさな、いつものヒステリーであろう」


その言葉は、隣に立つアイラ嬢からの受け売りだった。

彼女が、昨夜のうちに殿下の耳にこう甘く囁いていたのだ。


『きっと、リリアンヌ様が、ご自分の手柄を立てるために、物事を、大げさに言っているだけですわ。シュライバー様もきっとあの魔女のようなリリアンヌ様に誑かされてしまっているのですよぅ』


ユリウス殿下は、その、愚かな少女の、甘い言葉を、何の疑いもなく、信じ込んでいた。


「そもそも、考えてもみよ。ガルニア帝国が、これから厳しい冬を迎えようという、この時期に、本気で、我が国に攻め込んでくるはずが、ないではないか。それは、軍事の常識だ。下手にこちらが兵を動かせば、それこそ、帝国に、無用な開戦の口実を与えることになる。公爵、貴殿は、外交問題に、発展させるおつもりか」


目の前の、明白な危機から、目を逸らし、自分に都合の良い、楽観的な憶測に、ただ、すがる。

経験豊富な、父の言葉よりも、若く、美しい、少女の、甘い、甘い、囁きを、優先する。


父、ヴィルヘルムは、目の前に立つ、この国の、次期国王となるべき男の、その、あまりの愚かさに、もはや、言葉を失った。


(……この国は、終わるかもしれん)


絶望的な思いと共に、父は、王宮を後にした。

そして、彼は、国王の勅許を待たず、自らの判断で、ヴェルナー公爵家の、私兵を動かすことを、密かに、決意した。


王都の中枢は、たった一人の、愚かな王太子と、たった一人の、悪意に満ちた少女のせいで、完全に、その機能を、停止していた。



王都の、豪華絢爛な宮殿で、そんな、愚かな議論が、交わされている、まさに、その、同じ時刻。

辺境の、薄汚れた、名もなき砦では、この国の未来を、本気で憂う者たちによる、命を懸けた、死闘が、繰り広げられていた。


わたくしが、崖の上から放った濁流は、轟々と音を立てて、砦の唯一の水源である川へと、流れ込んだ。

川は、一瞬にして、その水量を増し、砦の、古い、地下水路から、茶色い水が、勢いよく、溢れ出した。


「な、何だ!? 川が、氾濫したぞ!」

「敵の罠か!? 水源に、毒でも盛られたというのか!」


砦の中の、ガルニア兵たちは、予期せぬ事態に、完全に、パニックに陥っていた。

その、混乱の、一瞬の隙を、アレクシス様は、見逃さなかった。


「突撃ぃぃぃっ!!」


彼の、雷鳴のような号令と共に、数少ない、しかし、精鋭中の精鋭である騎士たちが、正面ゲートへと、雪崩れ込む。

少数ながら、王国騎士団最強と謳われる彼らの、研ぎ澄まされた剣技は、完全に烏合の衆と化した、ガルニアの兵士たちを、赤子の手をひねるように、圧倒していった。


アレクシス様は、ただ一点敵の将がいるであろう砦の中心部だけを目指して、血濡れの戦場を駆け抜けていく。

その胸に、宿るのはただ一つの想い。


(リリアンヌ……! 必ず、お前を守り抜いてみせる……!)


王都の愚者たち。

辺境の賢者たち。

どちらが、この国の未来をその双肩に担うにふさわしいのか。

その答えは、もはや誰の目にも明らかだった。

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